第56話:同士

「あれもこれも全部めちゃくちゃじゃないですか! なんでカイルくんとミアちゃんがくっついてるんですか! なんでこの時点でミツキちゃんとアカツキちゃんが仲間になってるんですか! なんでレイアちゃんがカイルくん以外に恋しちゃってるんですか! ナタリアさんが踊り子になってるのはまあいいとして! なんで、なんで――」


 これまで溜め込んできた感情が爆発したように眼下の女がまくし立ててくる。


 その言葉は俺の知っている巫女としても、ラスボスとしても全く違う人格から発せられている。


 ただのEoEファンの一人としての人格から。


「やっぱり、俺の思った通りだったか……あんたにも前世の知識があるんだろ? 俺と同じように」


 最初に違和感を持ったのは、この女が俺の部屋に書類を取りに来た時。


 あの時に俺が渡した書類はナタリアに突き返されたものと同じように○と✕の認識が逆になっていた。


 この女はそれを確認したにも拘わらず、一切の不備を指摘してこなかった。


 もちろん、それだけでは単に気を利かせてくれたのだとも判断出来る。


 実際、その時はそうだったんだろうと大した問題に思わなかった。


 しかし、その後に起こった俺に対する様々な異変。


 レグルスとセレスに聖堂を通して行われた命令の上書き。


 俺がダンジョンに行くのを妨害するように出現した断層群。


 そして、たった今俺たちの前に立ちはだかった極大断層グランドリフト


 それら普通なら一人の人間に出来る事ではないが、巫女でありラスボスであるこの女がゲームの知識を持っていたならば実行可能だ。


 特にメディアードは現世に封印されている設定であり、その出現は邪神の意思とは全く別の存在による仕業以外にありえない。


 確信にまで至ったのは今の今だが、そう考えれば全ての辻褄が合った。


「俺と同じようにって……」

「言葉通りだよ。ゲームとしてのEoEの知識があるって言えば分かるか?」


 向こうはそのことには気づいていなかったのか、女は驚愕に目を見開く。


「ゲームのって……そんな……でも、そっか……だからこんなことに……あれもこれも全部……」


 その事実に気がついた女が怒りにわなわなと打ち震えるのが手を通して伝わってくる。


「どうしてそんなことをしたんですか!」


 とんでもないことをしでかしてくれたなと激しい怒りを露わに言われる。


「そりゃあ、お前……このイベントを越えて生き残るために決まってんだろ……」

「自分が生き残るためだけに世界をこんなめちゃくちゃにしたんですか!?」

「まあ、そうだな……。めちゃくちゃになってるかどうかは議論の余地があるけれども……」

「議論の余地なんてないですよ! シルバがここで生き残ってること自体がおかしいんですから! 貴方は一章で死んで完成されるキャラなんです!! ここで生き残るシルバなんて解釈違いも解釈違いです!!」


 救済DLC論争の時に何度も見かけた言説が、ラスボスの姿をしたオタク女の口から紡がれていく。


 つまりこいつは本来のイベント部分を越えて俺が生き残りそうなのを見るや否や、メディアードの封印を解いてまでストーリーの流れを戻そうとしたらしい。


 とんでもない厄介オタクだ。


 しかし、一方ではシルバであればどんな状況でもきっと仲間の命は守るだろうという大きな信頼も感じる。


 その前の断層に村を襲わせた時も、シルバなら確実に一人の死者も出さずに守り切るという確信的な信頼がないと出来ない。


 こいつはシルバおれが何をすればどう動くのかを熟知しているキャラオタクなのは間違いないが……


「はっ、どんな理由を言うのかと思えば……浅いな、お前」


 女を見下ろしながら鼻で笑う。


 ここで手を離して、こんな世界一面倒くさい女と二度と関わらないようにするのは簡単だ。


 しかし、EoEオタクの端くれとしてこっちにも言いたいことがある。


「……今、なんて言いました?」


 鼻で笑われたことに、女はプライドを傷つけられた怒りらしき反応を見せる。


「お前のキャラへの理解度が浅いっつったんだよ!!」

「は、はぁ!? 私の理解度が浅いって!? それ、本気で言ってますか!?」

「ああ、何度でも言ってやるよ! 浅瀬でちゃぷちゃぷ潮干狩りして喜んでるレベルだってな!」

「なっ!? 設定資料集を全冊100回以上は読み返していて、全キャラのプロフィールを空で言える私が浅いってどういう了見ですか!? 女性キャラのスリーサイズだって全部言えるんですよ!?」


