第25話:母と子
神聖エタルニア王国の王族たちが住まう王宮は、王都の中心にそびえ立つ永劫樹に寄り添うように建立している。
その上階に設えたら王都を一望出来る
今もそこで翌月に控えた永劫祭に纏わる会議が行われている。
巨大な円卓に並ぶのは、いずれも国家上層部の人間ばかり。
聖堂の一等文官ですら、この場においては末席に甘んじている。
先日の全軍合同競技会で最優秀個人として選出されたクリス=カーディナルも、警護担当の一人として入り口側から会議を見守っていた。
「えー……次は、私の方から……その……」
額に汗を浮かべ、何度も言葉を詰まらせているのは儀典聖堂の一等文官の一人。
緊張しているのは彼だけではない。
異様なまでの緊張感に、その場にいる大半が脂汗を流していた。
「屋台の設営場所に関して……商会連合から要望がありまして……」
男が見ているのは円卓の最上座に位置する人物。
フリーデン=エタルニア――神聖エタルニア王国の当代国主『神王』。
まだ少年と呼べるような幼さを残る顔を引き締めて、彼は熱心に文官の言葉に耳を傾けていた。
しかし、まだ齢十五歳を迎えたばかりの王はまだ執政能力を有していない。
皆が本当に畏怖しているのは彼ではなく、その右手に座る女性の方であった。
ダーマ=カーディナル――国主たる神王の最高顧問であり、永劫教団の枢機卿。
執政能力のない現神王に代わって事実上この国のトップに君臨する女傑。
「それは今この場で陛下のお耳に入れなければならない話ですか? レンブラント一等文官」
名前を呼ばれた文官の男は、彼女に名前を覚えられていた喜びよりも先に恐怖を感じる。
「も、申し訳ありません。しかしながら民草の声も少しはお耳に入れておいた方が良いかと……」
「それはまるで、陛下が民のことを気にかけていないとでも言うような口ぶりですね」
「い、いえ……そういう意図は……」
「では、どのような意図か? 答えなさい」
ダーマからの詰問に、男はまるで処刑台へと乗せられたかのような恐怖を覚える。
なんとか言い訳の言葉を探し出そうと頭を回転させるが、恐怖に萎縮した脳は上手く働かない。
男はかつて、儀典聖堂の巫女であった時の彼女を知っていた。
才気に溢れ、誰からも好かれ、誰にでも別け隔てなく接する博愛の巫女。
当時の儀典聖堂にいた者は誰もが彼女に憧れ、そして好意を持っていた。
しかし、それが偽りの姿だと気がついたのは身分の差が決定的になった頃だった。
加齢により神託能力の消失。
巫女としては決して避けられない退任の時が訪れても、彼女だけはその影響力を失わなかった。
巫女時代に築き上げた人脈を駆使し、時には言葉で、時に身体を使って国家の中枢へと取り入った。
誰もが美しい女を我が物としていると思いながら、その実は自分が利用されていることに気づかずに。
そして、一巫女でしかなかった女は瞬く間にこの国の事実上のトップへと上り詰めた。
早逝した先王に代わって彼女が後見人を務めた第七継承権の王子が後継に選ばれたのも、表向きは予言を授かる神託能力の高さが理由とされている。
しかし、そこに彼女の暗躍があったのは教団内の公然の秘密である。
そんな野心もかつては無邪気な笑顔の裏に隠されていた。
だが今の彼女は、まるで未だ尽きない野心そのものが法衣を纏っている怪異のようであった。
「聖堂の文官風情が、陛下の御心を分かったような気で――」
しかし、そんな彼に代わってこの世で唯一彼女に意見できる者が口を開いた。
「枢機卿、よせ。確かに彼の者が言うことにも理はある」
最上座に座る王の言葉に、ほんの少しではあるが室内の空気が和らぐ。
若き王にはまだ執政能力こそなかったが、統治者としての風格は既に備わっていた。
「ですが、其の者の言動は陛下を軽んじていました。厳粛な論議の場でそのようなことを許しては王の威厳が問われます」
