第9話:挑発
「こいつをって……おもっー!!」
袋を受け取ったロマの両手が地面スレスレまで落ちる。
「一体いくら入ってるんですか!? まさかこれ全部さっきのカジノで勝ったお金ですか!?」
「そうだ。全部で大体二百万ゴールドは入ってるから無くすなよ」
「に、二百万ー!?」
目を丸くして、周りの人間たちの視線が集まるほどの大きな声で叫ぶロマ。
設定では二百万ゴールドの価値は日本円に換算して約二千万円。
こんな柄の悪い場所でそんな大金を持っていると知られれば物騒なことになりかねない。
「大きな声を出すな。それと賭けるのは次の次の試合だ。それまでに失くすなよ?」
「な、失くしませんよ……」
ロマが大きな袋をギュっと大事そうに抱え込む。
こいつに大金を預けるのは心配だが、自分の試合に自分では賭けられない。
今更、他に信頼できそうな者を探すのも面倒だし任せるしかない。
「や、やることは分かりました。でも、一試合に二百万も賭けたらオッズが低くならないですか? そうなると勝ってもあんまり旨味がないっていうか……」
「その点に関しても問題ない。賭ける試合の対戦相手はこの闘技場のチャンピオンになる予定だ。数ヶ月に一度あるかないかの大勝負なら動く金も多いから二百万程度じゃオッズは下がらない」
「なるほどー……確かにチャンピオンが相手なら……ってチャンピオン!?!? いやいやいやいや!! それはダメっすよヤバイっすよ!!」
「なんでだよ」
「だって、この闘技場のチャンピオンって言ったら私でも知ってるあの獄道のティランっすよ!! 三年間無敗の!!」
ロマの口から出てきた名前を聞いた周囲の連中がざわざわと騒ぎ始める。
「そのくらい知っている。だから俺の勝ちが高倍率になるんだろ」
「いやいやいやいや! ダメですダメですよ! 単に強いだけじゃなくて反則から脅迫まで何でもありの卑怯なド悪党っすよ!? 流石のお兄さんでもやめといた方がいいですって! 勝ち負け以前に下手すりゃ殺されますよ!?」
「大丈夫だよ。お前よりも俺の方がそいつについてはよく知ってる」
そう、よく知っている。
獄道のティラン――闘技場クエストで戦えるグランドマスターの一人であり、この街の影の支配者。
この街で行われているカジノを始めとした夜の商売のみならず、奴隷売買や薬物取引きなども一手に取り仕切るド悪党。
戦闘ではロマが言った通りに反則から脅迫までなんでもアリのダーティスタイル。
本人が相応の実力者であることも加えて、バカ正直に真っ向から戦って勝利するのは難しい相手だ。
通常プレイでは種々の反則の仕掛けを暴いて無効化してから戦うのが正攻法とされている。
「とにかく、お前は余計なことを考えずに俺が勝つ方に賭ければそれでいい」
「ひっ……! か、勝つとか言っちゃったらまずいですよ。ど、どこで誰に聞かれてるか……」
「ったく、ビビりすぎだっての。そんじゃ俺は控え室に行くから頼んだぞ」
「うぁぁ……ほ、ほんとにやるんですかぁ……? もしかして私、ついてくる人を間違えたんじゃ……」
まだビビっているロマに背を向けて選手控え室へと向かう。
上位の闘士でない新参の俺が通されたのは他の選手たちと共同の汚い部屋。
昨夜の連戦連勝で顔と名前は知れ渡ったのか、すぐに何人かの選手から声をかけられる。
素直に激励の言葉を述べてくる者からやっかんでくる者まで。
そんな連中を適当にあしらいながら待機中も攻略チャートの確認を行う。
前世の記憶を取り戻してから今日で三日目。
カイルをはじめとした隊員への仕込みから街を移動して闘技場とカジノで荒稼ぎ。
今のところ攻略は狂いなくチャート通り順調に進んでいる。
しかし、油断は禁物だ。
なにしろオリチャーの一発勝負で先はまだまだ長い。
どこでどんな罠が待ち構えているのか、自分が単純なガバを起こさないとも限らない。
自らを律しながら先の行程を確認していると、三十分ほどで呼び出しがかかった。
係の者に誘導されて入場口まで連れて来られる。
この街に到着して六戦目。
次はいよいよ上位ランカーとの対戦になるが――
『勝者! シルバ・ピアース!!!』
これまで通りに開始の合図とほぼ同時に瞬殺して試合を終わらせた。
街に来たばかりの男がランキングをあっという間に駆け上がり、遂に上位ランカーを下したことで会場は大いに湧き上がっている。
これで舞台は整った。
「それでは勝者のシルバ選手に今のお気持ちを……あっ! ちょ、ちょっと! マイク!」
駆け寄ってきたインタビュアーのマイクを奪い取る。
この闘技場のチャンピオン――獄道のティランへ最速で挑戦するチャートはこうだ。
まず一つはこの闘技場で規定の順位に到達する。
これは挑戦できる中で常に最も強い選手と戦い続ければ最速六試合で達成可能で、今の試合を以て完了した。
