第38話:嫉妬
「姿を消したって、どういうことだ? 部屋でクリスの奴と話してたんだろ?」
「はい、二人きりということで何かあっては問題かと少し様子を伺いにいったのですが……。何度お声がけしても返事がないので、中を確認したところ既に姿が……」
「宮殿の中は探したのか?」
「各通路に一人ずつ見張りをつけていますが、誰も見ていないと」
「中に争ったような形跡は?」
「いえ、特には……」
自分の失態だと額から薄く汗を流しているナタリア。
争った形跡がないということは、無理やり連れ去られた可能性は低い。
クリスが現時点で俺に次ぐ実力者とはいえ、元ラスボスを一方的に無力化するのは不可能だ。
つまり、この失踪はあいつの意思によるものだと判断できる。
……となれば俺が取るべき行動は――
「なら気にするな。他の奴らにもそう言っておけ」
抜けたところのある奴だが、本物の馬鹿ではない。
俺に何も言わず出ていったということは、そうするべき事情があってのことだろう。
なら俺たちも下手に動くより、当初の作戦通りに行動すべきだと判断する。
「き、気にするなって……ネアン様がいなくなってるんですよ!?」
「争った痕跡がないならあいつ自身の判断だ。俺らは俺らのやるべきことをやればいい」
「で、ですが……旗印である彼女がいないと王宮との交渉もままならないのでは……」
「ちまちまと様子を伺いに来る雑魚と交渉するよりも重要な事あるってことだろ。大丈夫だ。心配すんなって」
立ち上がってナタリアの肩をポンと叩く。
そのまま隣を通り抜けようとしたところで、ナタリアがボソっと呟いた。
「……随分と信頼されているんですね」
「ん? まあ、似たような境遇だしな。それがどうかしたか?」
「いえ、特には……問題がないとのことでしたら、他の者にもそう伝えてきます」
ナタリアはそう言って、俺が開けた扉から足早に出ていった。
なんか、あいつ不機嫌だった……?
*****
――三十分前。
クリスが扉を開けて、ネアンの居室へと入る。
「こんにちは、よく来てくれましたね」
ネアンは来訪者の顔を見ると、一瞬だけ驚いた様子を見せるも続けて普段通りの口調で言葉を紡いだ。
生国へ反旗を翻した直後とは思えない呑気さにクリスは面食らうも、己が使命を全うするために室内へと足を踏み入れた。
「今、お茶を入れますね」
これまでに何度もそうしたのと同じように来客を迎えるネアン。
「以前にまたこうして会うのはしばらく先になると話しましたけど……存外早く訪れましたね」
まるで自分が生み出した状況を忘れたかのように振る舞う彼女を見て、クリスの心が揺らぐ。
それでも彼女には王宮の使者として問いたださなければならないことがあった。
何故、自分が聖権の正当な後継者だと主張し出したのか。
賢者レナと同じあの力は本物なのか。
一体、何が目的で聖権の奉還を求めているのか。
だが、それらの言葉を押しのけて彼女の口から漏れ出たのは――
「どうして……どうして、私には何も教えてくださらなかったのですか……?」
使者としてではなく、クリス=カーディナルとしての個人的な疑問だった。
「最初から……私を利用するためだけに近づいてきたのですか? 私を友人と呼んでくれたのは嘘だったのですか? あの時間も……私に語ってくれた言葉も全て偽りだったのですか?」
一度吐き出した感情は堰を切ったように、次から次へ言葉となって紡がれていく。
シルバ=ピアースをはじめとした者たちには以前に伝えていた話を、友人であるはずの自分は聞かされていなかった。
その事が、あの瞬間からクリスの心に大きな凝りとして残り続けていた。
悲痛な表情を浮かべながら、まるで自傷するように喋るクリスに今度はネアンが答える。
「一つ目の質問に関しては、その通りです。私はあの場所であの宣言をするために貴方の好意を利用しました」
迷う様子もなく、ただ事実のみが告げられた。
「そのことに関しては何の申開きもありません。貴方に何を言われようが、全て受け入れる覚悟です」
「そう……ですか……」
それを聞いたクリスは怒りではなく、悲しさに表情を歪ませる。
「……ですが、二つ目の質問に関してははっきりとそうではないと答えられます。貴方と交わしたこれまでの言葉に嘘偽りはありません。私は今も貴方のことを大事な友人だと思っています」
「だったら、どうして――」
「それは貴方が私の友人である前に、枢機卿ダーマ=カーディナルの娘だからです」
クリスの言葉を遮ってネアンが言う。
「もし私がこの身の上に関わる話を貴方にしていたとして、貴方はそれを自分の内だけに秘めることが出来ましたか?」
「それは……」
クリスはすぐに言葉を返せなかった。
もし彼女の言うように自分がその秘密を知っていれば、内に秘めるだけの選択を取ったかに確証が持てなかった。
枢機卿であり、母であるダーマ=カーディナルからそうなるようにと教育されてきた。
「三つ目の質問の答えも『いいえ』です。私はあの時の言葉通り……愛するこの国を守るためだけに動いています。だからこそ、貴方には何も伝えなかった。何故なら、私は貴方のお母様こそが、この国を蝕んでいる病理の根源であると考えています」
