第34話:前世から

 地下深くの密室で、自分の上司が女性を襲おうとしている。


 そんな不穏な状況を目の当たりにしても、シルバは顔色一つ変えずにツカツカと部屋に踏み入る。


「な、何が夜分遅くに失礼しますだ! どうして貴様がここにいる! ここは私の屋敷だぞ!」


 自分の家に帰宅するような軽い調子で入ってきた彼に対してヴォルムが声を荒らげる。


 まずいものを一番厄介な男に見られてしまったと彼はこの場を切り抜ける方法を頭の中で模索する。


「いやぁ、監禁拷問用の地下室とは総隊長殿もなかなか良い趣味をお持ちですなぁ」


 シルバは質問には答えずに、ただ物珍しげに室内を見渡す。


「あ、兄貴ぃ……」


 数日ぶりにシルバの顔を見たロマが今にも泣き出しそうに安堵の声を漏らす。


 あの時に続けて今回も本当に助けに来てくれた。


 やっぱりこの人は本物の英雄なんだとロマは更に確信を強めた。


「あ、兄貴だと? そうか……なるほどやはり貴様だったか。ここ数日間、私の周囲を探らせていたネズミは!」

「ご明察! 流石は総隊長殿です!」

「はっはっは! やはりそうか! だが、よく考えてみろ。今のお前は上司である私の邸宅へと許可もなく押し入り、護衛に暴力を働いた慮外者でしかない。そんな輩の証言一つで私をどう追い込むつもりだ? それともこの小娘に証言させるのか? それこそ馬鹿馬鹿しい、立場の差を考えてみろ。人はどちらの言い分を信じる?」


 頭の中で導き出した解決案を嬉々として延べていくヴォルム。


 確かに彼の言う通り、現状のシルバは不法行為を働いた部外者でしかない。


 彼が仮に現状見たものを訴え出たとしても正式な捜査が行われることはなく、総隊長の地位を持つ男を失脚に追い込むことは叶わない。


「ふっ……はははは! ほら見たことか! 黙りこくってどうした!? 何も考えずにここへと乗り込めばどうにかなると高をくくっていたのだろう! やはり野良犬は頭の出来も劣るらしい! むしろ不法侵入及び暴行の罪で私が貴様を追い込んでやる! 覚悟しろ!」


 勝利宣言とばかりに高笑いするヴォルム。


 しかし、それでもシルバは顔色一つ変えずに服の内側へと手を差し入れた。


 そこから彼は一枚の紙を取り出してヴォルムへと突きつける。


「な、なんだその紙切れは……」

「此度の騒動に関する公聴会への召喚状ですよ。いや、根も葉もないデマに総隊長が謝罪行脚している姿があまりに不憫だったので私の方から公に釈明する場を用意して差し上げようと思いまして。ほら、ここに陸軍総司令の署名も」


 もう片方の手で、右隅に記された陸軍総司令の署名が指差される。


 それはこの書類がヴォルムよりも更に上の人物から承認された正式なものであることを示していた。


「そ、それがどうしたと言うのだ……。公聴会だと? 正当な証拠は何もない。多少の手間と金はかかるかもしれんが……その程度で私を失脚させようなどとは――」

「やっぱり、豚は頭の出来も劣ってるんだな。その不細工な目でこいつをよーく見てみろ」


 見えやすいように召喚状が彼の眼前に突きつけられる。


「ま、負け惜しみを……何が書かれていようが私を――」


 余裕を見せたまま、彼は上から順番に内容を読んでいく。


 しかし、第二項に書かれていたある文字を見た瞬間に彼は言葉を失った。


「やっと気づいたか。そう、召喚状の配達人には一時的に『逮捕権』が付与される。本来は抵抗して暴れる奴に対処するためのもんだけど、重要なのはこいつを持っている俺の証言は軍内で正当な証拠として扱われるってことだ」


 今度は自分の番だと、シルバが現状を説明していく。


 ただ彼がこの屋敷へと無理やり押し入り、犯罪の証拠を見つけたと喧伝したところではヴォルムの言うように正当な証拠としては認められなかった。


 しかし、召喚状によって逮捕権を持つ彼がブラウン邸を訪れることは軍の命令として行われている。


 配達先の場所で何をして何を見たのかの全てが正式に記録される。


 それはすなわち彼の見たままの証言に沿う形で、軍が捜査を行えることを意味していた。


 状況がひっくり返った事実を理解したヴォルムの顔から血の気が失せていく。


「そ、そんな馬鹿な……こんなことが都合よく……。この地下の存在を知り、私がここにいるのを確信していないと出来ないようなことが……」

「確かに、大人しく表で高い紅茶でも淹れて俺を賓客といて出迎えておけば何事もなくやり過ごせただろうな。でも最近は普通の美女にも飽きて、こいつみたいな赤毛の田舎臭い女の方が好みだったなら仕方ない。そりゃ自分の手でじっくりたっぷりと楽しみたいよな」


