第14話:オタクが二人、男女が二人

 もう離れたくないとゴネるミツキの説得になんとか成功し、俺たちは再び前へと進みだした。


 西へ東へ、北へ南へ。


「い、今……壁抜けしてダンジョンの奥からアイテムを盗ってきましたよね!? バグじゃないですか!!」

「ブリンクでの壁抜けはバグ無しカテゴリでも認められてる仕様だろ。いちいち騒ぐな」


 時にはダンジョンの奥深くからアイテムを拝借し――


「こいつ、無駄に硬くてだるいんだよなぁ……」

「さ、作中屈指の良ボスのニーズホッグを地形ハメで倒してる……」


 時に雄大な自然の中で巨大な魔物を倒し――


「犯人こいつな。証拠はこれ」

「なんて情緒の無い推理パート……」


 時には迷宮入り寸前の難事件を解決し――


「あーっ! 今また壁抜けしてボス戦スキップしましたよね! まともに攻略する気ないんですか!?」

「無い」


 時にはまたダンジョンの奥深くからアイテムを拝借する。


 本来なら手に汗握る冒険も、何百何千回と繰り返していればただの作業に近い。


 一切の苦戦もなく、王国中を駆け巡って人民の安全を守り、その心を俺たちの方へと扇動する。


 シルバ=ピアースの名は当代の英雄として着々と王国中に広まりつつある。


 しかし、旅を開始してから三週間が過ぎ去った時に事件は起こった。


 これまではなんだかんだで上手くやってきた俺たちの間柄を、決定的に変えてしまう程の大事件が……。


「だから何度も言ってるだろ! 間違ってんのはお前の方だってな!」


 やるべきことをやり終えて、後は寝るだけとなった一日の最後。


 俺たちは過去に類を見ない大喧嘩の渦中にいた。


「いいえ、違います! そっちが完全に間違ってます!」


 安宿の一室で机を挟んで向かい合い、互いに強い言葉をぶつけ合う。


「はぁ!? 俺のどこが間違ってるんだ!?」

「全てです! 全て間違ってます! もう一度言いますよ!」

「それならこっちも言ってやる!」


 ともすれば殺し合いにも発展しかねない緊迫した空気の中で、二人同時に言葉を紡ぐ。


「「EoEで一番強いのは――」」


 そう、喧嘩の原因は――


「カイルだよ!!」

「シルバです!!」


 最強キャラクター議論。


 それは世の人気作品において必ず一度は為され、大半が永久に平行線をたどる究極的に不毛な議論だ。


 そもそも何を以てして最強とするのか、どういう条件下でそれを比べるのか。


 各々が持っている物差しが違うのだから当然なわけだが、一度その議論が始まれば俺たちオタクは我を忘れて熱中する。


 現状は殴り合いにまで発展していないだけ、まだ理性的だと言える。


「っかー! これだから素人は! Lv99にして隠しも含めて残響を全回収したカイルが最強に決まってんだろ! 平均能力値は全キャラ中最高値で、固有クラスのステータス補正も最高値! 専用武器の『永劫断の剣』と『神代の英雄』防具シリーズも装備すれば苦手属性も無し! これだけ攻守共に一切の隙がないキャラが他にいるか!?」


 俺の物差しは『ゲームシステムにおける性能』。


 元の作品がゲームなんだからこれで比較するのが当然だ。


 無論、戦う敵や場所によって各キャラに得手不得手が存在してるのは認める。


 しかし、それを置いても理想的な条件を突き詰めたカイルがあらゆる局面において最も優秀なキャラなのは揺るがないと断言出来る。


「それだからゲーム脳はダメなんですよ! 強さというのは心意気です! そのカイルくんはどうしてそこまで強くなれたんですか!? それはシルバから受け継いた彼の意志があったからこそじゃないですか! 彼の意志こそが最終的に邪神を討滅して、世界に平和をもたらすんです! つまり、最強はシルバです!! 何回言えば分かるんですか!」