言葉を紡げなくなったクリスに代わって、今度はネアンが自らの主張を述べ始める。
「……母上が?」
「はい、とは言え彼女自身は大した悪人ではありません。ただ、人よりも上昇志向が著しく高いだけの女性という程度でしょう。しかし、彼女が自分が上り詰めるためであればどんな者であろうと重用します。それが多くの問題を抱えている人物であろうと。例えば、彼女と関係の深いカレス=オーエン司教はご存知ですか?」
「それは、もちろん……」
いつの間にかネアンのペースに呑まれつつあるクリスがか細い声で答える。
カレス=オーエンは外務聖堂の司教であり、教団内では知らぬ者のいない有名人だ。
「では、彼には愛人との間に生まれた子供がいるのはご存知ですか?」
「オーエン司教に愛人? いえ……そんな話は聞いたことが……」
「そうでしょうね。その事実は愛人であった女性ごと、闇へと葬りさられましたから。信徒に範を示すべき聖堂の司教の醜聞が万一にでも世に出回ってはいけないと……。もちろん、貴方のお母様はそのことを知った上で彼を重用し続けています。自分の立身出世に都合がいいというだけの理由で」
クリスは言葉を失ったまま、ネアンの言葉に耳を傾け続ける。
全て彼女が一方的に話しているだけで、証拠が示されたわけではない。
しかし、まるでこの世界の全てを知っているかのような口調で話すネアンが嘘を言っているようにも思えなかった。
「今の話はほんの一例で、国家という大きな枠組みの中では小さな事件でしょう。ですが、今はその小さな歪みが幾重にも重なり……今、大きなうねりとなってこの国を滅ぼそうとしています。私にはそれを知りながら、看過することは出来ません」
「それでも……それが事実だとしても、あのような暴挙に出る必要は……」
「暴挙? 私としてはかなり穏当な選択をしたつもりですけどね。もし私が行動を起こしていなければ、別の悲劇があの場で起こっていただけですから」
「別の悲劇……?」
「そう、先に話したカレス=オーエン司教の私生児であるアイク=クームズ。たった一人の家族である母親が、司教の側室を名乗る狂人の汚名を着せられて謀殺された彼は長い時間をかけてこの国への復讐心を募らせました。その彼が率いる一団による武力蜂起がこの王都で発生し、大勢の死者が出ていたでしょう」
「では、貴方は自らが先手を打つことでそれを止めたと?」
「はい、その通りです」
朗らかな笑みを浮かべるネアンに向かって、クリスが初めて僅かな怒りの感情を向ける。
「そのような話を私に信じろと……?」
そして、そのまま背負っている騎士剣の柄に手をかける。
「信じるか信じないかは貴方次第ですが、最初から私はただ事実のみを話しています。それでも信じられない……お前は国を乱すただの逆賊だと思うのであれば、どうぞこの場で斬り伏せてください。友人である貴方に信じて貰えないのであれば、私の道はそこまでだったというだけのことです」
一切の淀みのない口調で言うネアンの目をクリスが見据える。
この期に及んで自分を友人だと呼ぶのは信頼させてまた取り入ろうとしているだけだ。
そう考えながらも彼女は剣を抜けずにいた。
脳裏を巡るのはこの場で積み重ねた二人での時間。
生まれて初めて得た自分を友人と呼んでくれる人。
かつての母と同じ様に自分が欲しい言葉を何度もくれた人。
もしかしたら先の話も全て事実で、今の言葉にも嘘偽りはないのかもしれないと期待する自分が彼女の中にいた。
クリスは少しの間だけ沈黙すると、剣の柄に添えていた手を下ろした。
「残念ながら……私はそれを判断する立場にありません」
「そうですか。では、王宮に戻って枢機卿にお伝えください。今度は使者ではなく貴方が自らの足で訪ねてきてくださいと」
「その点に関して、貴方は一つ思い違いをしているようですね」
「思い違い? それはどういうことですか?」
これまでは余裕を一切崩さなかったネアンが僅かな戸惑いを見せる。
「私は枢機卿ダーマ=カーディナルの代理人としてここにいるわけではありません。本件に関して猊下は使者を出さずに、一旦静観の立場を取られることにしたようです。直接、そう告げられました」
「でしたら、誰が貴方をここに?」
「私は、神王フリーデン=エタルニア陛下の使者としてここにいます。そして、彼からの言付けはただ一つ……貴方に自分と一対一の会談をして欲しいとのことです。当然、王宮にも秘密裏と会談となるので僅かでも察知されるわけにはいきません。誰にも告げずに、お一人で来てもらいます」
自分で言いながらも、馬鹿馬鹿しい話だとクリスは内心で笑う。
いくらなんでもこんな誰もが罠を疑うような誘いに乗るわけがない。
だが、もし彼女が本当に事実のみを語り、今なお自分を心から信頼してくれているのなら――
「この話を信じるかどうかは……貴方の判断に任せます」
今度はクリスの方からネアンを試す。
その答えが出るのに、大した時間はかからなかった。
「それは願ったり叶ったりの展開ですね。では、案内してください」
ネアンは自らの騎士にエスコートを願い出るかのように、躊躇なく手を差し出した。
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