第46話:信頼

「くそっ!」


 大きな鬱憤と共に固く握った拳を執務机に叩きつける。


 机上に散らばったペンや書類の束、カップなどが僅かに浮かび上がり音を立てた。


 失態も失態。大失態だ。


 刻限を明日に控えて取り返しのつかないミスを犯してしまった。


 どうして、あんな何の益もない行動をしてしまったのかと何度も自分を責めた。


 これがもしゲームでの出来事であれば俺は簡単に見捨てられただろう。


 NPCの犠牲なんて知ったことではないと目標まで最短ルートで突き進むのが常道だ。


「全部この解像度の高さが悪いんだよ……。グラもAIもとにかくリアルにすればいいってもんじゃねーぞ……」


 前世の性分か、シルバとしての意識か、あるいはその両方か。


 到底ただのモブとは思えない生身の人間にあれだけ懇願されて捨て置くことは出来なかった。


 自分の命が懸かっているのにお人好しもいいところだ。


「おかげで全部台無しだ……くそっ!」


 ここまでの攻略チャートを書いておいた紙片をぐしゃぐしゃに丸めて、その上から更に拳を叩きつける。


 衝撃に耐えきれなかった机に大きな亀裂が入る。


 もう一発強い衝撃を与えれば真っ二つに割れそうだが、拳の表面に走った痛みのおかげで少しずつ冷静さが戻ってきた。


 確かに手痛い失敗だったが、まだクリア出来ないと決まったわけじゃない。


 感情的になりすぎずに、残り僅かなチャートを合理的に進めよう。


 そう考えて大きく深呼吸したところで入り口の扉が開かれた。


「ふぁ……こんな夜に用事って何よ……」


 呼び出しておいたアカツキが小さなあくびをしながら部屋の中央へと向かって歩いてくる。


「いきなり呼び出して悪かったな。実は明日以降のことでお前に話がある」

「明日以降? あの情けない男どもの訓練のこと?」

「それも含めて今後のことをだ。まずはこれを」


 机の上に置いてあった封筒をアカツキへと手渡す。


「随分と分厚いけど何が入ってるの?」

「明日以降の行程表だ。今後どうすればいいのか、困ったら全部そこに書いてある通りに進めてくれればいい」

「なんでわざわざこんな風にまとめて? その都度、口頭で伝えれば済むことじゃない。これまではそうしてきたでしょ?」


 厚みのある封筒を抱えながら不可解そうにアカツキが尋ねてくる。


「そうだな……。お前には伝えておいた方がいいか……」


 少し悩んだが、後のことを考えてこいつには全てを伝えておくべきだと判断した。


「俺は明日死ぬからだ。80%か……いや90%くらいの確率で。それもかなり希望的な観測でな」

「はぁ……? いきなり何を言い出すのよ……春の陽気で頭がどうかしちゃったの?」


 眉をひそめながら自分の頭を指先でトントンと叩くアカツキ。


 いきなりこんなことを言われればその反応も仕方がないだろう。


「黙って聞いてくれ。これは大真面目な話だ。お前なら俺が本当のことを言ってるかどうか分かるだろ?」


 そう話しながらアカツキと目線を合わせる。


 嘘を見破るスキルを持っているこいつならどんな突拍子もない話であっても信じてくれるはず。


 だからこそ、全てを話して先のことを任せられる相手として選んだ。


「……分かったわよ。詳しい話を聞かせて」


 俺が嘘を言っていないと理解したのか、アカツキは神妙な顔で言う。


「さて、どこから話そうか……そうだな。まずは――」


 そうして、アカツキに俺の全てを話した。


 俺には前世の記憶があり、そこで今後この世界がどのような未来に進んでいくのかを知ったこと。


 その未来で俺は明日死ぬことが確定していること。


 そうなった時には俺に代わって、お前にあいつらを導いて欲しいと思っていること。


 渡した書類には俺がいなくなった後に平和な未来へと辿り着く方法を記しておいた。


 もちろん簡単に死ぬ気はないが、もしそうなった際に自分がいない世界だからどうなってもいいとも思っていない。


 何百、何千回と接してきた世界とキャラクターたちには愛着がある。


 出来れば誰も欠けることなく幸せになって欲しい。


 アカツキは口を挟むこともなく、ただ黙って俺の話を聞いてくれた。


「――ってわけだ。まあ、こんな話をすぐに納得してくれとは言わない。でも、俺が嘘をついていないのはお前になら分かるだろ?」

「正直言って俄には信じがたい話だけれど……確かに、嘘はついてないみたいね。それが事実だとすれば貴方が首謀者マスターマインドの居場所を知ってたのと辻褄も合うし」


