第41話:公式カップリング

 燭台の僅かな灯りだけが照らす通路を歩くネアンとクリス。


「こんな隠し通路があったんですね」

「……王族の一部だけが知る場所だそうです」


 ネアンの疑問に、クリスが最小限の言葉で返答する。


 二人が歩いているのは天永宮と王宮を結ぶ地下通路。


 本来は王都が危機的状況へと陥った際に王族が王宮外へと脱出するためのものだが、今は秘密裏に王宮入りするための裏道として使われていた。


 この一ヶ月であれだけ話したのが嘘のように、二人は押し黙ったままでいる。


 そのまま数分ほど歩き続けていると、視界の先に木製の扉が見えた。


「ここです」


 まるで地下牢獄へと繋がっているような飾り気のない扉に、クリスが手をかける。


「開けて頂いて大丈夫ですよ」


 ネアンはこれが自分を捕らえるための罠ではないかと疑う様子を欠片も見せない。


 言外に貴方を信じているからと、クリスを見ている。


 クリスはそんな彼女から居心地が悪そうに目線を外すと、手に力を込めて扉を開いた。


 キィ……と金具の軋む嫌な音が地下に反響する。


 扉の奥は、通路とさほど変わりのない薄暗闇に包まれた約6~7m四方の小部屋。


 その中央にある小さなテーブルには、既に先客が着いていた。


「よく来てくれたなソエル……いや、ネアンと呼んだ方が良いのだろうか。まずは余の要望に応じてくれたことに感謝する」


 若き神王、フリーデン=エタルニアが深々と頭を下げて二人を迎え入れた。


「いえ、こちらこそこの度はお招き頂いてありがとうございます。座ってもよろしいですか?」


 フリーデンが『うむ』と答えると、ネアンは彼の対面の椅子を引いて自分も腰を下ろした。


 クリスは後ろ手で扉を閉めながら、室内に他の誰もいないことを確認する。


 両者の願い通り、今からこの場で王と背信者の一対一の対話が行われるのだと。


「陛下の願いは二人きりでの対話ということでしたので、私はこれで――」

「待ってください」


 そのまま別の出入り口から退室しようとしたクリスをネアンが引き止める。


「良ければクリスさんもこの場に居てもらえませんか?」

「私が……? ですが、それは……」

「どのような内容の話になるとしても証人は必要でしょう? それにいくら陛下の申し出とはいえ、賊と二人きりにするのは流石に気が気でないのでは?」


 ネアンがいたずらな笑みを浮かべながら言う。


 クリスは困ったようにフリーデンの方を一瞥する。


「……そうだな。では、カーディナル一等武官にも立ち会ってもらおう」

「陛下がそうおっしゃるのであれば……」


 王の承諾を得たクリスは、かけていた手を扉から離して部屋の隅へと移動する。


「これで舞台は整いましたね。さて、それでは私をお呼び立てした理由を聞かせて頂いてもよろしいですか?」

「うむ……だが、その前に一つ確認すべきことがある。あの時に其方が見せた開祖の力は本物に相違ないか?」


 若さを感じさせない鋭い眼光でネアンを見据えながらフリーデンが尋ねる。


「はい、あれはです。疑うのでしたらいくらでも確認して頂いて構いませんよ」


 ネアンが即答する。


 本来はレイアの身代わりではあるが、力自体は本物なので嘘は言っていないと。


「いや、時間があまり無い。今は其方の言葉と自分の目で見たものを信じて、話を進ませてもらう」

「畏まりました。話が早いのは私としても助かります」

「ならば話を戻そう。其方を呼び立てした理由であったな。単刀直入に言うと……余は其方の要求を飲むのもやぶさかではないと考えている」


 若き王のその言葉に、聞いていた二人が表情を変える。


 クリスは驚愕に目を見開き、ネアンは驚きつつもどこか納得しているような面持ちだった。


「其方が言った通り……余はこれまでに王としての責務を何も果たせておらぬ。若くして王位を継いだ身空では家臣たちからも軽んじられ、執政はほとんど枢機卿任せなのが現実だ。教団上層部が野放図になっている現状に忸怩たる想いを抱きながらも……いずれ自分が実権を握るまでは仕方がないと、自分に言い聞かせて見過ごす日々が続いている……」


