第46話:Who are you?
「なんとか一命はとりとめましたが……まだ予断は許さない状況です」
王宮の一室にて治癒術師の女性がフリーデンとクリスに告げる。
三人の傍らでは治療を受けたばかりのダーマが横たわっている。
僅かに胸が上下する程度のか細い呼吸が、彼女の命がまだかろうじて繋ぎ止められているだけなのだと知らしめる。
フリーデンは治癒術師に他の医療者たちを呼んでくるようにと指示を出す。
最善の治療を受けさせ、決して枢機卿を死なせてはならないと。
「一体誰がこんなことを……それに、上空のあれは何なんだ……」
冷静さを取り戻したクリスは少しずつ状況への理解を深めつつあった。
母を襲った凶行と突如として王都の上空に現れた謎の構造物。
その二つは無関係ではないのかもしれないと。
一方、ネアンは彼女が有する情報量の多さが更に困惑を深めていた。
現時点で浮遊大陸を攻略している以上、三人目の存在を疑う余地はない。
しかし、それが誰としてこの世界にいるのか、何が目的なのかは見当もつかない。
分かるのは、その人物がこの世界へと敵意を向けていることだけ。
すぐに天永宮に戻ってシルバと合流すべきなのか。
それともここに残って敵の出方を伺うべきなのか。
ネアンは第三の存在について警告されていながらも、予想外の事態への対処が全く出来ない自分の不甲斐なさに苛立つ。
「ネアン様、大丈夫ですか?」
沈痛な面持ちで考え込んでいるネアンを見かねて、クリスが声をかけた。
「えっ……? あ、ああ……はい、大丈夫ですよ」
「ひどい汗です。少しお休みになられた方が……」
「本当に大丈夫です。気を使って頂いてごめんなさい。辛いのは貴方の方なのに……」
「いえ、何かあればすぐに申し付けてください」
「はい、ありがとうございます」
本当に憔悴しているのはクリスのはずなのにと、ネアンは自己嫌悪する。
しかし、そのおかげで彼女は少しだけ冷静さを取り戻した。
敵がダーマを狙ったのであれば、その凶刃が今度はフリーデンを狙っている可能性も高い。
なら、自分はシルバを信じて余計なことをせずにここで二人を守るべきだと判断する。
「枢機卿、急報です! 王都上空に出現した謎の構造物から正体不明の敵が――」
不穏な沈黙を破り、一人の文官が部屋へと踏み入ってきた。
「へ、陛下!? 何故ここに!?」
男は本来いるはずのないフリーデンの姿を見て喫驚する。
「静粛にせよ。ダーマは何者かの襲撃を受けて負傷した」
「す、枢機卿が!? 容態の程は!?」
「なんとか命は繋ぎ止められたが、予断は許さぬ状況だ。到底指揮を取れる状況ではない。よって、これよりの指揮は余が取らせてもらう。報告の続きを」
文官は別人のようになった主君の姿に一瞬唖然とするが、自分の職務を思い出して報告を続ける。
「は、はい! 現在、王都上空に出現した謎の構造物から正体不明の敵が多数降下し、市街で破壊行動を行っています。現在は常駐の王都警備隊及び国軍の一部部隊が独断で対処に当たっているようです。そして、それとは別に魔物の群れが市街に出現しているようなのですが……」
「魔物だと!?」
「はい、ですが……こちらは何故か上空から現れた敵から市民を守るような行動が確認されているとのことです」
「魔物が市民を守る……? それは真か……?」
「はい、複数の目撃証言が出ているので信憑性は高いかと……」
男の報告にネアンがほっと胸を撫で下ろす。
やっぱり、あの人は自分よりも遥かに先を見て行動していたと。
「ふむ……妙なことだがそのおかげで持ちこたえているのであれば僥倖だ。ならば、こちらからもすぐに国軍全部隊へと出動命令を出せ」
「ぐ、軍にですか!? で、ですが……それは……」
男が床に伏せているダーマの方を一瞥する。
王都内部での事件に軍の介入を許す。
それは彼女の指揮下であれば、決して執られることのない選択肢だった。
「国家存亡の危機だ! 何を迷うことがあるか! つまらぬことに囚われるな!」
「は、はい! 承知しました!」
フリーデンが一喝すると、男は慌てて退室していく。
「ご立派です。陛下」
「いや、これまで果たしてこなかった責務を果たしているだけだ。それより、この襲撃と其方は無関係と考えて良いのか?」
「はい、これに関しては私も想定外の出来事です……」
ネアンが悔しそうに歯噛みする。
「そうか……であれば、解決に協力してくれるとありがたい」
「もちろん、そのつもりです」
二人が改めて意思の確認をし終えると、先の治療術師が戻ってくる。
