第35話:敵は王都にあり

 ――開会式でのネアンの宣言から二時間後。


 神王をはじめとした出席者たちは大聖殿から退避し、現在は厳重な警備下で王宮への避難が行われていた。


「大聖殿からの退避誘導は進んでいますか?」


 王宮の一室では枢機卿ダーマ=カーディナルの陣頭指揮の下、教団としての今後の対応策が検討されていた。


「は、はい! 来賓の方々を優先に概ね完了致しました! 現在は大聖殿に残る信徒の方に対応しております」


 ダーマの問いに、配下である枢機卿団の男が答える。


「賊の動向は?」

「巫女ソエル=グレイス及びその支持者と思しき国軍第三特務部隊は現在、天永宮を占拠して立て籠もっているようです」

「天永宮を……宮殿内に残されていた衛兵や従者などは人質に?」

「いえ、特に人質等にはされておらず、全員が解放されているようです。今のところは怪我なども確認されておりません。不可解と言えば不可解ですが、敢えて武力を行使しないことで民衆へのアピール効果を狙っているのかもしれません」

「なるほど……では、市中の様子はどうですか?」

「それが……出席した信徒は未だ聖殿内に勾留して情報封鎖を行っているのですが……」


 ダーマからの問いかけに、男はバツが悪そうに答える。


「どこかからか話が漏れてしまったようで、既に市民の間でも噂になっているようです。中にはソエル=グレイスの意見に賛同を示す者がいるとの情報も……」

「……であれば教団としてもこれ以上黙っているわけにもいきませんね。即刻、報道官を通して声明を出して下さい。ただし、向こうの主張は一切出さずに、あくまで国防聖堂の巫女が神国に背信したという事実のみを」