 拳を強く握りしめるフリーデン。


 そのまま拳を机上に叩きつけてもおかしくないほどの悔しさを噛み殺している。


 そんな彼を見据えながらネアンは――


「はい、全くもってその通りですね。そもそも、若いから軽んじられているんじゃなくて頼りないから軽んじられているんです」


 と、容赦なく答えた。


 その手厳しさは横で見ていたクリスも、『いや、そこは少しくらい同情があっても……』と思うほどだった。


「流石に手厳しいな……。だが、まさにその通りだ。余には王として、そして人を導く者としての才が無いのだろう。だから余は民たちの苦しみを知りながら放置し、いずれはと言い訳ばかりを募らせるだけで先送りしてきた」


 フリーデンが自嘲するように言う。


「しかし、そのような暗愚でも王は王だ。その責務は果たさねばならぬ。先刻、下るのもやぶさかではないと言ったが……それは当然、其方の理念が余を納得させられた時の話だ。もし、其方がただ権力欲しさに聖権を求めているのなら……余はそれを決して認めるわけにはならん。それが余の王としての最初で最後の責務だ」


 フリーデンはそう言って、強い意志を浮かべた瞳でネアンを見据える。


 自らを紛い物と証する言動に反して、ネアンはその姿に確かな王としての素質を感じ取った。


 しかし、その素質だけではこの国が既に立ち行かないことも知っていた。


 彼が国を導く真の王になる頃には、もはや全てが手遅れなのだと。


 だから彼女は感情に流されずに――


「私の望みはただ一つ……教団と政治の分離、すなわち民衆を予言の支配から脱却させることです」


 自らの考えを端的に神王へと告げた。


「予言の支配からの脱却……?」

「はい、私は予言こそがこの国を滅ぼす歪みの根源であると考えています」

「だが、予言があればこそ助かった人命も少なくないであろう」

「確かに、魔物災害への対策等で予言が必要になることは多くあります。しかし、それを絶対視しすぎたあまりに今の歪んだ権力構造があるのもまた事実です。民衆は例えそれがどれだけ疑わしいものであっても予言と聞けば信じざるを得ません。悪しき心を持った者がそこにつけ込むのは当然の帰結です。そして、教団のそのような不祥事が表立って事件化されているのは氷山のほんの一角でしょう。監視の目が行き届かぬ地方や権力の及ばない上層部には一体どれだけの収奪行為が蔓延っているのか見当もつきません」


 ネアンの言葉にフリーデンがじっと黙り込む。


 彼女の言葉は概ね正鵠を射ていた。


 司祭や司教、教団の者が予言を騙った事件は過去に多く存在している。


 それはフリーデン自身が誰よりも理解していることでもあった。


 表に出てきていないものを含めれば、その数は途方もないであることも。


 二人の話を部屋の隅で聞いているクリスにも思い当たる節があったのか、小さく息を呑む音が聞こえてきた。


「故に私は、国家と教団を完全に分離すべきだと考えています。歪み、固定化された権力構造が問題であるならそれを壊さなければなりません。この国を民が主導する国へと生まれ変わらせるのが私の望みです」

「だが、この国は二千年前の賢者レナの号令によって教団ありきのものとして生まれた。今更そんなことをすれば……多くの反発と混乱が起こる……。それこそ多くの人命が失われるような……」

「陛下、目を背けてはいけません。それは既に起こっているのです」


 今度はフリーデンが息を呑む。


「カレス=オーエン、カタリナ=リオハート、レスリー=クレイン……」


 ネアンの口から教団上層部に連なる者たちの名前が紡がれていく。


 一人、また一人と紡がれていく名前にフリーデンの表情が険しいものへと変わっていく。


 それは噂として、あるいは事実として何らかの悪逆行為に加担しながらもその権力によって追求を免れた者たちだった。


「近視眼的な為政者たちが、少しの犠牲は仕方がないと下層の者を切り捨てて目の前の利益ばかりを追求してきた結果がこれです。このような者たちは時間が経つごとに増え、国そのものを食い尽くすまで止まることはないでしょう。ですが、今ならまだ間に合います。この病巣を切除することが出来るのは貴方の決断だけです。確かに、急激な変化は混乱を呼びます。しかし、人の意志は必ずやどんな苦境をも乗り越えると私は信じています。だから最後にもう一度、言います。私の望みは予言から人々の意志を取り戻すことだけです」


 一切の迷いもなく、ネアンが言い切る。


「では、最後に余からもう一つだけ聞かせてくれ。予言が政治的意義を失えば、巫女である其方の立場も当然失墜することになる。そうでありながら、どうしてここまでの行動を起こせた?」

