第33話:論より証拠
「気でも狂ったかソエル! この神聖な場で巫女風情が陛下に何たる無礼を! 警備は何をしているのですか! さっさとその痴れ者を捕らえなさい!」
いつまでも出てこない警備に、枢機卿ダーマ=カーディナルが痺れを切らす。
彼女はその場で立ち上がると、袖で足止めされている警備に直接命令を下した。
しかし、それを受けても警備兵たちの足は前に進まない。
立ちはだかる二人は魔物相手とはいえ実戦経験が豊富な歴戦の猛者。
対して、自分たちは訓練を積み重ねてはいるものの実戦経験が全くない。
この人数差であっても、正面から戦って勝てるイメージが全く湧いてこなかった。
特に、いつの間にか鎧を脱ぎ去って下着のような格好をしているナタリアには畏怖に近い感情を抱いていた。
「ま、待て枢機卿……手荒なことはよせ……まずはソエルの話を聞いてからでも――」
神王フリーデンは自らが批難されたにも拘わらず、あくまで対話の姿勢を見せようとするが――
「陛下! このような輩に譲歩をするような態度を取ってはなりません! どのような考えがあろうと、こやつは今陛下と聖典を侮辱したのですよ! そのような狼藉者には例え民衆の前であろうと、この場で厳罰を以て償わせる他ありません!」
その言葉を遮って、ダーマがまくし立てるように叫んだ。
彼女にとって、この場で最も重要なのは自らの手駒である王の威光を守ること。
近隣国の賓客が見守る中で彼が侮辱されたのを黙って見過ごせば、自らの築き上げてきた体制が揺らぐ可能性が生まれる。
いくら聖堂巫女が相手であれ、この場で斬り伏せるのもやむ無しと考えていた。
「……はて、私がいつ聖典を侮辱しましたか?」
一方のネアンはダーマの言葉に対して、惚けるように首を傾げる。
国家的祭事の開会式において元首を批難し、国家そのものを敵に回した直後とは思えないほどの余裕。
その不気味さに警備の者たちは更に突入を躊躇する。
「この小娘がぬけぬけと……開祖より選ばれし純血の永劫の徒である陛下に、聖権を奉還せよなどと――」
「それはこちらの言葉ですね。聖典にはこの国の王は、永劫教の開祖であるレナ=エタルニアから執政の権利……すなわち聖権ですね。それを一時的に預かっている立場であると記されています。つまり、真に聖典を遵守するのであれば、彼女の正当な後継者が現れた場合はその権利を奉還するのが道理ではありませんか?」
「はっ……何を言うかと思えば、正当な後継者だと? それこそが現神王陛下であろう。まさか、自分がそうだなどと思い上がったことを言うのではないでしょうね? 巫女風情が、立場を弁えなさい!」
ダーマが吐き捨てるように言う。
教団において教主たる神王に次ぐ序列二位の立場であり、若き王に代わって国家の舵取りをも行っている事実上のトップ。
俗人からすれば遥かに高みの存在である聖堂巫女を指して、『巫女風情』と言い切れるだけの権力が彼女にはあった。
今この場で起こっている騒動も彼女からすれば、自己を過信した巫女が自棄を起こした程度の事案。
騒動を逆手に取り、この場で連中を斬り伏せれば体制の盤石さを国内外に主張出来る機会であるとさえ考えていた。
「さて、果たしてそうでしょうか……?」
「なんだと……」
そんな絶体絶命の状況にありながら、尚も強気な態度を崩さないソエル。
まるで勝算があるとさえ考えていそうな彼女に、ダーマが眉をひそめる。
「まあ、論より証拠といいますか……見てもらえば早いでしょう」
ソエルがそう言って、シルバへと目線で合図を送る。
それを受けた彼がどこかに合図を出すように手を上げた直後――
凄まじい爆発音と共に、大聖殿の天井に大きな亀裂が走った。
遅れて事態を理解した聴衆から次々と悲鳴が上がる。
彼らが逃げる判断を下す前に再度爆発音が鳴り響き、崩落した天井が無数の瓦礫となって聖殿中に降り注ぐ。
舞台と観客の間に立つ儀仗兵たちが、杖を天に掲げて貴賓席を防壁で守ろうとする。
そんな狂乱の中、壇上の巫女だけが全てが予定通りであるかのように平然としていた。
そして、彼女がすっと手を前方に掲げると――
「と、止まった……?」
聴衆の一人が自らを押しつぶそうとした瓦礫を見上げながら呟いた。
聖殿中に降り注ぐはずだった数多の瓦礫は、その全てが宙空で停止していた。
まるで
「改めまして……自己紹介をさせて頂きます」
瓦礫のみならず、全てが停止したような静寂の中で壇上の巫女が口を開く。