 俺の挑発にめんどくさいオタク女がものすごい形相で食ってかかってくる。


 さあ、真の最終決戦――面倒くさいオタク同士のプライドバトルの開幕だ。


「だから、そういうところが浅いって言ってんだよ! 愛してるなら表面だけじゃなくてもっとあいつらの内面にも切り込め!」

「内面だって当然理解してますよ! なんなら思考のトレースも出来ます! だって私の描いた同人誌は一回のイベントで多い時は3000部も出てたんですよ!? すっごく人気のサークルだったんですから! それで読んだ人はみーんな、この理解度と解像度の高さはもう公式級だって言ってくれてましたもん!」

「へぇ……そりゃすごいな……。そんなにキャラ理解度が高いのなら、今から俺の出す問題にも当然答えられるか?」

「望むところです! なんでもかかってきてください!」


 向こうもオタクの端くれとして譲れないプライドがあるのか上手く食いついてきた。


 状況は崩落していく地下で仲良く奈落に落ちる一歩手前。


 こんなことをしている場合じゃないと言われるかもしれないが、時には何よりも大事なプライドがある。


「じゃあ、そうだな……第一問、今この世界だとカイルがミアと恋人同士になってるけど何がどうなってそうなったでしょう」

「うっ……そ、それは……」


 ここに来て始めて自称高理解度のオタクが言い淀む。


 所詮は表層をなぞってきただけの浅知恵。


 この世界でリアルな体験をしてきた俺に敵うはずがない。


「ん? あれだけ偉そうに能書きを垂れておいて、この程度の問題にも答えられないのか? 内面を理解してるのにカイルがミアに惚れるプロセスもわかんねぇのか~! まあ、シコシコとエロ本ばっか描いてただけのにわかオタクには分からないよな~! もちろん俺は答えられるけどな!」


 ぐぬぬと歯噛みしている女を愉悦の表情で見下ろす。


 赤い布を振れば突進してくる猛牛のように分かりやすい。


 初見突破が余裕なタイプの単純すぎる行動パターンだ。


「わ、私が描いてたのはえっちな本じゃなくて全年齢向けです!! ごくごくたまに描いてたのがパソコンの奥に眠ってたりしなくもないですけど……って、そうじゃなくて……そんな問題はずるいです! 貴方がめちゃくちゃにした世界のことが私に分かるわけないじゃないですか!」

「ん? あいつらの心情を理解出来るんじゃないのか?」

「そ、その場にいたら彼らの感情の機微を事細かく、地の文だけで十万文字かけて描写が出来るくらいに理解できましたよ!! なんと言っても私はこの世界を誰よりも愛してるんですから!」


 奈落に落ちる一歩手前だというのに激情のままに喚き散らしている。


「愛してるって? だったらどんな変化でも受け入れるものなんじゃないか? それもこの世界の在り方だろ?」

「変化が常に良い方向に転ぶとは限らないじゃないですか! 私たちが余計なことをしなければ、この世界は平和な未来に進むことは決まってるんですよ! それが一番なんです!」


 必死に自分の正当性を論ずる女を見て、俺はあることに気がついた。


 本心が別にあるようなその震える声に。


「本当にそう思ってるのか? それだけのためにここまでやったのか?」

「もちろんです! いつも私に希望を与えてくれたカイルくんたちの幸せが私には最も大事なんです!」

「へぇ……俺には未知へ挑む気概のない弱いオタクにしか見えないけどな」


 俺の発した言葉に心臓が大きく跳ねたのが手を通して伝わってきた。


「ち、違います! 単に正史を引っ掻き回すのはファンとして認められないだけで……」

「本当かぁ……? ストーリーをめちゃくちゃにするのが嫌なら、ここで俺だけを殺して自分は助からないといけないよな? その割にはそんな気配が見えないぞ。嫌なことから全部目を背けようとしているようには見えるけどな」

