閑話:あの時の裏側

 私は今、人生最大の緊張の真っ只中にいた。


 そう、私は今から遂に一番の推しキャラとの対面を果たす。


 ゲームで何度も歩いた第三特務部隊の隊舎を自らの足で一歩一歩を進んでいく。


 心臓が早鐘打ち、身体の末端から嫌な汗がじわりとにじみ出てくる。


 あらゆる感覚が曖昧な中で、遂に私は彼の部屋を視界に捉えた。


 その扉の前には先客の少女が居た。


「部隊の制服が二種類あるみたいなんですけど……隊長さんはどっちが良いと思いますか?」


 こうして目にするのは初めてにも拘わらず、私は彼女のことをよく知っていた。


 レイア=エタルニア――二千年前に滅尽の邪神テロスを封印した賢者レナの転生体にして、この時代における彼女の行動端末。


 この子を今ここで殺せば、邪神の封印が解けてネアンわたしの願いは成就される。


 向こうは自分の存在に全く警戒せず、隊長室に半分だけ身を乗り出すような形で何かを尋ねている。


 今なら背後から容易に攻撃できる。あっさりとその生命を絶てる。


 ……って、だめー!!


 だめだめだめ!! レイアちゃんを殺すなんて絶対だめに決まってるでしょ!!


 彼女の姿を視認した途端に暴走しはじめた内なるネアンの感情を理性を以て食い止める。


 私はこの世界を正常なまま、正しい歴史へと進めなければいけない。


 殺すなんて以ての外だし、ここで変な行動を取るわけにもいかない。


 私と彼女は初対面だし、今から特に会話するような関係でもない。


 正体も知らないし、赤の他人! よし、完璧! これで大丈夫!


 と思いつつも、私は彼女の横顔をまじまじと見つめてしまっていた。


 わぁ……本物のレイアちゃんだぁ……。


 足跡一つない雪原のように真っ白な髪の超が三つ付くくらいの美少女。


 あぁ、なんてかわいいんだろう……。


 女の私でもこのまま抱きしめて頬ずりしたくなっちゃうくらいにかわいいよぉ……。


 でも、我慢我慢……。ここで変なことして怪しまれでもしたら全部台無し……。


「隊長さんはそう思いますか!? じゃあ、こっちにします! 失礼しました!」


 衝動をなんとか堪えながら表情筋をフル稼働させてネアンらしい仏頂面を維持し続けていると、用事を終えたらしい彼女が扉を締めた。


 そのまま私の存在に気づくことなく、廊下の向こうへと歩いていく。


 ……すごく嬉しそうだったけど何があったんだろう。


 ゲームだとまだ処遇に納得行かずに部屋で不貞腐れてる頃なのに。


 やたらと浮かれているその足取りに違和感を覚えながらも、今度は自分の番だと扉の前に立つ。


 遂に、遂に、遂にここまで来ちゃった……。


 この扉を開けば彼と対面出来てしまう。


 緊張はピークに達して、身体がまるで金属になったかのようにガチガチに固まる。


 両手を横に広げて、何度も大きく深呼吸をする。


 まだぎこちないながらも動くようになった手で扉を数度ノックする。


 ……ノックの回数ってこれでいいんだっけ。


 そもそも急に尋ねてきて失礼じゃないのかな。


 嫌な顔をされたらしたらどうしよう。


 緊張しすぎているのか余計なことばかりに思考が取られてしまうが、既に賽は投げられてしまっている。


 今から私に出来るのは扉を開けて、彼の部屋へと足を踏み入れるだけ。


「失礼します。少しお時間を頂いてよろしいでしょうか?」


 意を決して扉を開けると、すぐに向こうから返事が返ってきた。


「おお、誰かと思ったら巫女様じゃないですか」


 その声が鼓膜を震わせたのと同時に全身が総毛立つ。


 その性格を示すような無造作に散らばった銀髪の男性が、まるで野生の獣のように鋭い双眸で私を見ている。


 ずっと会いたかった彼の姿を捉えた瞬間、まるで血中アルコール濃度が急上昇したかのような心地よい酩酊感と多幸感に包まれた。


 本物だ。本物のシルバが今、私の目の前にいる。


 ふわぁ~……解像度高すぎぃ……。


 モニター越しに見るよりも5000兆倍かっこいいよぉ……。


 生きててよかったぁ……。


「そちらからわざわざどうしました? まさか俺にデートのお誘いですか?」

「いいえ、違います。先日の断層災害に関する報告書類を受け取りに来ました」


 瞬く間に過呼吸に陥りそうな興奮を抑えながらネアンとして振る舞う。


 もちろんこんなのはただの建前。


 ゲームと違う行動は取りたくないと思いながらも、一目見るくらいならと自分に言い訳してシルバに会いに来たのが本当のこと。


「そんなことのために天下の巫女様が護衛も連れずにこのむさ苦しい隊舎まで……? やはり俺に会いに来てくれたわけですね。恐悦至極に存じます」


 どう゛じでぞんな゛に゛私を理解じでぐれでるの゛ぉ゛ぉ゛~~~~!!!!