停止していた瓦礫がゆっくりと浮かび上がる。
今度はまるで時間が巻き戻っているかのように、不可逆だったはずの破壊が修復されていく。
「私の名前はネアン=エタルニア。永劫樹により定められし聖権の真なる後継者です」
ソエル=グレイス改めネアン=エタルニアがそう宣言したのと同時に、大聖殿は完全に元の姿を取り戻していた。
天井には僅かな傷跡すら残っていない。
その場にいる全員が、魔法の域を遥かに越えた奇跡を目の当たりにした。
にも拘わらず、歓声や喝采は起きなかった。
未だに誰もがその現実を飲み込めていない。
建国の祖にして、人類を救った英雄レナ=エタルニアだけが使えた時空を操る術。
それは今を生きる者たちにとっては、伝承や御伽噺にしか存在しないはずだった。
「ま、まやかしだ! こんなもの! あ、貴方たち! さっさとその不届き者の詐欺師を捕まえなさい!」
ダーマが警備たちに命令するが、彼らはその場から一歩も動こうとしない。
自分たちの領分を遥かに超えた話を前に、警備たちはただ立ち尽くすしか出来なかった。
「詐欺師……? あらあら、異な事を申しますねぇ。早くも耄碌して先程の奇跡が見えなかったのでしょうか? では、またまた改めて宣言させていただきましょう。この『時空間魔法』の力を有する私こそが、真のエタルニアの血統です。どちらかと言えばそっちのお坊ちゃんが紛い物です。紛い物というか、貴方のお人形と言った方が正しいですか?」
自らの正当性を見せつけるようにネアンが改めて宣言する。
言葉を失ったダーマは唇を強く噛みしめる。
確たる証拠など、出てくるはずがない狂気に囚われた女の妄言のはずだった。
だが、現実に真の奇跡が数千人の前で披露されてしまった。
ダーマは誰よりも教義を読み込み、それを上手く利用して台頭してきた。
だからこそ先刻のあれが本当に賢者レナと同じ力であるならば、教義上の理がどちらにあるのかは彼女が最も理解していた。
「ん~……? いつもは私のことを胸ばかり育った無口な陰気女だとか言ってましたけど、今何も言えずに黙り込んでしまっているのはどちらの方ですかねぇ~?」
個人的な恨みを晴らすようにネアンが言う。
ダーマは隣で衝撃のあまりに言葉を失っているフリーデンを見やる。
彼女はこの少年に十年以上の時間をかけて多くを注ぎ込み、他の候補を退けて玉座にまで押し上げた。
執政能力のない当人に変わって自分が教団の実権を握り、もはや仇をなす者は一人もいないはずだった。
「こ、の……小娘がぁ……」
これまで積み上げてきた全てが、目の前の小娘一人に崩壊させられるかもしれない事実に、ダーマは怒りを露わにする。
逆転した状況下で、少しずつ落ち着きを取り戻しはじめた教団の人間が口を開いていく。
『これは……一体どうなっているんだ……? あの巫女が賢者レナの正当な後継者だと……?』
『そんな馬鹿な……エタルニアの血族が王族を除いて存在するなど……』
『し、しかし、先の魔法は紛れもなく開祖のそれだった……王族にすら継承されていないものを何故あの女が……』
『あの巫女の言葉が事実であるとすれば……教義に則り、聖権をあるべき場所に返すべきということに……?』
『馬鹿な、今さら二千年前の話を蒸し返す必要がどこに……そんなことをすれば国中が大混乱だ……』
まだ戸惑いと疑心が大半を占めているが、単なる逆賊から一転して議論の俎上へと載った時点でネアンの目的は果たされていた。
「さて、私から皆様にお伝えしたいことは以上となります」
ネアンは聴衆へと一礼すると、再びフリーデンとダーマの方へと向き直る。
「私の望みはお伝えしました。民が健やかに暮らせる国家の実現のために、現神王陛下におきましては賢明な判断を下してくれることを願っています」
ネアンは一礼すると壇上から下り、護衛の二人を連れて去っていく。
その間に言葉を発する者は誰一人としていなかった。
誰しもがまだ、今この場で起こった出来事の全てを飲み込めずにいる。
発端であるネアンだけが満足げな表情で大聖殿を後にする。
ダーマは爪が肉に突き刺さりそうな程に拳を強く握って感情を押し殺す。
クリスは自分のすぐ側を通って去っていく友人を複雑な感情で見送る。
こうして聖歴二千年の永劫祭は、空前の波乱の中で幕を開けた。
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