第32話:開会式

 暦は新たな年を刻み、神聖エタルニア王国は記念すべき建国二千年目を迎えていた。


 この国では新年の頭に、建国の記念と永久の繁栄を祝う大祭『永劫祭』が行われる。


 今、その開催の儀が行われる大聖堂には永劫教の敬虔な信徒たちがひしめいている。


 数千もの大観衆が注目する壇上には、各聖堂の大司教と巫女が代わる代わる登壇し、王国の繁栄の祈る祝辞の言葉が述べられていく。


「――王国に永久なる平穏と繁栄があらんことを」


 文化聖堂の巫女が式辞を終え、護衛の武官と共に自席へと戻っていく。


 その光景を舞台の袖から眺める者が一人。


「こんな特等席でお偉方の挨拶が見られるとは役得役得」


 国軍所属特務総隊長シルバ=ピアースが上機嫌に言う。


 呑気に開会式を眺める彼の周囲では、大勢の警備員たちが神経を尖らせている。


 その数はこの舞台袖だけで三十人以上。


 神王や枢機卿をはじめとした国家中枢陣に、近隣国の来賓が一堂に会する場の警備としてはそれでも多すぎはしない。


 舞台袖だけでなく、壇上から聴衆の間も儀仗兵が文字通り壁となって隔絶している。


 現時点で、彼らのいる場所は世界で最も安全な場所といっても過言ではない。


 次の巫女が壇上に上がるのをシルバが眺めていると、彼の背後から知った声が聞こえた。


「な、ななな……なんで貴様がここにいる!?」


 ともすれば舞台袖から漏れそうなほどの大声。


 警備長のクリス=カーディナルが、そこにいるのがありえない仇敵の姿に大きな戸惑いを見せる。


 丸々と見開かれた目の中で、髪と同じ色の瞳が所在なげに揺らいでいる。


「しーっ……大声を出すなよ。舞台で巫女様が喋ってんだから。教理聖堂の巫女もなかなかの美人だよなぁ……」


 クリスを正論で諌めながら、シルバは壇上に立つ巫女をまじまじと見つめる。


「ご、誤魔化そうとするな! どうして貴様がここにいるのかと聞いている! ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ!」

