第3話 ナルシストパンダは物をもらう
「酷い目に遭いましたよ」
屋上へと連行された僕は、硬いコンクリートに腰を下ろしながら、というよりも「何突っ立っているのだ。気を遣わなくていいから座れ。頭が高いぞ」と言われ、しぶしぶ地べたに座らされながら、きっと先輩を睨んだ。
「まさか、本当にあのまま屋上まで連行されるとは思いませんでした」
「楽しかっただろう?」
「恥ずかしかったです。明日からどんな顔して学校に行けばいいんですか」
ほとんどの生徒が既に出払っていたとはいえ、校舎にはまだ多くの生徒が残っていた。廊下ですれ違う度に彼らはぎょっとし、僕たちを怪訝な目で見てきた。まだ保健室に連れて行ってると思ってくれればいいけど、校舎の一階にある保健室ではなく屋上へ続く階段をのぼっているのだから、怪しいに決まっていた。不幸中の幸いといえば、屋上には誰もおらず、昨日と同じ殺風景が広がっていたことだろうか。
「どんな顔って。そりゃ、ドヤ顔でこればいいんじゃないか? 俺はお姫様抱っこされたんだぜって感じで」
「お姫様抱っこされて、ドヤ顔できる人はいませんよ」
「この私にされたとしても、か?」
「むしろより恥ずかしいです」
まだ大柄な先生とかだったらましだったかもしれない。成瀬先輩はたしかに女子生徒にしては背が高く、足も長いけど、身体の線は細く、力があるようには見えない。そんな彼女に軽々と持ち上げられるなんて、情けなくてしかたなかった。
「そもそも僕がお姫様抱っこなんて似合いませんよ。ああいうのは、それこそ可愛くて高貴な人がされると映えるんです」
「高貴な奴の方がよっぽど嫌な感じだと思うが」苦笑しながら先輩は笑う。座り込んだ僕の目の前に立ち、当然のように頭にぽんと手を置いてくる。「それに、君は可愛いよ」
「かわいいっていうのは褒め言葉じゃないですよ」
「そうなのか?」
「なんか、相手を見くびっているみたいじゃないですか。侮辱ですよ。褒め言葉じゃないです」
「私は褒めているさ。本心からね。子犬みたいに可愛いよ。雨に濡れた、捨てられた子犬さ。小さくて、健気で、愛おしいではないか」
「先輩って気持ち悪いですね」
「気持ち悪いというのも褒め言葉じゃないぞ」
がちゃんと、扉が開く音がしたのはその時だった。反射的に身体が跳ね、背筋が凍る。飛び込むようにして先輩の後ろに隠れ、彼女の足の隙間から様子をうかがう。
「いやあ。やっぱり俺の言うことは正しかっただろ」
が、現れた人影を見て、ほっとした。ほっとしてまた顔が熱くなる。横目で先輩を見ると、案の定彼女はにやついていた。小声で「びっくりしたのか」と囁いてくる。慌てて立ち上がるも、先輩はにやつくのをやめなかった。
「びっくりして私の影に隠れるなんて、可愛い奴め」
「違いますよ。ただ」
「ただ、なんだ」
「パンダと熊が同種だってことを思い出したんです」
のしのしと、扉の奥から現れた大きな身体を見上げる。壁みたいだ、とすぐに思った。巨大な壁に手足が生え、開きっぱなしになった扉を塞いでいる。が、その威圧感溢れる体型とは裏腹に表情は柔らかかった。太い唇をにっと横に伸ばし、脂肪で潰れた目尻をだらしなく下げている。
「隈先生」
「おう。皆大好き隈先生だぞ」
「嘘はよくないですよ」
「嘘じゃねえよ」
ガハハと雄叫びのような笑い声をあげながら大股で近づいてくる。緑色のジャージは数学教師らしくはなかったけど、信じられないほど似合っていた。ジャージ選手権があれば間違いなく優勝している。まあ、そんな選手権に出たがる人はいないと思うけど。
「でも、驚いたぞ」僕も先生の声の大きさに驚きました、と文句を言う。が、彼は当然のように無視してきた。「まさか、お前らがもうそんなに仲良くなっていたとはな。感謝感激だ」
「仲良くないですよ」とすぐに否定したのは僕だ。
「昨日会ったばかりで仲良くなれませんよ」
「照れるなよ。成瀬と根賀。同じナ行から始まるし、相性ばっちしだな」
「こじつけが酷いです」豪快で何もかも雑にこなしていそうな隈先生らしく、滅茶苦茶な論理だった。「成瀬先輩と隈先生って、知り合いなんですか?」