「み、道連れに落ちても死ぬのは貴方だけで……私は助かりますし……」


 徐々に苦しくなってきたのか、まるで本心を読み取らせないように目線が逸らされる。


 こうなれば元のメンヘラ死にたがり女よりも分かりやすい。


「こんなところに埋まって俺の死体と何十万年一緒に過ごす気だ? 掘り起こしてもらえる頃に地上の覇権を握ってるのはイカ型の新人類だろうな。それがお前の言う正史通りか?」

「うぅ……それは、それは……」

「いい加減認めろよ。大層なお題目を掲げてるけど、本当は予定調和に安心してただけの弱いオタクなだけだってな!」

「こ……怖いのは仕方ないじゃないですか! 運命に立ち向かってもやっぱりどうしようもない絶望しかなかったらどうすればいいんですか! それだけならまだいいですけど、私のせいでもしカイルくんたちが死んじゃったらどうするんですか! この世界が壊れたらどうするんですか! そうなるくらいなら自分が辛い想いをするだけの方がいいんです!」


 ラスボスの見た目をしているだけのオタクがついに本心を曝け出す。


 自分よりも世界を優先する覚悟はファンの鑑だが、結局のところこいつはこの異常な状況を怖がっていただけだ。


 だからこそ世界を知っている流れに沿わせることで安心し、自分を待ち受ける非業の結末からは目を逸し続けたいのだろう。


「確かに、どうなるのか分からないのが怖いって気持ちはよく分かる。俺も一回カイルを殺しかけた時は本当にどうしようかと冷や汗もんだったからな」

「だったら、どうして――」

「でも、先がわからないなんて当然のことなんだよ。だって、あいつらも俺もお前もこの世界でそれぞれ違う意思を持って生きてるんだからな」


 自分も同じだったのを棚に上げて言う。


 俺がそれに気づけたのは仲間がいたからで、こいつがそれに気づけなかったのは孤独だったから。


 俺たちの命運を決定的に分けたのは、その違いだ。


 もしも立場が逆なら俺もこいつのように予定調和の世界へと進んでいたかもしれない。


「みんな……生きてる……?」

「ああ、そうだ。あいつらからしたらお前の気遣いなんて余計なお世話なんだよ。それにお前が正史だって言ってるそれはこの世界にとっては一側面でしかないんだよ。そもそも異物である俺らがここにいる時点でそれは成り立つのか? 俺らがここで仲良く地下深くに埋没した後で、あいつらがそれを辿る保証がどこにある?」

「そ、それは……」

「分からないだろ? だからこうなってる以上は俺らもこの世界の住人の一人として精一杯に生きるしかないんだよ。その先にはもしかしたらお前が普通の人間に戻れる道もどこかにあるかもしれない。それに、こんなもんは先の展開が分からないからこそ面白いんだろ! 前人未到の新ルートをハードコアで初見攻略? 楽しすぎて脳みそが蕩けそうだ!」

「でも……私はそんなに強くなれない……。ただキャラが好きなだけの女で、貴方みたいには強く……」


 ラスボスではなく、ただの弱いオタクであることを曝け出した女が力なく項垂れる。


「だったら誰かを頼れ!」

「たよ……る……?」

「そうだ、少なくともお前と同じ境遇の男がここに一人はいるだろ!」


 そう言って最後にもう一度だけ彼女へと手を差し伸ばす。


 ゲームでは最後まで誰の言葉も届かなかったラスボス。


 しかし、奇しくも同じ立場になった今の俺なら寄り添える。


「さあ、どうする!? 俺とお前は敵か!? それとも同じ世界を愛する同士か!?」


 異物である俺たち二人がこの世界から退場するべきかどうかは向こうの判断に託す。


 違う世界で奇跡的に出会えた同好の士。


 ここでそれを救えないシルバ・ピアースに生きている価値なんてないのが俺なりのキャラ解釈だ。


「どうして……」


 俺を見上げる瞳が、じわりと涙でにじむ。


「どうしてそんなに解釈通りなんですかぁ……」


 これまでは虚無だけが浮かんでいた目から涙が一気に溢れ出した。


「それは俺がシルバおれだからに決まってるだろ」


 そう答えると、彼女は泣きじゃくりながら俺の手をしっかりと握り返してくれた。

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