「なんでって……お前が許可を出してくれたんだろ?」

「は? 私がお前に許可? そんなものを出すはずが――」

「いや、あそこのナタリアの許可証に付添人を一人まで可って……ほら」


 シルバが懐から一枚の書状を取り出し、クリスの見えやすい位置へと掲げる。


 その書面には関係者としての開会式への入場を許諾される旨の文章と、警備長クリス=カーディナルの署名がはっきりと刻まれていた。


「な、なんで貴様がこれを……」


 自らの署名が入った入場許可証を前にクリスが打ち震える。


 それは彼女が友人である巫女ソエル=グレイスの頼みを聞き入れ、彼女の付き人用にと発行したものだった。


「ナタリアが心細いから俺にも来てくれって言われたもんでな。ほら、偉い連中に囲まれてガッチガチに緊張してるあいつを見てやれよ。なかなかレアだぞ」


 そう言って、シルバは舞台上を指差す。


 各聖堂の巫女が並ぶ座席、国防聖堂の巫女ソエルの真後ろでは聖堂から貸与された白銀の鎧を纏ったナタリアが固まっていた。


「ぐっ、ぬぬ……まさか貴様の手に渡るなんて……」

「理解したならさっさと自分の仕事に戻れ。俺は特等席で開会式を観覧させてもらうから」


 自ら正当な手続きにおいて発行した許諾を、この場で取り消す権限はクリスには無い。


 彼女はただ、苦虫を噛み潰したような顔でシルバを睨みつけることしか出来なかった。


「……何か問題を起こせば、すぐに叩き出してやるからな」


 クリスはそう言って、有言を実行に移すべくシルバの真後ろを陣取る。


 舞台上では、登壇していた教理聖堂の巫女が最後の挨拶を終えて自らの席へと戻っていくところだった。


 万雷の拍手が鳴り響く中、続いて式辞を述べる国防聖堂の巫女ソエル=グレイスが立ち上がる。


 彼女の一歩後ろを、付き人に抜擢されたナタリア=ノーフォークが並進する。


 壇上に着いたネアンが、堂々たる風格で観衆の顔を見渡す。


 彼女は二ヶ月前に自分が宣言した言葉を内心で思い起こしながら、第一声を発した。


「親愛なる王国民の皆さん、人類が暗黒の時代を抜け出してから二千年……今日という日をこの場で迎えられたことをまずは感謝致します」


 大聖殿を埋め尽くす数千人の視線が、壇上の彼女へと注がれる。


「さて、本来はここで他の方々と同じく祝辞を述べさせて頂く予定でしたが……今日は皆様に私自身の言葉を聞いてもらいたいと思います」


 その言葉に一部の者たちの拍手の手が止まる。


 彼女が今しがた口にしたのは、全く予定にない言葉だった。


 その事に気がついた関係者の中で、小さなざわめきが徐々に起こり始める。


「今日、この日からちょうど二千年前……滅尽の邪神を封印した賢者レナはこう述べました。『人類の灯火はまだ消えていない。あの戦いを越えて今日まで生き残った私たちは同胞となり、この地に国を築こう。誰もが永久なる平穏を享受できる神聖不可侵な私たちの国を』……と」


 不測の事態に、儀典聖堂をはじめとした各聖堂の人間が戸惑いの声を上げ始める。


 あの巫女は何をしている。


 こんなのは予定にないぞ。


 おい、どうなっている。


 しかし、彼らはただ戸惑い言葉を述べるだけで誰も対処しようとはしない。


 聴衆たちも壇上の異変を察したのか、ざわめきは次第に大聖殿全体へと波及していく。


 その間にもネアンは前もって用意されていた原稿ではなく、自分の言葉を述べ続ける。


「封印術の影響により彼女は志半ばで倒れましたが、その意志と力は一族の者に引き継がれました。皆様も当然ご存知かと思われます……現神王陛下に連なる血統です」


 ネアンが一度言葉を切り、主催席の中央に座る若き神王を目線で示す。


 彼は自分の話が出ても、未だ事態を飲み込めずに唖然としている。


 一方、その隣に座している枢機卿ダーマ=カーディナルは不穏な気配を察して即座に行動へと移った。


 静かな怒りに顔をしかめながら、彼女は近くの武官に何かを伝える。


 その言葉はすぐに舞台袖で控える兵士たちへと伝わり、各員が武器を手にし始める。


 そんな中、最初にその命令を受け取ったクリスだけは呆然と壇上の巫女を見上げていた。


「しかし、今のこの国はどうでしょうか? 一部の国民はその日の食事を取るのにも命を削るような労苦を重ねています。彼らが日々育てている作物は、収穫の十分の一ほども手元に残りません。それはどうしてか? 僅かな金品さえも彼らは魔物災害から、自身を……あるいは家族を守るために使わなければならないからです。それは本来国家の責務ではありませんか? 国家とは民によって成り立っているのですから」


 不穏な気配の中でも臆さずに、ネアンは壇上で更に言葉を紡いでいく。


 彼女問いかけに、一部の民衆からほんの少しではあるが同意の相槌が起こり始めた。


「ですが我が軍は当初、魔物から民を守る特務部隊の設立にさえ不快感を示しました。魔物の対処など格式ある国軍の仕事ではないと。一部の心ある者の尽力により、今でこそ魔物災害への対処を行う特務部隊は存在しますが、その人員はまだ到底足りているとは言えません。私も国防聖堂の巫女としてこの現状には忸怩たる思いを抱いております」


 いつの間にかざわめきは消え、聴衆はネアンの言葉を静かに聞き入っていた。


「さて……そんな日々を過ごすにも苦労されている人民の方々とは逆に、上層では一部の特権階級の者が教義の名の下に野放図となっています。先日発覚した元国軍所属のヴォルム=ブラウンの事件は、まだ皆様方の記憶にも新しいでしょう。あれはこの国を巣食う病理のほんの一部にしか過ぎません。彼らは予言や教義を都合良く利用して私腹を肥やすだけでは飽き足らず、時には保身のために人の命さえも切り捨てます。まるで下民などいくらでも生えてくるかと言うように、あっさりと。果たしてこのような現状が、本当にレナ=エタルニアの望んだ永久なる平穏の世界でしょうか?」


