第21話:一方その頃、主人公は

 ――王都アウローラから南東に20km地点。


 崖下にある人ひとりがギリギリ通れそうなほどの穴蔵から伸びて来た手が縁を掴む。


「ぐっ……あ、あと……ちょっと……」


 縁を掴んだカイルが苦悶の声を漏らしながら自分の身体を持ち上げようとする。


 渾身の力が込められている指先は擦り切れ、なんとか壁面の窪みを捉えている素足は何箇所も皮膚が破れて血が垂れている。


 既に何度も挑戦しては落下を繰り返し、満身創痍なのが見て取れる身体。


 非常用の食料も既に尽き果て、今回の挑戦で失敗すれば体力的にも脱出は絶望的な局面を迎えていた。


「カ、カイル! 頑張って! あと少しだよ!」

「んぐぐ……どりゃああああッッ!!」


 彼は足元から聞こえるミアの声援を受けて最後の力を振り絞る。


 指の爪が割れるほどに指に力を込めて、足をかけてある僅かな窪みを思い切り蹴った。


 一瞬の浮遊感――時間がゆっくりと進む中、彼は腕を高く掲げる。


 肘で縁を捉え、そこを基点として更に上半身を持ち上げていく。


 そして、十回以上にも及ぶ挑戦の果てに彼は遂に地下からへの脱出に成功した。


「や、やった……やった……出られたぞーーー!!!」


 満天の青空の下にカイルの歓喜の叫びが響き渡る。


「ほんとに!? ほんとに出られたの!?」

「ああ! 地上だ! 待ってろ、安全が確認出来たらすぐにロープを下ろすから!」


 丸一日以上さまよった洞窟からの脱出。


 性も根も尽き果てた彼は、その場へと倒れ込みたい衝動に耐えてまずは周囲の状況確認を行う。


 王都から一体どれだけ離れたのか、見覚えのない場所ではあるが周囲に敵性の魔物の気配はない。


 これなら大丈夫そうだと判断した彼は背負っていたロープを近くの木に結んで穴の中へと落としていく。


「おーい、届いたかー?」

「うん! 大丈夫そう! ほ、ほら……レイアから……」

「私はいいから、先に貴方が登りなさいよ」

「で、でも……私は一応軍属だからその……民間人のレイアが先に……」

「譲り合ってる暇があるならどっちでもいいからさっさと登って来てくれよ。またその中で一晩明かすつもりか?」


 地下深くで譲り合っている二人に向かってカイルが呆れ気味に言う。


 その数秒後に、どちらが登るか決まったのかロープがピンと張る。


 擦り切れて血が滲んでいる手との間に布を噛ませてカイルはロープを引っ張っていく。


「ん、っしょ……ほ、本当に出られた……久しぶりのお日様だぁ……」


 安堵の息を吐き出しながらカイルから預かった荷物を背負ったミアが穴から這い出てくる。


 特徴的な薄緑の髪は泥に汚れ、崖登りをしたカイルほどではないが隊服もボロボロに擦り切れている。


「ミア……お前、民間人に押し負けたのかよ……」

「だ、だってレイアが先に行けって言うから……ごめんなさい……」

「まあいいけど……じゃあ次はあいつか……」


 気弱な幼馴染に呆れながらもカイルは再びロープを穴の中へと戻す。


 そうして先刻と同じ長さまで送り込んだところで同じようにロープが張った。


 穴の下で残されたもう一人が掴んだことを確認すると、再び力を込めて手繰っていく。


「あっ、私も手伝う……」

「いや、それよりもお前はここがどこなのか確認しないと」

「う、うん……そうだよね……ホーク、お願い」


 ミアが精霊を使って現在地を確認している間にカイルはロープを手繰って、残されたもう一人を地上へと引っ張り上げた。


 穴から出てきたレイアは久しぶりに吸う地上の空気に噎せて何度も咳き込む。


 雪のようだった白髪は二人と同じく泥に塗れて見る影もなくなっている。


「……どうも」


 カイルの方を見ずにレイアがボソっと無愛想な礼を述べる。


「……どういたしまして」


 対するカイルも同じように視線を合わせずに素っ気のない返事をする。


 丸一日以上にも及ぶ地下洞窟での遭難。


 三人は極限状態の中で寝食を共にし、時折襲い来る魔物との戦いを乗り越えてきた。


 その間に同性であるミアはレイアと名前を教え合う程度の関係性を構築出来ていたが、カイルとレイアの間には依然として溝が存在していた。