 尋常ではない話を聞いた直後とは思えない冷静さで淡々と喋るアカツキ。


「理解が早くて助か――」


 やはり、こいつに託す判断をして正解だったと次の句を紡ごうとした瞬間――


 顔面に凄まじい衝撃が走った。


 それが殴られた衝撃だと気がついたのは、執務机に背中から強かに叩きつけられたのと同時だった。


「いっ……てて……おい、いきなり何すんだよ……気でも触れたのか……?」


 元から亀裂が入っていたせいで綺麗に真っ二つになった机。


 机上に置いてあった多数の物品が散らばった床に手をついて立ち上がる。


「へぇ……自分はこれから起こることを全部知ってますみたいなこと言っといて、殴られるのは分からなかったの?」


 殴った張本人は赤くなった拳を摩りながら悪びれる様子もなく、むしろ殴って当然かのような口調で言う。


「当たり前だろ……んなことまで分かる訳が――」

「そう、分かる訳がないのよ。この先に何が起こるかなんて誰にもね」


 立ち上がりながら紡ごうとした言葉に被せられてそう言われる。


 俺が渡した封筒をビリビリと細かく破かれていく。


「お、おい……何を、せっかく――」

「何? もしかして、より良い未来を選べるようにお膳立てしてくれてありがとうだなんて言われると思った? あんたがどこでどうやって何を知ったのかは知らないけど、神様にでもなったつもり? ふざけないでよ。こっちはこの世界で生きてんのよ。誰かに決められたわけじゃなくて自分の意思でね」


 胸ぐらを掴まれて、顔面に向かって叩きつけられたその言葉に息を呑む。


「別にそういうわけじゃなくて、俺はただお前らに……」


 言い訳の言葉を紡ごうとするが、アカツキの言葉は事の核心をついていた。


 どうして全てが上手くいかなかったのか、物事が思いもよらぬ方向へと転がることがあったのか。


 皆がそれぞれの意思を持って生きている。


 ただそれだけの理由だったんだ。


 世界はそうしてほんの僅かな事象を起点にして絶えず動的に変化し続けている。


 俺が知っていたのは、自分の体験から得たこの世界の一側面だけにすぎない。


 にも拘らずに、全てを知ったような気になって施しを与える立場の気分でいた。


 殴られても仕方のない独りよがり野郎だ。


「いや、お前の言う通りだな……。すまん、気を悪くしたなら謝る……。さっきの話は忘れてくれていい。この先、何をしようがお前の自由だ」


 手加減なしで思い切りぶん殴られるくらい気に障ることをしてしまった。


 今からミツキを連れて二人でここを出ていくだろう。


 明日の決戦に二人が参加してくれないのは手痛いが、これも自分の身から出た錆だとすると受け入れるしかない。


「はぁ……なんで殴られたのかまだ分かってないみたいね」


 胸ぐらを掴んだまま、やれやれと呆れるように大きなため息を吐かれる。


「そりゃあ……上から目線で都合の良い駒扱いされたのが気に食わなかったんだろ?」

「違うわよ。利用するしないの話なら、こっちだって食事と寝床のためにそっちを利用してるんだからお互い様だし。世の中なんてそんなもんでしょ」

「だったら、何で殴ったんだよ」

「ちょっと色々知ってるからって諦めが良すぎるのにムカついたからよ」


 返ってきたのは予想もしてなかった言葉だった。


「……それは予想外の理由だな。でも、こっちだってそんな簡単に諦めたわけじゃない。最善を尽くした上での判断なんだよ」


 持てる知識を総動員して、考えうる限り最高のチャートを作った。


 敵が運命そのものであることを考えれば最善を尽くしたと胸を張って言える。


「本当に最善を尽くした? 私にはそんな減らず口を叩く前にまだ出来ることが残ってるように思えるけど?」

「……出来ること?」


 受け取った言葉を頭の中で反芻するが、残り短い時間で出来ることはたかが知れている。


 レベル上げも、装備集めも、ビルドの最適化も。


 今更何をやったところで焼け石に水以外の何でもない。


「はぁ……偉そうにしといてほんとに何も知らないのね……」


 またも大きなため息を吐いた後に、アカツキはぐっと俺の身体を引き寄せる。


「もっと仲間を信頼しなさいって言ってんの。一人で考えて、一人で動いて、一人で諦めて……それで終わりでいいの?」

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