第15話:洗脳
ほんの少し前と打って変わって可愛らしい戸惑いを浮かべる刺客の少女。
彼女の身体を押さえつけていた手を離して立ち上がる。
「ったく、世話をかけさせて……相変わらずお前は手がかかる妹だな」
「ご、ごめんね……お兄ちゃん……」
同じく衣類を正しながら彼女も立ち上がる。
その身に纏う雰囲気には、先刻まであった強い殺意は今や影も形も見えない。
「あ、あれ……? でも、なんでお兄ちゃんがこんなところに……? だって、私……お兄ちゃんに言われて……ここに……あれ……?」
「余計なことは気にするな。お前は俺の言うことだけを聞いていればいい。ずっとそうだっただろ?」
「う、うん……お兄ちゃんの言うことだけ聞く……そうだよね……」
急に俺をお兄ちゃんと呼び始めた彼女は結社の暗殺部門の構成員で名前はミツキ。
見た目は黒髪ショートの無邪気そうな美少女だが、その正体はDLCで突然生えてきたシルバの妹……ではなく結社に生み出された人間兵器の一人。
高い水準の見た目と人間離れした身体能力を武器に、どんな兵器よりも確実に狙った者の命を摘み取る暗殺者。
しかし薬物漬けの影響で精神が非常に不安定であり、それを補うため結社によってある仕掛けが施されている。
それは特定のキーワードを口にした者をただ一人の家族である兄として認識する洗脳。
この子はそうして兄と認識した相手の命令を絶対に遵守するように出来ている。
さっき俺が告げた言葉がその洗脳を上書きするためのキーワードだ。
本来なら暗殺部門の調査を進めることで少しずつ明らかになる要素だが、そんな正規ルートは知ったことではない。
「でも、お兄ちゃんがなんでこんなとこに?」
「えーっと……それは……そう、お前に任務の中断を伝えにきたんだ」
「任務の中断? でも結社のことを探る人は殺さないとって……あれ? でもその人がお兄ちゃんで……殺してこいって言ったのもお兄ちゃんで……あれ……あれぇ……? お兄ちゃんがあっちにもこっちにも……」
自らが抱えるとてつもなく大きな矛盾にミツキが頭を抱えて苦悩しはじめる。
身体の方は五体無事に確保できたが、あまり考えさせすぎるとただでさえ壊れかけの頭の方が危ない。
「だから余計なことは考えるな。全部忘れて俺の言うことだけを聞いていればいい。そうだろ?」
「うん、分かった。忘れる」
「よしよし、いい子には飴をやろう」
「わーい!」
明らかな異常ですら
洗脳って怖い。
それを利用する良心の呵責がないといえば嘘になるが今はこうするしかないし、これで頼りになる仲間が増えるのは事実だ。
なんせこのミツキ、初期レベルが40で『ローグ』の上位クラスである『アサシン』を最初から習得している。
高火力と高回避を兼ね備えたクラスで、装備しているユニーク武器『冥月』との相性も抜群。
「それで次は何をすればいい? 誰を殺せばいいの?」
純真な瞳で見据えられながらギョッとする物騒なことを尋ねられる。
「いや、これからはもう誰も殺さなくていい。今後のことはまず宿に戻って……いてて……」
落ち着いてくると戦闘の興奮で紛れていた傷の激痛が襲ってくる。
「お兄ちゃん!? 大丈夫!?」
傷をつけた張本人が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「大丈夫だ。このくらいの傷……心配ない」
余計な負荷をかけて頭がぶっ壊れないようにそう言ってやるが、傷口からは血が未だ溢れ続けている。
『冥月』による出血の持続ダメージは高く、如何に高耐久のシルバといえどもこのまま自然回復は待てない。
こうなる可能性を予見して用意しておいた出血治癒効果ある膏薬を所持品から取り出して傷口に塗っていく。
「あいてて……くそっ……もう絶対にやらねぇ……」
最後に聖属性の魔力が込められた包帯をグルグル巻きにしてなんとか出血は治まった。
そうするしかなかったとはいえ、自分から大怪我を負いにいくのは流石に度胸が要った。
ティランにやられたあのときのダメージが100なら、今は間違いなく1000以上減っている。
死ぬよりはましだが、出来ればもう同じようなことは二度としたくないと考えながらミツキを連れて宿へと戻った。
*****
「だぁあああああッ!!! 疲れたッ!!!」
部屋に入るとほぼ同時に傷つき疲れ果てた身体をベッドの上に投げ出す。
安宿の安物ベッドが唸ったような軋んだ音を立てる。