大勢の治癒術師や医者たちが続々と入室してくる中、今度は一人の武官が紛れて入室してきた。
「陛下! ここにおられたのですか!」
年の功は四十前後、ややくたびれた顔つきの中年男性がフリーデンを見つけて言った。
「あ、ああ……其方は確か……」
「マイルス二等武官?」
フリーデンが男の名前を思い出そうとするよりも先に、クリスがその名前を呼ぶ。
マイルス=ウェイン――儀典聖堂の二等武官でクリスが率いる祭場警備隊の副長。
「こんなところで何をしている? 要人の警護に付いていたはずでは?」
「え、ええ……そうだったのですが枢機卿が何者かに襲われたと聞き、その者が次に狙うのは陛下なのではと考えて探していました。ちょうど御部屋に居られなかったようなので、万一にも御身に何かがあってはいけないと」
言葉通りに急いで来たのか、少し呼吸を荒らげながらマイルスが事情を説明する。
「苦労をかけたようだな。だが、余はこの通り健在だ。心配はいらぬ」
「であれば、すぐに王宮から……いえ、王都からの脱出の準備を。既に手筈は整えております」
「脱出だと? 民、ひいては国家に脅威が迫っている中で余だけが逃げるわけにはいかぬ」
「陛下、お言葉ですがこれは神国が誕生して以来で最大の危機です。御身の無事は何よりも優先されます。護衛と避難経路は既に確保しています。枢機卿のことは娘のカーディナル一等武官に任せて、ここは早急に退避を!」
「おい、マイルス……。陛下に対して出過ぎた真似は――」
断固としてこの場を動く気はないと、脱出を固辞するフリーデン。
そんな彼を半ば無理やり連れ出そうとする部下をクリスが制する。
未だ伏したまま意識を取り戻さないダーマと、彼女に懸命の治療を施す医療陣。
この場において各々が常道の行動を取っている中で、ネアンだけが違った。
彼女は何もない空間から杖を取り出すと、それを前方へと掲げた。
詠唱もなく、杖の先端から放たれた強力な魔力が目標へと向かって一直線に放たれる。
側面を凄まじい力の奔流を受けた対象が吹き飛ばされる。
その身体が部屋の分厚い石壁を突き破り、尚も止まらずに隣室の壁へとめり込むほどの勢いで叩きつけられた。
「ね、ネアン様!? 何をしてるんですか!」
瓦礫が崩れる音よりも大きな声でクリスがネアンを問い詰める。
「私の……私の勘違いだったらごめんなさい。本当にごめんなさい。すっごく謝ります」
部屋に空いた大きな穴のその更に奥を見据えながら、ネアンが言葉を紡いでいく。
「でも、私は誰よりも知っています。貴方が典型的なうだつの上がらない中間管理職で、責任の取るようなことなんて絶対したくない指示待ち人間なことを。そんな人が王都で異変が起こったからって、すぐに陛下の無事を確かめに来て、あまつさえ迅速な脱出経路の確保だなんてありえません! 絶対に、ありえません!」
声を震わせながらも強い断定口調でネアンが言い切る。
フリーデンは自らの前方から人が一瞬にして姿を消したことに未だ呆然としている。
「マイルス=ウェイン二等武官……貴方は、誰ですか……?」
隣室へと吹き飛んだ人物に対して、ネアンが静かに問いかけた。
静寂の中、クリスとフリーデンは当然ネアンがおかしくなったのかと疑う。
今しがた彼女によって吹き飛ばされたのは、その姿も声も間違いなくマイルスだったと。
だが、ネアンは確信めいた予感を抱きながら自らが作った破壊の痕跡を見据える。
ダーマが狙いなら、彼女にトドメを刺す機会はいくらでもあったはず。
にも拘わらず、そうしなかったのは本当の目的は別だったとしたら。
負傷したダーマを餌にフリーデンを誘い出して、安全な場所へと案内するという名目で一人にすることだったとしたら。
彼女の疑念の答え合わせをするように、破砕された瓦礫から立ち上る土煙の中で人影がゆらりと立ち上がる。
「ネアン=エタルニア、二千年前に現王家の血筋より枝分かれした傍流の生き残り。不老不滅の肉体を持ち、自らが終わりを迎えるために邪神の復活を目論む根暗メンヘラ女。脅威レベルは十段階中の九と最大級。出来れば関わらない方がいい……」
土煙が晴れ、その中から現れたマイルスはあれだけの攻撃を受けながら無傷で佇んでいた。
その片手に持つ分厚い書物に目を通しながら、今度は彼がネアンへと尋ねる。
「書いてある内容と随分違うんだが……お前こそ誰だ?」
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