「知り合いというより」どこか困ったように隈先生が顔を歪める。「相談相手だな」
「相談相手?」この自信満々な成瀬先輩がこんなちゃらんぽらんな隈先生に何かを相談するなんて思えなかった。「先輩。隈先生は悪い先生じゃないですけど、相談相手は真面目な人にした方がいいですよ」
「誰が不真面目だ誰が」
大口を開け、ゲラゲラと笑う姿はどう足掻いても真面目には見えなかった。
「それに、逆だよ」
「逆って、なんですか」
「俺だよ。俺。俺が成瀬に時々相談してんだよ。やっぱり、若者の気持ちは若者しか分かんねえからな。あれだ。相談室とかってやつだ」
「先生。先輩は多分悪い先輩じゃないですけど、相談相手は真面目な人にした方が良いですよ」
「君は本当に生意気だなあ。だが、生意気な後輩ほど好ましいものもない」
そんなことないと思います、と首を振ろうとする。が、頭を掴まれ強く撫でられる。その力があまりに強く、首が上下に揺すられる。そもそも教師が生徒に相談するのはどうなんですか、と口に出したが、顔が揺さぶられるせいでよく分からない呻き声にしかならなかった。
「いやあ、青春だなあ」そんな様子を見ていた隈先生が腫れぼったい目を細めた。絶対にその目は節穴だ。「しかもお姫様抱っこもしたんだろ。最近の高校生は進んでるな」
「まあな」と頷いたのは、もちろん僕ではなく、先輩だった。「私たちは日々進歩しているのだよ。未来に生きてるんだ」
僕と先輩を交互に見た先生は、広い屋上のど真ん中、ちょうど僕たちの正面までくると、どかりと腰を落とした。心なしか、彼が座った箇所が沈み込み、窪みができたかのように見える。
「成瀬。もう終わったのか。さすがだな。俺の出る幕はなかったってことだ」
「いや。まだだ」先生に対しても、成瀬先輩は口調を変えなかった。教師にため口で話す人が優等生を自称するなんて。驚いたけど、不思議と格好良く見えるのも事実だった。
「そうなのか? 何だよ。成瀬も意外と慎重なんだな。完璧主義者というべきか。もう十分だと思うがなぁ」
「人の心というのは複雑なのだよ。今までずっと積み重ねてきたものが、たった一日で変わるはずもないだろう」
「あの、何の話ですか」
僕を置いて話し始める二人に戸惑い、同時に恐怖を覚えた。見えない何かから、例えばそれは人生を走る電車から、僕だけが取り残され、皆が走って行っているような、疎外感を覚える。僕を置いていかないで、と懇願したくなった。
「何って」が、そんな僕の悲痛も知らないで隈先生は怪訝そうに首を傾げる。「大人な話だよ」
「成瀬先輩は立派な子供ですよ。高校生ですから」
「何を言ってるんだ根賀」やれやれと肩をすくめながら成瀬先輩はふっと馬鹿にするように鼻で笑ってくる。「私たち高校生は義務教育を終えているんだ。大人としての自覚を持たないと」
「さっきと言っていること、違うじゃないですか」
「大人だからな」なぜか成瀬先輩は得意げだっ
た。「大人は自分の都合で言うことを変えるのだよ」
「汚い大人だ」
「大人は皆汚いんだよ」
「僕よりですか」
「なぜそこに張り合うのかね」
呆れているのか、それとも何か別の理由からか、成瀬先輩が顔をぐっとのぞき込んでくる。僕より先輩の方が背丈があり、そのせいで見下ろすようになっていた。それが何となく悔しくて、背伸びをする。が、そうなると先輩の顔が近くなり、慌ててやめた。頬に手を当て、ごしごしと目を擦る。
「いやあ若いっていいねえ」僕たちの様子を見ていたのか、隈先生はニヤニヤとおっさんくさく笑った。授業中よりもずっと腹立たしい顔をしている。「俺ぐらいの年になると腰も膝も痛えんだよ。階段をのぼるだけで大変だ」
「だったらなんで屋上に来たんですか。階段つらかったでしょうに」
「おいおい根賀。屋上でやることといったら一つしか無いではないか」
なぜか隈先生ではなく成瀬先輩が答えてくる。自信満々だ。
「暴力的に二人をくっつけることだよ」
「はい?」
「君、ムカデ人間という映画を知っているかい?」