「は、はい! 了解しました!」


 男はそう言って一礼すると、慌ただしく退室していく。


 足音が遠くに去ったのを確認すると、ダーマは大きく息を吐きだした。


 今回の事態は、これまで万全の体制を敷いてきた彼女をしても青天の霹靂であった。


「ネアン=エタルニア……」


 ダーマは壇上でそう名乗った女の姿を思い出しながら呟く。


 神託能力が現神王に次ぐ高さを持ち、庶民の出ながらも国防聖堂の巫女に抜擢された女。


 一方で個人的な気質は度を越した陰気で、聖堂巫女としての自己主張はおろか人付き合いすらほとんどない人物。


 今日以前までダーマが彼女に持っていた印象は、その程度のものだった。


「あの小娘が……まさか、裏でこのような反乱を企てていたなんて……」


 各勢力の動向には、常に目を光らせていた自分が裏を掛かれたことにダーマは歯噛みする。


 遅れを取った彼女の頭には、今の時点で取れる三つの選択肢が浮かんでいた。


 一つは徹底的に要求を無視し続けて、事態の陳腐化を狙う選択。


 向こうが暴力と言う手段に出て来ないのならそれを逆手に取って、事態が収束するのを待てばいい。


 人質も取らずに立て籠もっている以上は時間が経てば経つほど、物質的にも精神的にも消耗していくはず。


 しかし、現状がそうであるだけで向こうが暴力を使えないと決まったわけではない。


 加えて、今しがた聞かされた一部の民の支持を既に得ているという話。


 時間をかければかける程、それが更に広がっていく可能性は否定できない。


 仮に今よりも更に大勢の支持を得られてしまった場合は手遅れになる。


 もう一つは武力を以て早急の解決を行う選択。


 最も迅速且つ効果的な方法ではあるが、諸刃の剣でもある。


 相手は少数とはいえ、百戦錬磨の精鋭が揃っている。


 確実な勝利のためには国軍から多くの人や物を動員する必要がある。


 しかし、内乱の鎮圧に軍の介入を許したとなれば、その後の自らの立場が危うくなる。


 身一つでここまで登りつめた彼女として、それは国家の滅亡と同じく避けなければならない事態だった。


 故に三つ目の選択肢こそが彼女にとって、最も現実的な案であった。


 それは使者を送って、向こうとの対話の姿勢を見せる選択。


 国家の事実上のトップとして、逆賊との対話に応じるのは愚策との想いは当然ある。


 強い姿勢を見せなければそれこそ下に付け入る隙を与えかねない。


 だが、あの時に目の当たりにしたがそうせざるを得ないと彼女に思わせていた。


 開祖レナ=エタルニアのみが使えた時空を操る術、あの巫女が使ったそれが本物であれば話は根本的に変わってくる。


 現聖権保持者であるフリーデン=エタルニアはその正当性を失い、あの女こそが真の継承者であると誰もが認めざるを得なくなる。


 そうなった際に自分が最後まで現神王側に付いていれば、積み上げてきたものが全て失われる。


 ならば、どちらが勝った場合にも現状の権力を維持出来るように両者へと取り入っておくのが正解ではないだろうか。


 永劫教団の枢機卿としてではなく、ダーマ=カーディナルとしての身の振り方に彼女が葛藤していると部屋の扉が静かにノックされた。


「失礼します、猊下」


 入室してきたのはダーマの養女であるクリスティーナ=カーディナルだった。


「カーディナル一等武官、貴方ですか……。警備隊の仕事はどうしたのですか? 要人の警護についていなさいと貴方の隊にも通達があったはずでしょう」


 この一大事に持ち場を離れてきた娘にダーマが呆れる。


「申し訳ありません。ですが、猊下に折り入ってお願いしたいことが」

「今はそのような時ではありません。早々に自分の持ち場へと――」


 あの場で即座にネアンを取り押さえられなかった役立たずに用はないとでも言うように、ダーマはクリスに退室を促すが――


「私を使者として、天永宮へと行かせてください」


 クリスは強い意志を感じさせる瞳で母を見据えながら、そう強く言い切った。



 *****



 ――王都アウローラ地下、旧水道整備員詰所。


 地上と同じように、地下も大きな混乱の最中にあった。


「どうして計画を実行しなかった! 目の前にあいつらがいたんだぞ!」


 革命団の一人が別の仲間へと声を荒らげて詰め寄る。


「しょ、しょうがないだろ! まさか、巫女が反乱するなんて思わなかったんだよ!」


 胸ぐらを掴まれながら男が弁明の言葉を紡ぐ。


 本来であれば彼らは開会式で最初の襲撃を行い、その混乱に乗じて別働隊たちが王宮へと乗り込む予定だった。


 しかし、ネアンが先んじて行動を起こしたことで実行部隊は二の足を踏み、彼らの計画は初動から失敗に追い込まれてしまっていた。


「どっちもまとめてやっちまえば良かっただけだろうが!」

「で、でもよぉ……神王に権力を放棄しろって言うなら俺らの味方なんじゃ……って……」

「馬鹿かお前は! そんなことあるわけないだろ! 教団に関係する奴らは全員俺らの敵だ! それ以外にあるか!」

「そうだそうだ! この軟弱者どもが!」

「お、お前らだってあの場にいたら気圧されてたくせに!」


 動かなかった仲間への怒り、先を越された悔しさを男たちがぶつけ合う。


 教団への復讐という共通の目的を持つ集団ではあるが、所詮は烏合の衆。


 予想外の事態への対処を巡って、勢力は瞬く間に分断された。


 中にはネアン=エタルニアの行動に期待する声も僅かに上がり始めた頃――


「……落ち着け」


 静かな、しかし底冷えするような圧の声が地下に響いた。


 声の主は烏合の衆である革命軍において、事実上のリーダーとして君臨する男。


「身内で争ってどうする」

「で、でもこいつらがちゃんとやってたら今頃は……」

「過ぎたことをいつまでも引き摺るな。それより先のことを考えろ。まだ終わったわけじゃない」

「いや、でも……作戦の起点は開会式で、それが失敗したなら――」

「失敗……? 俺たちはまだここにいる。怒りも恨みも何一つとして欠けていない」


