第30話:正義のヒーロー

 槍を手にした男の姿を見た瞬間、ウィリアムの目の前にいる男の顔から笑みが消える。


 男が暗闇に手を伸ばすと、影が形を変えて黒色の槍となった。


 二人が同じ形状の武器を構えて向かい合う。


 一人は暗闇の中で佇み、一人は光を背負っている。


 同じ姿形をしているが、その違いが互いの立場を決定的に分けているように見えた。


 光と闇、善と悪、英雄と巨悪。


「ここが貴様の年貢の納め時だ! 行くぞ! ミツキ! アカツキ!」


 光を背負う方の男が叫ぶと、その背後から二人の少女が現れた。


 その二人もまた鏡写しのようにそっくりで、ウィリアムは目の前で繰り広げられている光景が夢か現か幻なのか判断がつかなくなっていた。


「善良な市民を脅かす悪党は!!」


 白い肌の少女が流暢な口調で言う。


「こ、この……だ、第三特務部隊が……」


 褐色の肌の少女が拙い口調で言う。


「「成敗してくれる!!」」

「し、してくれるー……」


 三人は言葉を重ねると同時に闇へと立ち向かう。


「くそっ……後少しというところで、また貴様らか! 第三特務部隊!」


 闇の男が顔を歪めて毒づく。


「だが、追い詰められているのは果たしてどちらの方かな……?」


 続けてそう言うと、背後の暗闇から男の手下と思しき者たちが次々と現れる。


 ウィリアムの見える範囲だけでもその数は十人を優に越えていた。


 たった三人でこんな大人数に勝てるわけがない。


 ウィリアムは猿轡越しに何度も逃げろと叫ぶが、彼らは多数の敵を前にしても退く気配がない。


 それどころか、自ら武器を手に敵の中へと突貫した。


 もうダメだ、とウィリアムは惨劇から目を背けるように瞼を閉じる。


 幾重の剣戟の音が耳をつんざく。


 しかし、いくら経っても三人の悲鳴は聞こえて来なかった。


 一体何が起こっているのかとウィリアムは恐る恐る瞼を開く。


 そこで彼の目に飛び込んできたのは――


「ぐ、ぐあああああああ!!」


 最後に残った悪党の一人が、銀の槍で叩き伏せられる光景だった。


「追い詰めたぞ! 首謀者マスターマインド!」


 槍を構え直した男が、自身と瓜二つの首謀者と呼んだ男と向かい合う。


「悪の栄える世は決して来ない! 観念しろ!」

「も、もう……にげ、逃げられないわよー……」


 二人の少女も武器を構えて首謀者を包囲する。


 周囲には男の部下たちが、苦悶の声を上げながらうずくまっている。


 状況は完全に逆転していた。


「く、くそぉ……第三特務部隊めぇ……」


 追い込まれた男が悔しそうに歯軋りする。


 三人の包囲がじわじわと男へと迫りつつある。


 ウィリアムはいつの間にか、心の中でこう叫んでいた。


 頑張れ! 第三特務部隊!