「民草や部下の声に耳を傾けるのも王の務めだ。確かに近頃は外交も内政も有力者との付き合いばかりで、それを軽んじていた。この場でそれを非難される誹りはあろう」
「……陛下がそう仰るのであれば」
穏やかな口調に反して、ダーマは男へ睨みつけるような鋭い視線を向ける。
寛大な処置に感謝せよと、言外の圧を受け取った男はそれ以上言葉を発さずに着席した。
その後も会議は変わらぬ緊張感の中で進み、今年の永劫祭も例年通りの進行で行われることが決まった。
近隣諸国からの要人の招待、開会式で祝辞を述べる順番、警備担当者の配備地点。
その全てに政治的な意図が含まれ、民ではなくただ一人の権威をより強固なものにするための催しが。
「では陛下、次は御神託の時間ですね。御部屋で少しご休憩なされてから参りましょうか」
「うむ、そうさせてもらう。近頃、永劫樹との繋がりが少し弱くなっている気がする……疲れが溜まっているのやもしれん」
「それは大変なことです。決して、ご無理はなさらないように」
ダーマに背中を押されて、神王フリーデンは付き人と共に自室へと戻る。
まるで本物の親子のように振る舞う二人を、クリスは遠くから複雑そうに眺めていた。
司教や文官たちも退室していき、室内にはダーマを含む数人だけが残された。
そのダーマも周囲の人間に何かを告げると席から立ち上がり、クリスが警備する出入り口の方へと歩きだした。
近づいてくる母の姿に、娘は心臓の鼓動を早める。
ダーマがクリスの横を通り過ぎようとした時――
「あ、あの……母上、少しだけお時間を頂いてもよろしいですか?」
彼女は意を決して母に話しかけた。
ダーマが足を止めて振り返る。
声の主が娘であると分かっても、彼女は特別の対応は取らない。
「何か? カーディナル一等武官」
ただ淡々と、呼び止めた意図を聞きただす。
「ひ、一つ……ご報告を。先日開催された全軍合同競技会にて我が祭場警備隊が最優秀部隊に選ばれました」
「……はい、それで?」
「こ、これも教団上層部の方々による日々のご鞭撻の賜ですので、ご報告をと……」
「そうですか。貴方がたは祭場を守る重要な役目を任されています。これからも鍛錬を怠らぬようにしてください。それから……家の外では母と呼ばぬようにと、あれほど申したはずですよ?」
「も、申し訳ありません……は……猊下……」
クリスは頭を下げ、自分の表情を隠す。
彼女が感情を落ち着かせ、再び顔を上げた時に母親の姿は既に消えていた。
長い廊下の先を見据えながら彼女は大きく息を吐き出す。
彼女が本当に報告したかったのは自分が最優秀選手を獲得したことで、本当に欲しかったのは『流石は私の娘』の言葉だけだった。
「やはり、あいつに勝たなければダメか……」
それが得られなかったのは自分の力不足が原因だと、拳を強く握って憎き敵の姿を思い描く。
二年前、観覧に来ていた母の前で自分を圧倒した男の姿を。
あいつに勝てばきっと、また母上は自分の価値を認めてくれるはず。
悲しさを心の奥に押し留めて、クリスは自身の職務へと戻る。
部屋の中に残った最後の数人が退室していく。
それを見送れば、今日の仕事は終わりだ。
母上に再び認めてもらうためにもっと訓練の時間を作らないと……。
気持ちを逸らせている彼女の前で、誰かがピタリと足を止めた。
クリスが何だと思って顔を上げると、その人物は彼女をじっと見ていた。
目が痛くなりそうなほどに綺羅びやかな王宮の中にある特異点のような漆黒の女性。
「こんにちは、クリス=カーディナルさん。良かったら少しお話できませんか?」
国防聖堂の巫女ソエル=グレイスが、朗らかな笑顔を浮かべて言った。
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