「あー……いってぇ……これはしばらく何も持てないぞ……。てか、早く医者に見せないと雑菌とか入ってたらまずいな、これ……」


 広げた自分の両手を見ながらカイルが呟く。


 幾度もの崖登りに、ロープを使った二人の引き上げによって出来た傷は真皮を削ぎ、皮下組織にまで達していた。


 このまま放置しておけば、彼の言う通り大事になりかねない状態。


「ちょっと見せて」


 そんな痛々しい両手を見たレイアが彼の側へと寄る。


「見せろって……なんでだよ。こんなもん見たところで……」

「いいから見せなさいって言ってるの」

「こんなもんが見たいなんて趣味悪いな……」


 その有無を言わさない迫力に、カイルは閉じようとしていた手を開いて彼女に差し出す。


 すると、彼女は上から被せるように自分の手をその手にかざして魔法の詠唱を始めた。


「ま、魔法……? ちょ、ちょっと……おい……医者に見せる前にあんまり変なこと……」


 戸惑うカイルを無視して、彼女は更に詠唱を続ける。


 呪文が一言一言、紡がれていくごとに傷口が少しずつ修復されていく。


 それはまるで治っているというよりは時間が巻き戻っていくように。


 そうして十数秒後には怪我をしていたと言われても信じられないほど綺麗になった手がそこにあった。


「な、治ってる……それもめちゃくちゃ綺麗に……。これ、治癒魔法か……?」


 その周辺だけが、まるで洞窟に落ちる直前の状態になったかのような自分の両手を見てカイルが喫驚の声を上げる。


 怪我と治療が日常の軍人である彼をしても、それは非常に高度な治癒の魔法だった。


「そんなとこ」

「あ、ありがとう……。助かったよ……」


 未だに信じられない顔で両手を見つめながらも素直に感謝の意を示すカイル。


「別にお礼は必要ない。引っ張り上げてもらった借りをずっと持ったままでいるのは気持ち悪いからすぐに返しただけ」


 対するレイアは立ち上がりながらやはり変わらない無愛想な口調で答える。


「やっぱり、可愛げのねー女……」

「……何か言った?」

「ふ、二人とも! 喧嘩は止めてって! それよりここがどこか分か――」


 飽きずに火花を散らし始めた二人の間にミアが仲裁に入ろうとした時だった。


 三人が立っている場所を再び巨大な地響きが襲った。


「これは……二人とも、穴から離れろ!」


 立っているのもままならない揺れの中でカイルが二人に向かって叫ぶ。


 彼らが揺れの中心部から飛び退いた直後――


 ――――――――――ッ!!


 甲高い雄叫びと共に穴のあった周辺の地面を砕き割って巨大な魔物が現れた。


「こいつは、あの時の!」


 それは三人が地下へと落ちる直前に見た魔物の影と一致していた。


「プラナウィルム!? でも、大きすぎるし……何か変……」


 プラナウィルム――巨大蛇の胴体に円口類のような頭部を有する異形の怪物。


 平原の地下に巣を張り、そこに迷い込んだ獲物を捕食する習性を持つ魔物の一種。


 一般的な個体は5~8m程だが、三人の前に現れたそれは十数mの巨大個体。


 更に身体の至るところから分身のような触腕が伸びている変異種だった。


「ミア、俺の槍を! それからお前も武器を構えろ!」

「えっ……た、戦うの!?」

「それ以外どうしようもないだろ!」


 周囲は見晴らしもよく、魔物は完全に三人へと標的を定めている。


 逃げられる可能性は低く、カイルの言う通り戦う以外の選択肢は残されていなかった。


 一瞬遅れて状況を理解したミアも震える手で自らの弓を構える。


「大丈夫……俺たちだってあの第三特務部隊の一員だ。こんな魔物くらい……」


 自らを鼓舞しながら譲り受けた銀の槍を構えるカイル。


 そうして巨大な魔物と対峙するを彼らを、近くの木陰から見守る影が四つあった。


 大きな影が一つと小さな影が三つ。


 その内の大きな一つは、彼に槍を譲った張本人――シルバ・ピアースその人だった。

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