第31話:友達
クリスがソエルから最初の食事の誘いを受けてから二週間。
「カーディナルさ~ん! 今日もご飯を一緒に食べませんか~!」
あの日以来、彼女はまるでクリスを待ち伏せしているかのように現れては――
「クリス=カーディナルさ~ん! 今日も――」
クリスを二人きりの食事に誘い続けた。
「クリスさ~ん! きょ――」
国防聖堂と儀典聖堂――対立する組織間の二人の交流は周囲からも奇異の目で見られたが、クリスはその誘いを受け続けた。
天永宮内で、あの二人はデキてるんじゃないかという百合色の噂が流れ始めたのは、二人がちょうど六回目の食事を共にした頃だった。
「はい、あ~ん!」
「あ、あ~ん……」
ソエルがフォークの上に乗せたケーキをクリスの口内へと運ぶ。
胃もたれしそうなくらいに甘いそれを、クリスは数度咀嚼してから嚥下する。
「美味しいですか?」
「は、はい……とても甘くて……」
身悶えしそうな程に羞恥を堪えながらクリスが答える。
彼女がこの天永宮、ソエルの私室を訪れるのは最初の食事から数えてこれで六度目になる。
これまでは単に宮殿付きの料理人による夕食を二人で顔を合わせて食べるだけだった。
テーブルに並ぶのはいつも、巫女のために作られた上質な料理ばかり。
聖堂の一等武官であるクリスからしても、それらは日頃食べている物とは隔絶の代物だった。
彼女はそれが主目的ではないと内心で言い訳しながらも、ソエルから誘いを受ける度に今日はどんな料理をご相伴に預かれるのかと期待していた。
しかし、六度目となる今回は全く想像もしていなかった代物が彼女の前に現れた。
それがこの、まるで山嶺を思わせるほどに巨大なケーキ。
「さあさあ、まだまだ沢山ありますから! はい、あ~ん!」
ソエルがまたケーキの一部を切り取り、フォークに乗せてクリスの元へと運ぶ。
「あ、あ~ん……うっ……」
「だ、大丈夫ですか? お腹いっぱいなら残しても大丈夫ですけど……」
「い、いえ……まだ食べます! 食べられます!」
食後のデザートとしては異様な量のそれにクリスは限界を迎えつつあったが、それでも彼女には限界を越えてでもそれを食べなければいけない理由があった。
その理由とは、ケーキの上に載せられた『祝・全軍合同武術競技会最優秀個人賞!』と書かれたプレート。
ケーキはクリスの競技会優勝を祝いたいと、ソエルが自らの手で作り上げた代物だった。
決して上等な味とは言い難い糖分の塊を、クリスは必死に胃袋の中へと送り込んでいく。
朦朧とした意識の中で彼女は考える。
最初の誘いを受けたのは、押しの強さに負けて無理やり連れて来られたから。
その後の誘いを受けたのは、儀典聖堂の官史の一人としてこの変な巫女のことを知るべきだと考えたから。
そして、六回目となる今回は――
「ご、ごちそうさまでした……」
巨大なケーキを全て腹に収めたクリスが、椅子にもたれ掛かって天を仰ぐ。
「お粗末様でした。それにしてもよくあれだけの量を一度に……すごいですね」
自分で食べさせたにも拘わらず、ネアンが驚愕に目を丸くする。
「せっかく作って頂いたものなので……。それに、競技会のことをこれだけ祝福してくれたのはグレイス様だけだったので、それが嬉しかったのもあります」
限界を越えたぼんやりとした意識の中で彼女が本音を吐露する。
競技会で部隊を率いて優勝し、個人としても最優秀に選ばれた彼女だったがそれを心の底から祝福する者はいなかった。
部下や同僚たちは表向きは祝いながらも、裏では『ピアースが出なかったおこぼれを預かっただけ』と言っているのを知っていた。
何より、彼女自身がそれを最も悔しく感じていた。
「お母様からは……?」
「母からは、枢機卿としての形式的な言葉をもらっただけです。そもそも、長らく家にも帰らずに王宮の方で過ごされているので……最後に家族として会ったのはもう随分前のことです……」
「そうだったんですか……」
ソエルが持つ独特の和やかな雰囲気と、六度の食事を共にした親しみがクリスに心の奥底の淀みを吐き出させていく。