 シルバはまるで全てを知っている神の如き口調でヴォルムを見下し嘲る。


「き、貴様……一体どこまで私のことを調べ……いつからこの絵図を……」

「当然、前世から」


 ヴォルムにはその言葉の意味は理解出来なかったが、立場が完全に逆転したことだけは理解出来た。


 どんな手を使っても、ここで目の前の男の対処をしないと自分は終わると。


「お、おい! 誰か! 誰かいないのか! こいつを何とかしろ! 殺してもいい! あのシルバ・ピアースを殺して名を上げるまたとない機会だぞ! 殺したやつにはたんまりと褒美もくれてやる! いないのか!?」


 追い詰められたヴォルムが大汗をかきながら階上へと向かって叫ぶが応える者は誰もいない。


 地下室を見張っていた護衛は全員が未だに入り口側で積み重なったまま気絶している。


「こいつら以外も全員上でおねんねしてるよ。残念だったな」

「ぜ、全員……待機していた者も含めれば二十人はいたはず……」

「ただのカカシだな。俺なら瞬きする間にぶっ倒せる」


 二十人に及ぶ護衛を全員倒したという俄には信じがたい話も、王国最強と名高い目の前の男が言うのであれば真実味があった。


 自分を守る者は今ここに誰もいない。


 このままでは地位も金も何もかも失ってしまう。


 それだけは絶対に嫌だ。


 どうにかしてこの窮地を切り抜けられないかとヴォルムはこれまでの人生で最も頭を働かせる。


 そうして辿り着いた結論は――


「そ……そうだ、ピアース……! 私と手を組まないか……?」


 膝をついてシルバへと救いを懇願することだった。


「か、考えてもみろ。ここで私を失墜させたところでどうなる? お前が得られるのはちっぽけな表彰程度のものだ。だが、逆に地位を持つ私と武力を持つお前が手を組めばどうなる? まさに敵なしだ。金だって今の何倍も何十倍も稼げる。もちろん名誉もだ。いっそ、お前が総隊長の座に就いたってかまわない。私の口利きがあれば他の連中だって納得するだろう。そ、それとも女か? なら、どんな女だって充てがってやる! 有名劇団の女優だって私の口利きがあれば抱けるぞ。どうだ? あるいは亜人の女もなかなか乙なものだぞ。少々値は張るが森の民を奴隷として買ってやってもいい。あれは反抗的だが、それを躾けるのがまた楽しいんだ」


 顎からポタポタと汗を垂らしながら下卑た提案が並べられていく。


 この場さえ切り抜けられれば、後はどうにでもなるとまるで神に祈るように頭を下げる。


 ともすれば足を舐めはじめそうなほどに平服する姿には普段の傲慢さは欠片もない。


 しかし、彼が頭を下げている男の答えは既に決まっていた。


「なかなか魅力的なご提案ですが、お断りさせて頂きます。残念ながら『世界の半分をやる』的な選択肢は『はい』を選べないのが万国共通の仕様なんでね」

「ぴ、ぴあぁーすぅ……」


 自尊心をかなぐり捨てての哀願を拒否されたヴォルムがその場に崩れ落ちる。


 シルバはその隣を通り抜けて、ロマの方へと歩いていく。


「おい、ロマ。だいじょ――」

「この野良犬風情が……死ねぇええええええ!!!」


 シルバが背を向けた瞬間、ヴォルムは側に落ちていた男性器を模した器具を手にしてシルバへと襲いかかった。


 しかし、その攻撃が彼を捉えるよりも先に後方から伸びてきた足が彼を蹴り飛ばした。


 凄まじい勢いで吹き飛び、顔面から壁に突っ込んだヴォルムは言葉にならない悲鳴を上げる。


「あーもう……最悪! オッサンの汚いお尻を蹴飛ばしちゃったじゃない!」


 彼を蹴り飛ばしたアカツキとその後ろからミツキが三人の前に現れる。


「首尾はどうだ?」

「しょーこも地下への隠し通路も全部見つけたよー。すっごい簡単だった」

「よしよし、ミツキは出来る子だな。出来る子には飴をやろう」

「わーい!」

「はぁ……初出動でこんな汚い尻を蹴飛ばすことになるなんてほんとに最悪……」


 まるで宝探し遊びでもしていたかのような口調で軽く応えるミツキと、この世の終わりかと思うような表情で靴を見ているアカツキ。


 ヴォルムは壁を滑りながら地面に崩れ落ちていく。


 前歯が折れ、鼻から多量の血を垂れ流す彼は自分の人生が終わったことを悟った。

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