心身ともに限界を迎えつつあるが、そこまで頑張っただけの収穫はあった。
三日目を終えて、攻略は少し余裕があるくらい順調に進んでいる。
この調子なら目標達成も不可能ではないが、好事魔多しとも言う。油断は禁物だ。
ぼーっと染みだらけの天井を見上げていると、視界の端にミツキの姿が見えた。
何をするでもなく、ただ人形のようにじっと部屋の端で佇んでいる。
「ああ……そうか……。ミツキ、お前も休んでいいんだぞ」
「え? 休んでいいの?」
「もちろんだろ。ほら、そこらへんに適当に座れ」
「うん」
俺からそう言ってやると、近くの椅子にちょこんと腰を下ろした。
兄の指示無しに、この子は自分の意思で休憩することも出来ない。
そんな可哀想な設定上、ゲーム中でも悲劇的な末路を迎えるルートが多数を占めている。
正体が明かされないまま主人公たちとの戦いで死亡。
架空の兄への情愛でボロボロになっても戦い続けて薬物の過剰投与で死亡。
無事に洗脳が解けたと思った直後、結社の手にかかって死亡。
そんな地雷原の如き死亡フラグを初見プレイで全て回避出来たプレイヤーはほとんどいないだろう。
そういう意味では
良かった良かった。
椅子に座ったままピクリとも動かないミツキを見ていると、不意に入り口の扉が勢いよく開かれた。
「ただいま戻りましたぁっ!!」
すっかり存在を忘れてしまっていたロマが大声を張り上げて入室してくる。
頼んできた品を買い込んできたのか、手には大きな袋を持っている。
「子分としての初仕事! しっかりと務めを果たして参りましたよ!! その成果をご照覧あれぇ……ってどちら様!?」
見知らぬ少女の姿を視認したロマがオーバーリアクションで驚く。
「お兄ちゃん……誰、このうるさいの……」
対するミツキも訝しげな目を俺に向けてくる。
「お兄ちゃん!? す、すいません! そういうプレイの最中とは知らずに入ってしまいましたぁっ! 失礼します!」
「待て待て、妙な勘違いをすんな。こいつは俺の妹のミツキだ。さっき買い物中に偶然会ってついてきたんだよ」
何か妙な勘違いをして退室しようとしたロマを止めて大嘘の紹介を行う。
「い、妹さん!? そ、それは重ねて失礼しましたぁ!! 私、兄貴の子分でロマと申します! 以後、お見知りおきをば……」
「子分……」
営業先にミスの平謝りをするサラリーマンのようにペコペコと頭を下げるロマ。
ミツキはそんな彼女を敵意に満ちた目で見下ろしている。
大好きなお兄ちゃんに近寄る悪い虫とでも思っているのかもしれない。
腰に携えている短剣で斬りかかるのを我慢しているようにさえ見える。
「紹介は済んだな。それならロマ、とりあえず買ってきた物を見せてみろ」
二人の間に割って入って会話を切り上げる。
この話がこれ以上続けば何らかのボロが出てしまうかもしれない。
そもそも髪の色から顔立ちまで全く似ていないのに兄妹設定は正直無理がある。
「あ、はい! こちらになります! どうですか!」
まるで捕まえた獲物を主人に見せびらかす飼い猫のように、袋の口を大きく開いて見せてくる。
中に詰まっているのは独特の白い光を内包している石ころ。
「あるだけ買って来いと言われたので、街中の鉱石店を回ってぜーんぶ買ってきましたよ!!」
「ふむふむ……確かに中々の量だ」
目算で大雑把に数えても三、四十個はある。
街中の鉱石店を回ったというのも嘘じゃないんだろうが……。
「そうでしょうそうでしょう! このロマがどれだけ兄貴に心酔しているかをこの働きぶりから理解し――」
「でも、まだまだ足りないな。これの十倍は必要だ」
「え゛っ!? じゅ、十倍!?」
「ああ、だから明日も引き続きこいつを買い漁れ。この街で足りないなら別の街にも行ってこい」
「べ、別の……は、はひぃ……」
「分かったなら今日はもう休んでいいぞ。ご苦労だったな」
「は、はひ……明日も頑張ります……十倍……十倍……」
疲れからか肩を落としてトボトボと自室へ戻っていく。
「お兄ちゃん。なんであんなの連れてるの?」
「まあそう言ってやるな。ああ見えてやる気だけは十分あるみたいだし……多分」
「ふーん……」
「それより俺は少し寝る。お前も疲れたら好きに寝ていいぞ」
納得していない様子でロマの出ていった扉を睨んでいるミツキにそう命じ、俺はこの世界にきて始めての眠りに落ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます