第2話 ナルシストパンダは誘拐する

 家の前で新聞の勧誘に出会ったことはあるけど、校門で拉致されたことはなかった。


「明日、授業後にまた屋上へ来てくれ」


 昨日、噂の成瀬先輩に拘束され、手下になることを強要された時、彼女は心底嬉しそうにそう言った。僕はしぶしぶ頷き、「分かりました。明日からよろしくお願いします」と愛想良く笑い「実は前から先輩の手下になりたかったんですよ」と屋上に響き渡るくらい大きな声で胡麻を擦った。そうしないと帰られそうになかったからだ。だけど、口では正直でも心が嫌がっている僕は、自分の心に素直に従い、次の日の授業後に平然と帰ろうとした。成瀬先輩も僕なんかをしつこい追いはしないだろうとも思っていた。


 だから校門の前で成瀬先輩を見つけた時、僕は驚いた。驚きすぎてその場で飛び跳ね、バランスを崩して足を挫き、その場でうずくまってしまった。それもこれも全部成瀬先輩のせいだ。


「おいおい、何をしているのだ」当の成瀬先輩は、昨日と同じパンダの着ぐるみを着て、校門にもたれかかっていた。フードを深く被っているせいで表情は見えないが、その声は明るい。


「大丈夫かい?」

「先輩の頭よりは」

「大丈夫そうだね」よしよしと頷いた彼女は「君はこんなところで何をしていたのかね?」と蹲っている僕の頭を撫でてくる。


「迷子になっていたのかい?」

「子供扱いしないで下さいよ」

「高校一年生は立派な子供だよ」

「僕は違いますよ」

「大人びているといいたいのかい? さすがに無理があると思うがな」

「僕は立派じゃない子供です」

「そこを否定するのか」


 あっはっはと豪快に笑う。その度に僕の頭を撫でる力が強くなり、後半はバシバシと叩くようになっていた。僕の頭を木魚か何かと勘違いしているのかもしれない。


「そういう先輩こそ何してたんですか」ようやく痛みがひいてきた足首を撫でながら訊ねる。「こんなところで何を」

「何もしてないさ。強いて言うなら呆然としている」

「なんですかそれ」呆然としている人はそんなに胸を張っていない。「てっきり、誰かと待ち合わせでもしてるのかと思いましたよ」

「待ち合わせというより待ち伏せだね。狩りの鉄則さ」

「狩りって。いったい何を狩るつもりなんですか」

「君」当然のように成瀬先輩は言ってくる。「昨日の約束を破って、勝手に帰ろうとしている手下を狩るのだよ」

「それは」


 薄々勘づいてはいた。覚悟していたといってもいい。校門に成瀬先輩がいる時点で、これは終わったかも、と思ってはいた。


「その、すみません」

「まったく。君はもう少し手下としての自覚を持ちたまえ。私と一緒にいられる権利を放棄するなんて、信じられない」

「もう少し自分を信じてあげてください」

「それは君に言いたい言葉だね。二重の意味で」


 仕方ないなあ、と先輩は大袈裟に肩をすくめ、僕の頭を強く押した。足を庇うため不安定な姿勢で座っていたのもあって、そのまま後ろに倒れそうになる。が、それより早く先輩が僕の後頭部に右手で支え、そのまま膝の下に左手を伸ばした。


「あの、先輩? 何してるんですか」

「強いて言うなら自分の優しさに感動しているかな」

「なんで僕を持ち上げようとしているんですか」

「私はな、自分一人で歩けない奴を支えるのが趣味なのだよ」

「嫌な趣味ですね」

「歩道橋のお婆ちゃんを助けた数ならギネスに載れるよ」


 言うや否や、よっこらせ、と盛大なかけ声と共に身体が持ち上がった。浮遊感に襲われ、うわあと情けない声を出してしまう。


「おっと。随分と軽いなあ。小柄だと思っていたけど、ここまでとは。もっと食べた方がいい」

「これから大きくなるんですよ。ビックになるんです」

「おいおい暴れるなよ。危ないじゃないか」

「だったら下ろしてください! 一人でも僕は歩けますから」

「遠慮しなくともいい。なあに気にするな。私も好きでやっているのだから」

「せめて、お姫様抱っこはやめてくださいよ!」


 顔が羞恥で熱くなる。着ぐるみのふさふさの毛がくすぐったく、密着した身体から暖かな体温が伝わってくる。ふと顔をあげると、成瀬先輩と目が合った。顔が近く、また顔が熱くなる。にっと笑い「どうかしたか?」とさらにぐっと顔を近づけてくるので、たまらず顔の前に手を当ててしまう。昨日出会ったばかりだというのに、距離感がおかしい。高校生は皆こんな感じなのだろうか。


「そんなに照れなくともよいだろう。たかがお姫様抱っこだ」

「照れてないです! 周りの目を気にしてるんですよ」

「周りの目なんてどうでもよいだろう。何だい? 私にお姫様抱っこされるのは不満かい? 白馬の王子様ではなく、パンダの女子高生だったのが不満なのかい?」


 そういう問題じゃないです。そう抗議しようとするけれど、すぐに言葉を止める。気がついたのだ。成瀬先輩は僕を校門で待ち伏せしていた。つまり、僕よりはやく校舎を出て、外で待っていたのだ。僕が屋上に来ないことを予想していた、そういうことなのだろうか。


「成瀬先輩」

「ん? どうした」

「もしかして、怒ってますか?」成瀬先輩はふふっと笑った。僕を持ちながら器用に肩をすくめ、ため息を吐く。「いや、怒ってないよ。私に何も」

「そ、そうですか」

「強いて言うなら自分の優しさに感動しているがな」


 やっぱり怒ってるじゃないですか。そう文句を言うも、先輩はあっはっはと笑うだけだった。

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