 目の前で喚いてるこのバカ女はやたらと精神性を重視する。


 つまるところその物差しは『自分の好み』。


 最も厄介な議論にならないタイプのクソオタクだ。


 製作者の発言でさえも『勝手に言ってるだけ』と言いのける唯我独尊。


 私の好きなキャラが一番強いに違いないという異次元論法を崩すのは不可能に近い。


「分かるかそんなもん! なーにが心意気だ! そんなもんステータスの足しにもなんねーよ!」

「ステータスステータスって! そればっかりですね! もう少し情緒を大事にしようとか思わないんですか!?!」


 もう何度も繰り返したやりとりをもう一度繰り返す。


 多分、互いに心のどこかではそんな自分を俯瞰視して馬鹿らしいと思っている。


 しかし、そんなバカバカしい議論にさえ本気を出すのがオタクのオタクたる所以だ。


 決して譲れない矜持があるからこそ、異なる分野ではあるが互いに頂点を極められたのかもしれない。


「うるせぇバカ! 心意気だの情緒だの、そんなもんがなくてもカイルはLv99になりゃ最強だよ! その証拠に今、俺が生きてるけどあいつはまだまだ強くなってんだろ!」

「そ、それはズルです! まだこの先どうなるか分からないじゃないですか!」

「ほー……他ならぬシルバおれがあいつは強くなるって言ってるのにお前は否定するのか? ん? 意志を尊重する主義主張はどこにいった? ん?」

「うぐぐ……」


 どれだけ異次元論法を繰り出そうが、シルバおれを持ち上げる言葉は俺が否定すればいい。


 伝家の宝刀を抜いた俺の一撃を前に、オタク女はただ黙り込むしかできなくなった。


「そんじゃ、この話は俺の勝ちってことで終わりだ。さっさと明日に備えて――」

「そこまで言うなら私もスタンスを変えさせてもらいます!」


 話を切り上げて解散しようとしたところで、声を張り上げて遮られる。


 俺を見据える目には何か大きな覚悟を決めたように大火が灯っている。


「なんだよ、スタンスを変えるって……」

「ステータスでも心意気でもない第三の選択肢……描写第一主義です! 作中の描写に則った最強キャラを挙げさせてもらいます!」

「描写に……?」

「作中でカイルくんが唯一直接対決では勝てなかった相手がいるではないですか!! そう! 背信者ユーダス=アステイトですよ!!」


 さっきよりも更に大きな、宿の人間が怒鳴り込んできそうなほどの大声で宣言される。


 こいつ、俺に論戦で勝つためだけにあっさりと矜持を曲げやがった。


「ユーダスって……それこそダメだろ。過去編の登場人物で、まともな戦闘描写は全部カットシーンかイベント戦闘じゃねーか」

「でも、その時の描写は明らかに最強のそれですよね」


 してやったりと鼻をふふんと鳴らされる。


 ユーダス=アステイト――残響を通して体験する過去編の登場人物の一人。


 カイルの前世であるネクス=アーベントの育ての親であり、剣の師匠。


 その戦闘能力は英雄が集う神代においても突出した存在で、極限まで研鑽された剣術のみで到達した人類の頂点として描写されている。


 序盤は主人公一行の頼れる保護者として、過去編におけるシルバおれに近い立ち位置の存在だったが、『背信者』の称号を冠しているのは当然その理由がある。


「そうだな……じゃあ、あいつを殺した病気が最強ってことで。意見一致だな」


 過去編においてその最強の男は不治の病魔に犯されており、既に余命幾ばくもなかった。


 迫る死の恐怖の中で彼の思想は少しずつ闇に囚われていき、志半ばで死ぬよりも自身の武を証明するために味方へとその刃を向けた。


 狂気に染まった刃は更に鋭さを増し、最終的には英雄の半数以上が彼の手によって殺害される。


 最期はネクスとレナをも手にかけようとしたところで病魔に倒れるが、そこまでにまともなダメージを受けた描写もない。


 頼れる師匠キャラが一転して最凶最悪の敵と化すイベントは、シルバの死亡イベントと同様に多くのプレイヤーに衝撃を与えた。


 本編中で実際に戦えるのは途中で強制終了されるイベント戦のみだが、有志によって全力の奴と戦える非公式MODが作成されたりもしている。


 当然それはゲームバランスも何もない滅茶苦茶な代物だが、正しく完全再現されているとの評価もあるくらいには登場人物の中で突出して強い描写がされている。


「病気はキャラじゃないからダメですよ! これは最強キャラ議論なんですから!」

「だったら作中時間でとっくに死んでる奴もダメだな。結局、自分の目的を果たせずに死んだんなら最強には程遠い。強さってのは極論、我を押し通すための力だろ」