「二年前に目の前で醜態を晒して以来、母は私に期待するのをやめたみたいです……。今年こそはあの時の汚名を返上して、母の信頼を取り戻すために意気込んで臨みましたが……。因縁の相手は私のことをよく覚えてすらいませんでした……とんだ道化です」
自分はその為だけに死物狂いの努力を重ねてきたのに、超えるべき相手は自分の性別すら覚えていなかった。
あの時のことを思い返しながら、クリスは自らを嘲笑う。
「それは、ピアース総隊長のことですか?」
「はい、本当に憎らしい男です。私から奪った栄誉に興味がないどころか、それを自ら捨てるような真似をするところが……。あっ……も、申し訳ありません。目の前で部下のことを悪く言ってしまって……」
クリスが慌てて謝罪する。
目の前にいるのが彼の上役である国防聖堂の巫女であることを、彼女はすっかりと忘れてしまっていた。
「いえいえ、私の方も彼にはほとほと困らされてますから! もっと言ってあげてください!」
重たい空気を払拭するように、ネアンがおどけて言う。
「でも、正直言って……逃げてもらってほっとした私がいるのも事実です。彼と対面して、再び負ければ私は今度こそ全てを失っていましたから……」
「そんなことは……」
「いえ、私は剣以外に何の取り柄もありません。母が私を養女として選んでくださったのも、私がその点に置いて他の者より優れていたというだけです。だからこそ、その剣でも遅れを取った私を母は見限ったんでしょう。確かに汚名を返上する機会を目の前で逃して安堵している娘なんて、見限ってとうぜ――」
延々と紡がれていく自虐の言葉を止めるように、ソエルはクリスの両頬に手を当てた。
「あ……あにょ……にゃにか……?」
左右の頬肉を軽く潰されながらクリスが困惑の言葉をこぼす。
「私の友人のことを悪く言うのはこの口ですか……?」
柔らかい笑みを浮かべながらもその内に秘めた怒りに、クリスは背筋が凍りつくような寒気を感じた。
「そ、それはどういう……」
「そのままの意味です。先程から私の大事な友人であるクリスティーナさんのことを悪く言う方がいるのが我慢ならないんです」
「友人……?」
「はい、そう思っているのは私だけですか?」
ソエルがクリスの目を真っ直ぐに見つめる。
「私は巫女様とご友人になれる程、大した人間では……」
再び自分を卑下しはじめたクリスの手に、ソエルがそっと手を添えた。
「もう……貴方にもこのおまじないが必要みたいですね」
「おまじない……?」
「勇気が出るおまじないです」
それが前に正門前で信徒の男にしたのと同じ行動だと、クリスが一瞬遅れて気がつく。
「まず、ネガティブな言動はやめましょう! 自分で自分の価値を毀損してはいけません! 貴方は貴方なんですから。誰かと比べて、貴方の価値が毀損されることなんてありません」
人肌の心地よい温もりがクリスの手を包み込む。
断る理由はいくらでもありながら何度も誘いを受けた理由を、彼女はこの瞬間にようやく理解した。
自分は目の前に女性に、優しかった頃の母の姿を重ねているのだと。
まるで自分のことのように武術大会の優勝を祝ってくれたのも。
こうして手を取って励ましてくれたのも、かつての母が自分にしてくれたことだった。
「も、申し訳ありません……」
「友人同士ならそこは、『ごめん』と言って欲しいところなんですけどね」
「す、すみません……今後は善処します……」
「ぷっ……もう、そういうところですよ……」
尚も固い言葉使いにソエルが微かに吹き出す。
釣られたクリスも微笑を漏らす。
生まれて初めて出来た友人が、彼女の心の隙間を埋めていく。
そうして二人は、夜更けまで話し込んだ。
他愛のない雑談から国の未来を考えるような話まで。
「ああ、もうこんな時間……。楽しい時間は過ぎるのが早いですね」
窓の外から星々が浮かぶ空を見上げたソエルが言う。
時刻は既に日付が変わる寸前まで達していた。
「それではまた明日……と言いたいところですけど、明日からは永劫祭の予行等で忙しくなるので、しばらくはこうして二人だけでお食事というわけにはいきませんね」