「しかたない……ここは退却だ! また会おう! 第三特務部隊……いや、シルバ=ピアースよ!!」

「しまった! ミツキ! アカツキ! あいつを逃がすな!」


 シルバと呼ばれた男の号令で、二人の少女が男に飛びかかる。


 しかし、男は服の内側から何かを取り出すと闇の中へと溶けるように消えていった。


「くそっ……また逃げられたか……」


 男が消えた場所に立ち尽くしながら、今度はシルバが悔しそうに歯噛みする。


「に、逃げ足だけは……いつもはやいやつねー……」


 褐色の少女がやたらとたどたどしい喋り方なことに、ウィリアムは気づいていない。


 彼の目は、銀の槍を持つ英雄へと釘付けになっていた。


「ミツキ、彼の拘束を解いてやってくれ」

「りょうかーい!」


 ミツキと呼ばれた少女の一人が、ウィリアムの後ろに回り込む。


 そのまま短剣を器用に使って、身体を傷つけないように縄が解かれていく。


「あ、ありが……うっ……」


 拘束を解かれたウィリアムが立ち上がろうとするが、足に上手く力が入らずによろける。


「おっと……大丈夫か?」


 転びそうになったウィリアムの身体をシルバが支えた。


「す、すいません……ありがとうございます……」

「君を巻き込んでしまって済まない」


 シルバが沈痛な面持ちでウィリアムに頭を下げる。


「そ、そんな! 頭を下げないでください! 俺が勝手に飛び出しただけで!」

「いや、俺が事情の説明を出来なかったのが全ての原因だ。謝らせてくれ」

「それで、さっきのあいつ誰なんですか? その……同じ顔を……」

「そうだな……君も今や無関係じゃない。知っておいた方が良いだろう」


 険しい表情のシルバを見て、ウィリアムはゴクリと唾を飲み込む。


「奴こそが俺たちが長年追っている敵、無貌結社の首謀者だ」

「あ、あいつが結社の……!?」

「ああ、無貌の名が示す通り……複数の顔を使い分けて闇の世界で暗躍する男だ。どうやら、最近は俺の顔がお気に入りらしい。君が以前に接触した時も俺の顔だったんだろう」

「複数の顔を……そうか、そういうことだったのか……」


 ウィリアムの中で、パズルの空白にピースが埋まっていく。


 カイルが尊敬していると言った人物と死霧の島で自分を脅迫した男。


 その二人が別の人間であればおかしな点に説明がつく。


 そして、それが事実であるとたった今自分の前で証明された。


「あ、あの! シオンは! 俺の妹は無事なんですか!?」

「大丈夫だ。別働隊が事情を説明して避難してもらっている」

「避難……良かった……本当に良かった……」


 妹の無事に安堵したウィリアムが脱力し、倒れるように椅子に腰を落とす。


「アカツキ、彼を安全な場所へ」

「はいはい……」


 支持を受けたアカツキが、ウィリアムを立ち上がらせようとする。


「じ、自分で立てるから大丈夫……です……」


 アカツキの手を借りずに、もう一度自力で立ち上がるウィリアム。


 彼は事後処理へと移ろうとしていたシルバの背を追い、その前に立つと――


「俺を……貴方の部隊に入れてください!」


 頭を深々と下げて、弱った身体で目一杯に声を張り上げてそう言った。


「あんな無礼をして都合が良いのは分かってます! でも、もっと強くなりたいんです!」


 更に頭が深く下げられる。


 碌な実力も持たずに危険な世界に足を踏み入れて、守るべきはずだった妹を危険な目に晒した。


 ウィリアムは自分がこれまでひどく狭い世界で生きてきたことを思い知った。


 そんな自分でもこの人の下で鍛えてもらえば、きっと妹を守れるくらいに強くなれる。


 そして、いずれはこの英雄の一助になりたいと心の中で願った。


「半端な覚悟で言ってるわけじゃないみたいだな」

「はい! 俺、貴方みたいになりたいんです!」

「……特務の訓練は厳しいぞ?」

「そ、それじゃあ……」


 ウィリアムが頭を上げて、シルバの様子を伺う。


「まずは剣の握り方からだな」

「あ、ありがとうございます! 俺、精一杯頑張ります!」


 こうして、ウィリアム=ストークスがシルバ=ピアースの新たな仲間に加わった。


「とりあえず、今日のところは妹の様子を見に行ってやれ。具体的な話は明日からだ」

「はい! 本当にありがとうございました! 絶対、期待に応えます!」


 ウィリアムは何度も何度も頭を下げながら、アカツキに連れられて地下室から出ていく。


 出る直前に、シルバとアカツキの二人が


「これ、高くつくから」

「うす……」


 と意味深なやりとりをしたのは、彼の耳には届いていなかった。


 目指すべき英雄と出会った彼は浮かれた足取りで階段を登っていく。


 こうして苦難を乗り越えて一人の若者を救ったが、シルバの旅路はまだまだ続く。


 世界に悪が蔓延る限り、第三特務部隊の戦いは終わらない……。



 *****



 ウィリアムの姿が見えなくなったのを確認して、手のひらを打ち鳴らす。


「はい、カットー!」


 その言葉に反応して、一帯に転がっていた死体たちがのそのそと身を起こし始めた。


「見てたか? 俺のやられっぷり」

「いや、俺の方がよかったね」

「俺の断末魔が一番だったろ」


 迫真の演技を終えた彼らは、各々がその出来の程を話し合う。


 地下室内は瞬く間に、打って変わっての大賑わいとなった。


「お疲れ様でしたー。どうぞー」

「あっ、どうも」

「ミツキちゃーん、こっちにもちょうだーい」

「はーい、どうぞー」


 ミツキが起き上がった雑兵役の各人に水入りのボトルを配っていく。


 そんな中で今度は中央のセリが駆動音を立てて持ち上がり、俺と同じ顔をした男が地面の中から現れた。


「監督、俺の演技はどうでした? 即興芝居にしてはなかなかのもんだったんじゃないですか?」

「もう少し演技に抑揚が欲しいところだったが……総評としては、まあまあ良かったな。ご苦労だった」


 そう言ってやると、男はよしっと拳を握った。


「お兄ちゃんお兄ちゃん! 私は!? 私はどうだった!?」

「お前は最高だ! この名女優め! 今年のオスカー像はお前のもんだ!」

「わーい! よく分かんないけど褒められたー!」


 双子の姉はとんでもない大根役者だったが、ミツキのおかげで上手く誤魔化せた。


 褒美とばかりに髪の毛がくしゃくしゃになるくらい頭を撫でてやる。


 以前に街で有名劇団からスカウトされた話も聞いたし、見る者が見れば分かるほどの才能があるようだ。


 全部終わって平和な世界になったら、その道に進ませてやるのもいいかもしれない。


「いやぁ、しかしすごいっすね。あの魔法の鏡。顔も声もこんなにそっくりにするなんて……俺、このままでしばらく過ごしてもいいっすか?」

「ダメだ。同じ人間が二人いるなんて気持ち悪い。元の顔に戻すから動くなよ」


 服の内側から手鏡を取り出して、男へと向ける。


 写身の鏡ミラーリング・ミラー――両面に鏡のついた手鏡で、表面に映した者を裏面に写した者の姿へと変化させるユニークアイテム。


 ステータスはそのままなので搦め手専用の道具だが、何かの役に立つかもしれないと先日の旅で入手しておいたのが功を奏した。


「ちぇっ……んじゃ、おつかれっしたー。お前らも上がるぞー」


 元の姿に戻って残念がる男が、他の連中を連れて逆側の出口から退出していく。


「まさか、プロパガンダ用に作っておいた結社の演劇部門がこんな形で役に立つとはな」


 誰も居なくなり、再び静寂が訪れた地下室で独り言つ。


 死霧の島で解決したと思っていた事案が、まさかこんな形で再び身に降り掛かって来るとは。


 今回は偶然対応策があったが、アクシデントは思いもしない方向から襲ってくると痛感した。


 今用意してある各種対応策も、今一度見直しておくべきかもしれない。


「こっちはなんとかなったけど……あいつの方は上手くやってっかな」


 暗い地下の薄汚れた天井を見上げながら、華やかな宮殿にいる女に思いを馳せた。

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