 リーダーの言葉に言い争っていた男たちが息を呑む。


 そう、命を賭してでもやり遂げると決めた。


 命がある限りは、全てを奪った教団への怒りがある限りは復讐に失敗はない。


「顔を上げろ。武器を取れ。お前らの恨みはその程度か? 先を越されたのなら、その混乱を利用してやればいい。敵はこの腐った肥溜めのような街中にいる」


 これまでも組織を纏め上げてきたカリスマが、分断しかけていた革命団を再び一つにする。


 彼らの復讐の炎はまだ消えていない。



 *****



 そして、反乱の影響はまた別の場所にも――


「はああああああッッ!!」


 第一特務部隊隊長レグルス=アスラシオンがショートソードを振るう。


 渾身の一撃は魔物の胴を両断し、巨体が地へと伏した。


 統率者個体の死骸が消えると共に、発生源である断層も虚空へと消失していく。


 永劫祭の開催中は国軍にも休暇が与えられるが、いついかなる時に現れるか分からない魔物に対処する特務だけは例外である。


 今も彼らは王都近隣の平原地帯に複数の断層が出現した報によって駆けつけてきた。


「まだ残存がいるかもしれない。周囲の警戒を怠るな」

「はっ!!」


 部下に指示を出しながら、レグルス自身も周囲の警戒へとあたる。


 しばらく捜索を続けた彼らは、残存が居ないことを確認してようやく一息ついた。


「総員! 警戒を解け!」

「はっ!!」


 国軍のどの部隊よりも洗練された動きで待機の陣形が組み上げられる。


 この統率力こそが、無敵の防衛力を誇る第一特務部隊の武器であった。


「これより拠点へと帰投する! 総員、長距離移動の陣形を――」


 騎乗したレグルスが部隊へと次の命令を下そうとした時だった。


「急報!! 隊長、急報です!!」


 西から騎乗した男がそう叫びながら駆けてきた。


 それは王都に待機していたはずの隊員の一人だった。


「どうした? 何があった?」


 命令を取りやめたレグルスが駆け寄ってきた男へと尋ねる。


 男は何度か大きく呼吸してから――


「お、王都で反乱が勃発しました!」


 少し前に王都で起こった出来事をレグルスへと告げた。


「反乱だって!? 首謀者と目的は!?」

「そ、それが……永劫祭の開会式で、巫女ソエル=グレイスが自分こそが聖権の正当な後継者であると宣言したそうです」

「なんだって!?」


 伝令の言葉にレグルスが慄く。


 それはただの反乱ではなく、現体制の転覆を目的としたクーデター以外の何物でもなかった。


「現在は第三特務部隊及び特務総隊長シルバ=ピアースを率いて天永宮に立て籠もっているようです」

「せ、先輩が!? それは本当か!?」


 続けて発せられたシルバの名前にレグルスが顔色を変える。


「はい……それ以上の仔細は不明ですが、これらは確定情報です」

「本当に先輩が……。そうか、それが貴方の決断ですか……」


 レグルスが祈るように天を仰ぎ見る。


「総員、我らはこれより王都へと向かう! 到着後、直ちに戦闘に入る可能性が高い! 心せよ!」

「はっ!!」


 深刻な表情のまま、彼は再び隊員たちに命令を下す。


 隊員たちも、魔物災害への救援に向かう時以上の険しい表情で手綱を握る。


「ま、待ってください!!」


 騎馬隊が前進を始めようとした瞬間、陣形の隙間を縫って一人の少年がレグルスの前に躍り出た。


「君は、確か……」

「新入隊員のウィリアム=ストークスです!」


 それは総隊長シルバ=ピアースの指示で、急遽第一特務部隊に編成された少年だった。


「し、新入りの分際で差し出がましい真似をしてすいません! で、でも……ピアース総隊長が反乱なんて……きっと、何か理由があるはずです!」


 険しい表情で王都の方角を見据えているレグルスに、ウィリアムが訴えかける。


 裏の世界で暗躍する秘密結社と戦いながら自分とシオンを救ってくれた英雄。


 あの人が何の理由もなく、ただ国家に反逆なんてするわけがないと。


「あの人は本物の英雄です! 信じてください!」


 自らの言葉を信じてもらおうとウィリアムが頭を深々と下げる。


 まだ入隊して日は浅いが、彼は隊長であるレグルスのことも尊敬していた。


 尊敬する二人が事情も分からないまま敵対して欲しくないと必死に訴え続ける。


「ウィリアム=ストークス……君は……」


 対するレグルスは、馬上からそんな彼を見下ろしながら――


「とてもよく分かっているじゃないか!」


 と爽やかな笑顔で応えた。


「……え?」


 思っていたのとは異なる答えに、ウィリアムはポカンと口を開いた。


「遂に……遂にやるんですね! 先輩! 貴方が覇道を歩むというのなら、自分はどこまでもお供します!!」


 レグルスは、喜悦と興奮が入り混じった表情で手綱を強く握りしめる。


 彼がシルバに抱く感情は、憧れを越えて信仰の域にまで達していた。


 そんな神の如き人物が、あの腐敗した軍の長程度の立場に収まるわけがない。


 いずれは彼らに牙を剥き、もっと高みを目指すはずだ。


 レグルスは彼がその覇道を邁進する日が訪れると確信していた。


「総員に告ぐ! 直ちに特殊作戦行動【銀】を発動せよ!」

「はっ!!」


 呆然とするウィリアムの周りで、掲げられていた大盾の隊旗が次々と銀槍の旗へと替わっていく。


 一体それがいつから用意されていたのか、何のために用意されていたのか。


 そんな疑問を浮かべる者は新入りのウィリアムを除いて一人も存在しない。


 急先鋒たるレグルスの下で、第一特務部隊は既に全員が敬虔なシルバ=ピアース信徒へと仕立て上げられていた。


「敵は王都にあり!! 全隊前進ッ!! 銀の槍を掲げよ!!」


 鞘から引き抜かれた剣が王都の方角を指し示す。


 洗練された騎馬隊が、一糸乱れぬ隊列のままで平原を進軍していく。


 取り残されたウィリアムは、唖然としながら「か、かっこいい……」と呟いた。

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