「うぅ……確かに、それは一理ありますね……。じゃあ撤回します」

「今度は随分とあっさり引いたな……」


 さっきまでシルバおれを持ち上げてた時と比べて拍子抜けする。


「まあ、別に好きなキャラじゃないですし。主義主張は理解不能で、行動も自己中が過ぎます。リアルにいたら絶対に知り合いになりたくないタイプの人間ですね」

「やっぱり好き嫌いだけで語ってたのかよ……」


 なんて馬鹿な奴と馬鹿馬鹿しい議論をしてたんだと気が抜ける。


「話は終わりなら今日はもう遅いし、さっさと自分の部屋に戻れ。俺は寝るぞ」


 椅子から立ち上がり、固いベッドに腰掛ける


「まあまあ、そう言わずにもう少しだけ……よいしょっと、失礼しまーす」

「……なんで隣に座ってくんだよ」


 出て行けと促したはずが、真逆の行動を取られて困惑する。


「こんな他愛のない話が出来る二人が、ここで出会えたのって本当に奇跡だと思いませんか?」

「なんだよ藪から棒に……ほら、早く自分の部屋に戻れっての」


 俺が寝るには手狭なベッドは、二人が横に並んで座るには更に心許ない。


 少し身じろぎしただけで身体が触れ合ってしまいそうになる。


「素直に思ったことを言っただけですよ。それで話は戻りますけど、さっきの理屈なら最強はやっぱりシルバあなたじゃないですか?」

「まだその話かよ。もういいだろ……しかも意味も分からないし……」

「だって一章を乗り越えただけでは飽き足らず、今度は世界を救って……更には誰も救えなかったネアンわたしまで救おうとしてるんですよ? そんな無茶を押し通せる人が他にいますか? 我を押し通す力こそが最強の定義だというならまさしくそうじゃないですか?」

「じゃあ、まだ出来ると決まったわけじゃないから暫定だな。結論が出たならさっさと部屋に戻れ」


 もう相手するのも疲れたと適当にあしらうが、一向に退く気配を見せない。


 それどころかじわじわと近寄って来ている。


「いえ、きっと出来ますよ。だって、私はもう十分救われていますから」


 馬鹿みたいな言い争いから一転して、しっとりとした雰囲気で更に身体を寄せてくる。


「お、おい……」


 顔がこちらへと向けられ、至近距離で目と目が合う。


 長く見ていると深淵まで引きずり込まれそうな魔性を有している漆黒の瞳。


「誰に何を言われても……シルバあなたが私の一番なのは揺るぎません」


 もたれかかるように体重が少しずつ預けられてくる。


 女性一人分の心地よい重さと柔らかさ。


 互いの体温が混ざり合い、触れ合っている部分を通して息遣いが同調していく。


「ずっと……ずーっと、一人で闇の中にいた私が……これからもいなければならなかった私が……貴方の差し出してくれた手にどれだけ救われたか分かりますか……?」

「議論で言い負かされた腹いせに、妙な冗談で対抗しようとすんなって」

「冗談じゃありません。前に、心の準備が済んだなら何を求められても大丈夫だって……言いましたよね? あれ、本気ですよ?」


 言葉通り、その身体は一切の警戒なく無防備な状態でいる。


 手を少し伸ばすだけで、どこでも好きな部分に届く。


「だから、そういうのはやめろって……」


 馬鹿馬鹿しい最強議論からの急激な状況の変化に感情が追いつかない。


 完全に向こうのペースに飲み込まれているのを自覚しながらも、上手く対応できない。


「今の奇跡だけで満足せずに、その先を望むのはいけないことですか?」


 細くてしなやかな指で首から頬を撫でられる。


 身体の中をゾクゾクと官能的な感覚が奔る。


 現状を切り抜ける方法を模索するが、頭に靄がかかって全く見つからない。


「いけないとか、いけなくないとかじゃなくて……」

「誰かさんを見習って、私も少し我を通そうとしているだけですよ」

「だから、あの会話の流れからなんでそういうことに……」


 いくら考えても口から出てくるのは答えにならない胡乱な言葉だけ。


 そもそも、もとより拒む理由を持ち合わせていなかった。


 欲という激流に飲まれる寸前の俺に、ネアンがかろうじて縁にかかっている指を優しく引き剥がすようにゆっくりと口を開く。


「どうしてこの雰囲気でまだ手を出そうとしないんですか!? はっ……! もしかしてインポなんで――」


 腐れオタク女を部屋から叩き出した。

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