 高すぎる私への理解度に、情緒が一瞬にして崩壊した。


「いえ、近くに別の用があったのでその足です」


 落ち着いて……落ち着くのよ、私……。


 意志を曲げて、規則を破って護衛も付けずに会いに来たんだから絶対に怪しまれたらダメ……。


「えー……あん時の報告資料は……あったあった、こいつだな。ほい、どうぞ」

「確かに……では、少し確認させてもらいます」


 手元の書類を確認するフリをしながら隙を縫って彼の姿を何度もチラ見する。


 一見すると細身のように見えるが、まるで鋼のような筋肉に覆われている肉体。


 自室でラフな格好をしているおかげで分厚い胸板の存在がはっきりと分かる。


 あの腕で抱きしめられたりなんてしたら一体どんなことになっちゃうんだろう……。


 ていうか、なんで男性なのにこんなに色気があるの!?


 男性フェロモン出まくりで頭がぼーっとしてくる。


 しかも妙に熱い視線で私のことを見ている。


 あぁ~ん! もうほんとに好き好き好き! 好きすぎるぅ~!!


「私の顔に何か?」


 本当は天まで飛び上がるほど嬉しいのに、こんな言い方しか出来ない。


 キャラを守るためとはいえ自己嫌悪してしまう


「いや、相変わらずこの世の物とは思えない美人だと思いまして。よかったら今度、食事でもどうですか? 美味しい料理と酒を出してくれる雰囲気の良い静かな店があるんですよ」


 しょしょしょ、食事って!? 今、食事って言ったよね!?


 私、シルバにデートに誘われちゃったってこと!?


 行きたい行きたい行きたい!! 一緒にご飯食べたい~~!!


 で、でもシルバ×ネアンってどうなの!?


 原作で関係性が薄い冒涜的なカップリングすぎない!?


 ファンとしてそれは認めていいものなのかな……同人誌でもほとんど見かけない組み合わせだし……。


 しかも、絶対に食事だけじゃ済まないよね……。


 だってシルバだもん……。私の解釈通りのシルバなら絶対その後に……。


 下着、かわいいのあったかな……。巫女の服って地味なのばっかりだし……。


 お付きの人に頼んで、買ってもらわないとダメかも……。


 ……って、なんで行くことを前提に考えちゃってるの!


 だめだめだめ!! 絶対にダメだから!!


 原作にないことをして、世界に変な影響があったらどうするの!


 うぅ……でも、行きたいよぉ……。


 この上なく魅力的な提案に対して心中で二人の私が揺れ動くが――


「……機会があれば是非」


 あぁ~ん……結局断っちゃったぁ……。


 私のばかばかばかぁ……。


 その後も内なる自分と外なる自分の激しい攻防は続くも、私は何とか彼との初対面を乗り越えることが出来た。


「では、書類の方に不備はなさそうなので私はこれで」


 必要な全ての項目に○が付いているのを確認した書類を受け取って彼に背を向ける。


 この世界に来て、自分がネアンになって怖がったり戸惑ってばかりだった。


 でも、シルバと会って話が出来たのはその全てを吹き飛ばすくらいに嬉しかった。


 これでもう私はネアンわたしとしてやっていける。


 後は世界を正しい流れに添わせて進ませることだけを考え――


「いや、ちょっと待ってくれませんか?」


 全ての憂いを断って前に進もうとしたところで背後から呼び止められる。


「なんでしょうか?」


 振り返ると決意が鈍ってしまうかもしれないと背を向けたまま応じる。


「食事の件、真剣に考えといてください。巫女様からのご褒美があれば、世界平和の実現に向けてより尽力できると思うんで」


 防御を解いた瞬間に追撃の一撃を食らって、私の情緒は完全に崩壊した。


 ちょっと待って! 無理無理無理!


 も、もう……息が……息が出来ない……。


 死ぬ。死んじゃう。


 あれ? 息ってどうやってするんだっけ……。


 ていうか、それよりも心臓の鼓動がすごいことになってる。


 心臓ってどうやって止めるんだっけ……。


 理性と感情の均衡が崩れて、思考がめちゃくちゃになってしまっている。


 自分が今、嬉しいのか苦しいのかも分からない。


 分かるのはただ彼をずっと好きで良かったという気持ちだけ。


「……検討しておきます」


 真っ赤になってるニヤケ顔をどうにか見られないように背を向けたまま返答する。


 振り返ってしまえば、きっと私はもう戻れなくなる。


 そのまま後ろ手で扉を閉めると同時に大きく息を吐いて膝に手をつく。


「た、耐えきったぁ……私、頑張ったよね……」


 波濤の如く押し寄せてきたオタクとしての幸福を受け止めながらも、なんとかネアンとして振る舞い続けることに成功した。


 偉い。私すごい。


 耐えきった自分へのご褒美に、今日は自室に帰ったら脳内に焼き付けておいた彼の姿を思い出して久しぶりに絵を描こう。


 そう考えて再び顔を上げた私は、気を抜いたままの状態であるものを目撃してしまった。


 それは廊下の向こう側から歩いてきている真面目な顔で何故かエッチな服を着ているナタリアさん。


 当然、耐えきれずに噴き出してしまった。

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