二つ目はこの街で支配者である奴に対して敵対的行動を取る。
これも昨晩、奴が取り仕切っているカジノで荒稼ぎした俺は既に報告されているはず。
そして、その二つを達成した上で――
「えー……謎の超新星シルバ・ピアースです。ここには強者が集うと聞いて遥々王都からやってきたのですが今のところゴブリン未満の雑魚ばかりで非常にガッカリしています」
マイクを片手に挑発的なトラッシュトークを行っていく。
ビッグマウスの新星に観客は大盛り上がりだが目的はそれではない。
「チャンピオンの……えーっと、名前はなんだったかな……暴れツルピカ肉達磨だったか……? とにかく、あいつも無敗を誇ってるけどこの調子だと大したことはないんだろうなって感じですね」
観客席の最上段、他の場所とは違う様式で設えられた特別席。
首輪で繋がれた異種族奴隷たちを侍らした大男が憤怒の表情で俺を睨みつけている。
あいつこそがこの闘技場の王者にして現段階での最終目標。
「おお! ちょうどいるじゃねーか! あの北欧の民話に出てくる妖精みたいな面した奴がチャンピオンだろ! おーい! こんだけ言われて黙ってねーよな!? ビビってないなら俺とやろうぜ!」
そう、最後はこの舞台で試合を観戦している本人を直接挑発するだけ。
そうすればその日の内に向こうから試合を組んでくれる。
奴隷の鎖を引いて当たり散らかしているのを見ると達成出来たようだ。
*****
無事にチャンピオンとの試合が組まれたのを確認してエントランスへと戻るとロマが駆け寄ってきた。
「何やってんすか!? 流石にやばいですよ! 本当に殺されちゃいますよ!?」
赤い髪と対照的に顔を真っ青にしている。
「何って、予定通りチャンピオンと試合を組んだだけだが?」
「だけだがじゃないですよ! ただでさえヤバイ人をあんなに挑発しちゃったら本当にヤバイですって! こ、こうしてる間にも刺客が送り込まれてくる可能性だって……」
「ああ、ここに来るまでに四人ほど撃退しといたぞ」
「もうそんなに!?」
ロマが危惧している通り、この方法は最速で挑戦出来るが向こうも卑怯の限界をぶっちぎってくるというデメリットが存在している。
その時の卑劣さときたら中南米出身のヒール系外国人レスラーも真っ青なほどだ。
「てかお前、そんなに危険だと思うのになんで俺に話しかけてきた。お前も狙われるぞ?」
その事実に今さら気がついたらしいロマが『あっ』っとあんぐり口を開いた。
「ったく、だから先に金を渡してたのに……まあいい。こうなったら俺から離れるなよ」
「は、はい! 離れません離れません! くっついときます!」
金の入った袋を後生大事そうに抱えながら言葉通りピッタリとくっつかれる。
こいつを選んだの失敗な気がしてきた……。
そのまま試合まで闘技場を一旦後にして、街へと繰り出す。
「そういえばお兄さん、お腹すいてないんですか? 朝から何も食べてないですけど……」
「腹か……そうだな……」
グルっと周囲を見渡して、近くにある屋台に目をつける。
安そうな肉に味が濃いだけのタレをかけた如何にもな屋台料理の串焼きが売られている。
「おい、オヤジ。これを二つ」
指を二本立てて店主へと注文すると、すぐに出来たての串焼きが差し出された。
「はい、二つで100ゴールドだよ」
「うひゃ~! 美味しそうですねぇ! いただき――」
「待て。食うな」
奢るとも言っていないのに片方を受け取ろうとしたロマを制する。
「え、えぇ……こんなほかほかのお肉を前にしてお預けは辛いですよぉ……」
餌を前に待てを食らった犬のように悲しんでいるロマを無視して店主と向き合う。
「あんた、こいつの代わりにそれを食ってみろ」
「い、いやぁ……お客さんにお出しした物を私が食べるわけには……」
「いいから食ってみろ。金はちゃんと俺が払う。なんならあんたが食えばその後に俺たちの分も注文する」
「だから、そういうわけには……」
「食えない理由があるのか? 例えば毒が入ってるとか?」
そう尋ねた次の瞬間、先刻まで朗らかな笑顔を浮かべていた店主が血相を変え、肉切り包丁を手に襲いかかってきた。
特に焦らずにその初太刀を回避し、頭を掴んで焼き台へと叩きつける。
痛々しい絶叫と民衆の悲鳴、香ばしい肉の焼ける臭いが辺り一帯へと伝播していく。
「……というわけで試合が終わるまでは自分が持ってきたもん以外は口にするな。分かったな?」
「は、はい……わざわざ御教示頂きありがとうございます……」
その後も狡い王者からの刺客はひっきりなしに俺たちへと襲いかかってきた。
しかし、特筆すべき苦難もないまま退けること数十人。
到着した時と同じように空が朱色に染まった頃、遂に試合開始を迎えた。
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