第24話:ラスボスと○×問題
「私の顔に何か?」
資料を確認している顔をじっと見ていたのを訝しまれる。
「いや、相変わらずこの世の物とは思えない美人だと思いまして。よかったら今度、食事でもどうですか? 美味しい料理と酒を出してくれる雰囲気の良い静かな店があるんですよ」
「……機会があれば是非」
見た目通りの慎ましい拒絶の言葉で返される。
この女は紛れもなくラスボスだが、今ここで斬り伏せれば全てが解決するという存在ではない。
邪神の復活を目的として動いてはいるが、あくまで邪神の力を利用しようとしているだけでその意思は別にある。
排除したところで魔物災害は無くならないし、そもそも彼女を殺すことは誰にも出来ない。
彼女は永劫樹を裏切った血族の最後の生き残りとして、『永劫顕生』という呪いをその身に宿している。
永劫顕生は血筋の果てに至るまでの魂を犠牲に、一人の人間を不老不滅の存在へと作り変える秘術。
それによって彼女の肉体は首を斬り落とされようが、心臓を貫かれようが、悠久の時が過ぎさろうが決して滅びない。
つまり、今のところは大人しくしていてもらうために放置しておくのが正着。
下手に手を出してもメリットは何もなく、それどころか無駄に敵を増やして悪化させかねない。
触らぬラスボスに祟りなしというわけだ。
「先ほど廊下ですれ違った彼女が例の新入隊員ですか? 確か名前は……」
「ん? ああ、そうそう。レイア・エスペランサ……この前の出動で拾った子でして。身寄りがないみたいなんで、しばらくうちで預かることにしました」
レイアはこの第三特務部隊に入隊させたが、身分は俺が偽装し、魔法についてもあの場にいた者だけの秘密とした。
理由はいくつかあるが、一つは政治の道具として使われないようにするため。
神王を中心とした現体制をはじめ、この国では今複数の勢力が入り乱れて政局を争っている。
そんな中で王国樹立の礎となった英雄と同じ力を持つ者が現れたとなれば、彼女を巡って国が大きく分断される争いが間違いなく発生する。
下手をすれば傀儡である現神王を排するクーデターの大義名分にすら成りかねない。
よって、争いの火種は隠しておくに限る。
……と、帰ってきてからここまではゲームでのシルバとほぼ同じ判断。
前世の知識を持つ俺は、更に目の前の女からも隠しておく必要がある。
政治とは関係ないが、こいつがレイアの素性を知れば今すぐにでも彼女を殺しにいくだろう。
こちらから手出しはしないが、そうならないように目を光らせておく必要はある。
「他にも貴方の妹が入隊すると聞きましたが」
「そうそう、生き別れてた双子の妹と先日偶然再会したんですよ。もう二度とお兄ちゃんと離れたくないって言うんで、あいつらも入隊させることに。でも、能力に関してはご心配なく。身内贔屓なく俺が保証します」
ミツキとアカツキの二人もレイアと同じく新入隊員として入隊させることにした。
そのために必要な巫女や軍上層部への提出用書類を今から作らなければならない。
もちろん出生地から経歴まで全て偽装した書類だ。
まさかファンタジー世界に来てまでこんな会社員紛いの書類仕事をさせられるとは思ってもなかった。
「断層の発生数は日々増える一方ですので人員が増えるのは喜ばしいことです。これからも部隊の長として皆を導き、恒久的平和実現のために尽力してください」
これが世界を滅ぼそうとしている女の台詞だと思うと笑ってしまいそうになる。
「言われなくても常に尽力してますよ」
「それは頼もしいですね。では、書類の方に不備はなさそうなので私はこれで」
「いや、ちょっと待ってくれませんか?」
小さく一礼して退室しようとする彼女を呼び止める。
「なんでしょうか?」
「食事の件、真剣に考えといてください。巫女様からのご褒美があれば、世界平和の実現に向けてより尽力できると思うんで」
「……検討しておきます」
僅かな沈黙の後にそう言うと、彼女は音もなく部屋から退出していった。
今は澄まし顔の清楚系巨乳美女だが、いずれはカイルたちと敵対する女だ。
あまり深入りするのは良くないと思いつつも、不可避の悲劇的結末を迎えるという点で俺と彼女はよく似ている。
前世の知識故の共感か、つい余計なことを言いそうになってしまった。
「よーし、ようやく邪魔もいなくなったし今度こそ仕事を進めるか」
他人の心配よりもまずは自分の心配だ。
一章を超えるためにやるべきことはまだまだ残っている。
まずはこの書類仕事からだと手を動かし始めるが、再び入り口がノックされた。
「誰だ? 入ってもいいぞ」
またかよ……と思いながらも扉の向こうで律儀に待機してる誰かに喋りかける。
「失礼します。ナタリア・ノーフォークです」
「なんだ、今度はナタリアか。どうした? 何かあったか?」
入ってきたのは過激な踊り子服を纏ったままでいるナタリアだった。
この服装で過ごすことに慣れたのか、あるいは心を殺して命令を遵守しているだけなのか俺の前までキビキビと歩いてくる。
さっきの巫女ほどではないが、歩く度に胸元の肉塊が揺れて溢れそうになっている。
「実は隊長にご確認して頂いたこちらの書類なんですが……」
気まずそうにしながらナタリアが脇に抱えていた書類の束を机上に置く。
「んー……? 俺が確認した書類?」
山積みになった紙束の一番上の一枚を取ってみると、確かに見覚えのある内容だった。
過日、旅立つ前にでっち上げてナタリアへ渡しておいた隊員たちからの種々の申請書類だ。
「これがどうしたんだ? 特に問題があるようには見えないけど」
大元の書類自体を作ったのはナタリアで内容に問題はないはず。
残る俺の仕事は申請された各項目に○か×を付けるだけの簡単な仕事で問題が起こるとは思えないが……。
「その……隊長の判断を疑うわけではないのですが……。どうも、ご判断がおかしいと思いまして……」
「判断がおかしい……?」
「はい、例えばこの書類ではタニス隊員からの備品申請が『不許可』となっています。ですが、こちらは過日の出動で破損した防具の修理を申請しているものです。通常であれば許可して当然の申し出だと思われるのですが……」
「防具の修理……そりゃ当然必要だ。じゃあそこだけ間違ったのかもしれないな」
「いえ、それだけでなく他の申請書類も軒並み、同じ様に一般的な判断では許可すべきものが『不許可』になっています。一つや二つならミスとして私の方で修正させて頂くのですが今回は流石に数が多く、隊長の方で何らかの意図があるのでは思ってお伺いに参った次第なのですが……」
「んー……申請の類はほとんど許可した記憶があるけどなぁ……。ほら、タニスのもちゃんと『許可』の方を○で囲んであるじゃねーか。これの何がおかしいんだ?」
ナタリアに差し出された一枚を自分で確認するが、どう見ても『許可』の方を選んでいる。
「……えっ?」
しかし、俺が手にした書類を見て彼女は呆気に取られたような表情で立ち尽くす。
「えってなんだよ、えって……どうしたナタリア。らしくないぞ。訓練のやりすぎで疲れてるのか? お前こそ休暇の申請が必要なんじゃないか?」
慣れない踊り子の訓練で疲労が溜まっているのかもしれない。
時間は惜しいが少しは休暇を与えてやった方がいいかもしれないと思案していると、ナタリアが信じられないことを口にした。
「お言葉ですが……疲れておられるのは隊長の方ではありませんか? やはり、その書類は疑いようもなく不許可を示していますが……」
「はぁ? だから、これのどこが不許可………………あっ」
もう一度自分の目で書類を確認した瞬間、自らの大きな過ちにようやく気がついた。
EoEは国内の会社によって開発されたゲームだが、その発売は全世界同時に行われた。
各国版の販売はなく、全世界共通のグローバル版のみの販売。
初回起動時に本体設定基準で言語の自動設定こそあるが、デフォルトの操作設定はグローバル基準で固定。
そう、つまり『決定が○、取り消しが×』ではなく、『決定が×、取り消しが○』になっている。
「……ふ、普通は決定が○で取り消しが×だろ?」
気が付いた上で尚、悪あがきしてみるが――
「いえ、一般的な通例では×を付けたものが承認で、○で囲うのは非承認を意味します」
即座にキッパリと否定されてしまった。
「おかしいだろ、この世界……。普通は決定が○に決まってんだろ……」
「やはり長旅で疲労が溜まっておられるようですね……。しかし、こちらの申請書類は全て、本来ならば数日前に処理しておく必要のあったものです。お疲れのところ申し訳ありませんが、本日中にもう一度ご確認をお願いします」
「この量を今日中に?」
「はい、本日中にお願いします」
持ち上げられた書類の束が、ドシっと目の前に置かれる。
「そ、そういえば隊長の座はホークアイに譲ったから……事務仕事もあいつに……」
「あのような戯言を私が本気にするとでも……?」
「いや、戯言じゃなくて本気で……肩章も渡したし……」
ものすごい形相で上からギロリと睨みつけられる。
めちゃくちゃなことをするだけして、仕事も放り出してどこかに行っていたお前の所為でこっちは大変だったという激しい怒りが言葉は無くとも伝わってくる。
「とにかく! こちらの書類は今日中にお願いします! それから数日間放蕩していたかと思えば、いきなり保護していた少女と見知らぬ二人組を連れ帰ってきて独断で入隊させた件についても後日じっくりと説明して頂きますのでご覚悟してください! では、失礼します!」
最後にそう言い残して、ナタリアは普段よりも強めに扉を閉めて出ていった。
そうして室内には俺と俺のケアレスミスの結果生まれた大量の雑務だけが残された。
眼前に積み上げられた山のような申請書類は、三人+αの入隊書類と合わせて一晩で終わるとは思えない量になっている。
「普通は○が決定で、×が取り消しなんだよ……」
ようやく静けさを取り戻した部屋で負け惜しみの如く独り言つ。
デフォルトがグローバル設定の世界なんて滅んでしまえと、ラスボスに僅かながら共感してしまった。
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