 命令さえあれば兵士たちは今すぐにでも袖から飛び出して、体制批判を続ける巫女を拘束する準備が出来ている。


 だが、その命令を下す権限を持つクリスはまだ迷っていた。


「グレイス様! 何をしているのですか! やめて下さい!」


 舞台袖からクリスが壇上へと向かって叫ぶ。


 しかし、ネアンは必死の説得を一切解さずに演説を続ける。


 まるで悪い夢でも見ているかのように、壇上のネアンを見つめるクリス。


 確かに、彼女の知っている巫女ソエル=グレイスは危うい人物ではあった。


 二人で何度も国のことを語り合った際も、大衆寄りの彼女はともすれば体制批判とも取れないこと幾度も口にした。


 そんな博愛の精神にクリスも共感し、好感を持つこともあったが、この場で永劫祭の開会式。


 数千人の信徒に、近隣国の国賓たち、更には体制そのものである神王に連なる国家中枢権力が一堂に会している。


 二人きりの密室での発言とは意味が全く異なる。


 どうにかやめさせようとクリスは何度も叫ぶが、壇上のソエルには届かない。


 彼女はクリスと二人で話した時と全く同じ様に、自らの想いを聴衆へと伝え続ける。


「いえ、私は断じて違うと言い切ります! そして、このような国にした責任は一体誰にあるのか! それも私は断言致しましょう! それは現神王フリーデン=エタルニアに在るものだと!」


 言葉ではもうどうしようもないと判断したクリスが、葛藤の末に警備隊へ指示を出す。


 指示を受けた者たちが巫女を拘束すべく壇上へと向かおうとするが――


「おっと、人の演説は最後までちゃんと聞くのがマナーだぞ。ここからが良いところなんだから邪魔すんなよ」


 これまでは黙って事の成り行きを眺めていたシルバ=ピアースが、彼らの前に立ちはだかった。


 その手には先程までなかった銀の槍が握られている。


「し、シルバ=ピアース……」


 警備の武官たちが、その圧倒的な凄みに足を止める。


 舞台上では、逆側の袖から向かおうとした者たちもナタリアに足止めされている。


「隊長! 本当にこれでいいんですよね!? 間違っていないんですよね!?」

「ああ、大丈夫だ! 俺たちを信じろ!」


 不安に声を震えさせているナタリアに向かってシルバが言う。


 その言葉を聞いたナタリアは強い決意を固めて、相対する警備たちと向かい合う。


 断固として、ソエルの下へは近寄らせないと。


「ピアース! 貴様! 自分が何をしているのか分かっているのか!?」


 騎士剣を抜いたクリスが、怒気を露わにシルバへと叫んだ。


「あいつが話し終えるまで邪魔すんなって言ってるだけだろ。そのくらいは許してくれよ。儀典聖堂ってのは随分と狭量だな」

「どうしても退かぬと言うのであれば、私が今ここで貴様を斬り伏せて否が応でも彼女の下へと行かせてもらう!」


 どうして、どうして、どうして……。


 怒りと戸惑いに塗れたクリスの瞳は、目の前のシルバではなく依然として壇上のネアンへと向けられている。


 教団としても出来れば事を大きくしたくはないはず。


 今すぐに拘束すれば、まだ軽い罪で済む可能性も残されているかもしれない。


 クリスは一人の友人として、ソエルを止める決意を固めるが――


「出来るもんならやってみな、と言いたいところだけど……もう手遅れだな」


 混乱の隙を突いて、壇上では決定的な言葉が宣告された。


「彼の者が建国の祖たるレナ=エタルニア……ひいては永劫樹から預かりし聖権を、正当なる後継者に奉還すべきであると私は宣言します! 連綿と続くこの悪しき継承に、終止符を打つときが来たのだと!」


 ほんの少し前までは喝采と熱気に包まれていた大聖堂が、一瞬にして水を打ったように静まり返る。


 言葉の意味を理解した者たちの顔から血の気が引いていく。


 聴衆も、各聖堂の連中も、主催席の枢機卿の顔からも。


 クリスに至ってはその場で膝から崩れ落ちそうなほどの絶望に顔を染めた。


 今の言葉を要約すると、こうなる。


『現神王はその王たる権利の一切を返上しろ』


 巫女ソエルとシルバたちは今この瞬間、神聖エタルニア王国に反旗を翻した。

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