「そうですね。祭事が終わるまでは私もまとまった時間を取るのは……」
聖堂巫女と祭場警備隊の長。
役割は違えど、二人には翌週に控えた永劫祭では重要な立場を任されている。
今日のような時間を過ごすのは、当分先のことになると互いに肩を落とす。
「クリスさんは開会式の警備長を任されているんでしたっけ?」
「はい、自分には光栄極まりない大役です」
「すごいですねぇ……もしかして最年少での抜擢なんじゃないですか?」
「そうかもしれませんが私ではなく、母のちか……っと、申し訳ありません……まだ自分を卑下するところでした」
「途中で気がついたんで許しましょう。とにかく、すごいことには違いありません」
「ありがとうございます」
「それに比べて私のお仕事といえば、登壇して祝辞を読むだけ……」
ソエルがテーブルの上にだらしなく上半身を預ける。
「か、各国の来賓の方々や大勢の信徒を前にしての式辞じゃないですか! 私よりも遥かに素晴らしいお仕事だと思います!」
「内容は予め用意された原稿で、私の言葉でもないですしぃ……。しかも、待ち時間がすごく長いんですよねぇ……なんせ全聖堂の司教と巫女の役割ですから。どうせ全員、同じような話しかしないのに……」
テーブルに身体を預けたまま、人にはネガティブな発言はするなと言ったその口でグチグチと不満をあらわにするソエル。
そんな彼女を見て、クリスは困ったように苦笑するしかなかった。
「隣に付いてくれる護衛の方も知らない武官のおじさんですし、せめて近くに気の許せるお友達でも居ればいいんですけどねぇ……」
そう言いながらソエルはクリスの方をチラリと一瞥するが……
「申し訳ありません。私は全体の指揮を任せれているので、個別で巫女様に付くのは……」
「ですよねぇ……こればっかりは仕方ありませんよね……」
ソエルが机上で大きな大きな溜息を吐く。
友人のそんな姿を見て、クリスは心苦しさを覚える。
思えば、最初に食事に誘われてから自分は与えられるばかりで何も与えていない。
どうにか力になってあげたいと思う彼女は、あることを思いついた。
「でしたら、馴染みの者を護衛に就かせるのはどうでしょうか?」
「えっ……そんなことが出来るんですか?」
クリスの提案を聞いたソエルが当惑の声を漏らす。
永劫祭の開会式は、使用される物品から人に至るまでの全てが儀典聖堂由来のもので成り立っている。
そこに対立関係の国防聖堂が入り込む余地は本来存在しない。
「護衛の者を一人くらいでしたら、そこまで問題はないかと」
「ほ、本当ですか?」
思いもよらなかった提案にソエルが身を起こす。
「登壇者の方が落ち着いて式辞を述べられるように、特例で親しい者を護衛を就かせたという前例がないわけではありませんから」
「でも、私の馴染みの方だと軍の者になりますけど……それは流石に難しいんじゃ……」
「確かに少し難しいかもしれませんが、私の権限であればなんとか出来ると思います。具体的にはどの者を考えていますか?」
「では、その……ナタリア=ノーフォークさんを護衛に付けてもらえれば……」
「ナタリ……ああ、彼女ですか」
直接の面識はなかったが、クリスはその名前を知っていた。
代々警察関係の高官を輩出しているノーフォーク家の長女。
本人は国軍、それも憎きシルバ=ピアースの第三特務部隊に所属しているが、彼女であれば上の説得も容易いとクリスは考えた。
「はい、彼女であれば年齢も近いですし……近くに居てもらえれば心強いんですが……」
「ノーフォーク家の者であれば尚更大丈夫でしょう。儀典聖堂でも彼女の親族とは面識のある者が多いですし。後の話は任せてください」
クリスは二つ返事で了承する。
「ありがとうございます。やっぱり、持つべきものはお友達ですねぇ」
ソエルがぱあっと満面の笑顔を浮かべる。
初めての友人のために良いことが出来たと満足げなクリス。
彼女はまだその行動がもたらす本当の意味に気づいていない。
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