「それは私が誰よりもこの世界を愛しているからです」


 満面の笑みで答えるネアンを見て、フリーデンは全てを悟った。


 自分が王位を継いだのは、この時のためだったのかもしれないと。


「そうであるか……ならば、其方の望みは仔細承知した。そして、余はその理想を共に実現すべく、出来うる限りの協力を行うと約束しよう」

「ご賢明な……そして、痛みを伴う決断に感謝します」


 ネアンは心からの敬意を表して頭を深く下げた。


「うむ、だが……余とて全能ではない。全ての問題を取り除くには長い年月が必要となるだろう」

「ああ、その点についてはご心配なく。首を縦に振らない人たちを脅は……説得する材料はいっぱい持っているので。それに、そういう謀が大好きな人もついてますから」

「う、うむ……よく分からんが頼りにしておる……」


 急に変化した人となりに困惑しながらも、フリーデンはネアンへと手を伸ばす。


 証人として立ち会っていたクリスも、いつの間にか二人の対話に心を奪われていた。


 自分を信じ続けた彼女が、遂には王にまでその理想を認めさせたのだと。


 そうして非公式ではありながら、王がその聖権を奉還するための握手が交わされようとした瞬間――


「そこまでだ! この反逆者が!」


 フリーデンの背後にある扉が開かれて、複数の兵士たちが部屋へと踏み入ってきた。


 それは三人にとっても見覚えのある顔、儀典聖堂の祭場警備隊の者たち。


「な、なんだお前たちは! ここは王族以外が足を踏み入れて良い場所では――」


 兵士たちは主たる王の言葉を無視してネアンへと剣を突きつける。


「余の客人に無礼を働くでない! その剣を下ろせ!」


 フリーデンが必死に兵士たちへと命令するが、彼らは全くその言葉に耳を傾けようとしない。


「枢機卿のご命令で貴方を監視していました。賊を王宮に招く恐れがあると……にわかには信じられませんでしたが、その通りだったようですね」

「だ、ダーマが!? 一体、いつからだ!」

「これは聖典への重大な背信となります。王と言えど、その責を負わなくてはなりません」

「こ、こら! 何をする! は、離せ!」


 兵士の一人がフリーデンの身体を抑えて、部屋の外へと連れ出そうとする。


「カーディナル一等武官! この者たちに説明してくれ! もう争う必要はないのだと!」


 フリーデンは必死の抵抗を続けながら、唯一中立的な立場のクリスに助けを求める。


 しかし、クリスは固まったまま微動だにしない。


「警備長、賊の始末は貴方にさせよと……枢機卿からのご命令です」

「は、母上が……?」


 その言葉にクリスが後方へとたじろぐ。


「そうです。さあ、剣を取ってください」

「わ、私は……」


 これまで彼女は母の言う通りに生きていた。


 孤児だった自分を拾い上げ、養女にまでしてくれた恩がある。


 どうしても報いたくて、認められてくて、後ろ暗いことに手を染めることもあった。


 これまでも、これからもそうしていくのが自分の人生だとクリスは考えていた。


 剣を取り、反逆者を殺せ。


 それが母の望みであるのなら、そうするのが自分の運命だと。


「その賊を討つのです。母上のために」

「私は……私は……」


 自分に優しかった母は幻想ではなく、確かに存在していた。


 その時の美しい思い出だけが、これまでもこれからも拠り所になるはずだった。


 だが、二人の話を聞いたクリスには別の思いが芽生え始めていた。


 母を救いたい。


 何が母を変えてしまったのかを、クリスはずっと分かっていた。


 分かっていながら、それを認めることが怖くてできなかった。


 クリスは、剣の柄を握ってネアンの顔を見やる。


 彼女は何度も何度もそうしたように、ただ無言でクリスを見ながら微笑んだ。


 貴方を信じていますと。


 薄暗い室内に稲妻のような剣閃が走る。


「な、なんで……」


 ネアンを取り囲んでいた兵士たちが次々と倒れていく。


「あ、貴方が枢機卿に……背くとは……」


 兵士の一人がうめき声を上げながらクリスを見上げる。


 彼女は、まだ自分が何をしたのかも理解してないように立ち尽くしていた。


「なんでって……愚問ですね」


 呆然とするクリスに代わって、ネアンが答える。


「ネアン×クリスは公式カップリングだからに決まってるじゃないですか」


 人気RPG『エコーズ・オブ・エタニティ』の公式設定資料集、クリス=カーディナルのキャラ紹介にはこう記されている。


 永劫教団枢機卿ダーマ=カーディナルの養女、そしてネアン=エタルニアの騎士であると。


 例え歴史が変わっても、性別が変わっていても、一振りの剣が鞘へと収まるように運命はあるべき形へと収束した。

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