屋上にはみみずもオケラもいる。たしかに隈先生はそんなことを言っていたけど、まさか屋上とムカデに何か関係があるとは思えない。「知らないですけど、名前的に悪趣味な映画ってのは分かります」
「そう。そうなのだよ。随分と悪趣味な映画でね。ヨーゼフハイター博士という人物が出てくるのだが、それが狂った博士でね」
「ヨーゼフハイターって、なんかカビハイターみたいだな。クマハイターでも違和感ねえ」
違和感はあると思ったけど、隈先生から違和感を取ったら何も残らないような気がしたので、何も言えない。目だけで先輩に話の先を促す。
「そのヨーゼフハイター博士はとある研究をしていてな。人間を無理やりくっつけて、ムカデみたいにしてたんだ。頭とお尻をくっつけるのだよ。手術で。それこそがムカデ人間だ」
「無茶くちゃ悪趣味ですね」
「そうだろう?」
「成瀬先輩みたいです」
君は私のことを何だと思っているのかね、と人差し指で頬を突っついてくる。そういうところが悪趣味だといっているのだけど、彼女に気づいた様子はない。僕の頬に触れるなど、ゴキブリの羽に触れるのと大差ないだろうに。
「でも、その映画と隈先生の屋上の用事とどう関係するんですか?」いくら隈先生が理系の変人教師とはいえ、そんな妙な趣味を持っているとは思えなかった。
僕の愚かな疑問に対し、成瀬先輩はふふんと得意げに鼻を鳴らし、自らの髪を撫でた。心底満足そうに頷いて「それはな」と顔をぐいっと近づけてくる。
「屋上には不思議な力がある。漫画や映画の青春モノでは大概屋上が舞台となる。しかも、大抵が告白のシーンだ。陳腐であるほどに使い古されている舞台だよ。青春映画を見ていて、屋上に主人公とヒロインが集まった時点で、二人が付き合うのはもはや確定している。そうだろ?」
「たしかにそうかもしれません」
「つまり、屋上というのは、例え二人がどんな関係であれ、無理やり二人をくっつけてしまう場所なのだよ。ムカデ人間みたいに。隈先生はそれを望んでいる。それこそ、さしずめヨーゼフハイター博士みたいにな」
「クマハイターだって言っただろうが」しょうもないところを気にした隈先生は「そんなんじゃねえよ」と首を振った。
「俺がここに来たのはな」ぐるりと周りを見渡し、つまりゴミだらけで禄に掃除をしていない屋上を見渡した後、愉快そうに僕を見た。ポケットに手を突っ込み、ごそごそしている。「さっき、成瀬が根賀を運んでいるのを見かけてな。それで追いかけてきたんだよ」
「誘拐されてた僕を助けにきてくれたんですか」
「おい。それでは私が君の意思に反して無理矢理連れてきたみたいではないか」僕の顔を覗き続けたまま、先輩は唇をぬっと前に突き出す。「言い方に悪意がある」
「どうせ僕は悪意に塗れた人間ですよ」
「受け取り方にも悪意があるな」
ごほん、と野太い咳払いが聞こえた。目を向けなくとも、それが隈先生のものだと分かる。彼は、自分から注目が外れていると分かると、今のようにわざとらしく咳払いをするのだ。癖なのか、意図的なのかは分からないけど、授業中にあまりに咳払いをするものだから、熊の雄叫びと生徒の間では言われていた。
「人に質問しといて、勝手にいちゃつき始めるなよ」
「大人とは思えないほど安直な恋愛観ですね」
昨日出会ったばかりの意味不明な先輩に、そこまで心を許せるはずがなかった。そもそも、あんな変な格好で、あんな変なことを言ってくる人を警戒しない方がおかしい。
「そんなこと、あり得ません」
「酷えな。成瀬は優良物件だぞ」
「僕が事故物件なんですよ」
「そんなこたあねえだろ」
とにかく、と隈先生は一度成瀬先輩に目配せした後で、ポケットからようやく手を出した。ぐっと握り、僕たちの前に差し出してくる。
「俺がお前らの後を追ったのは、これを成瀬に渡すためだよ」
「何ですかこれ」
「文房具セットだ」
やっと開かれた先生の手には粗末な文房具が載せられていた。カバーがとれ、丸っこくなった消しゴム、小指くらい短くなった鉛筆に使いかけの付箋。ぱっと見はゴミにしか見えない。随分と使い古された文房具セットだ。
「これをなんで成瀬先輩に?」
「お礼だよ」
「お礼?」
「お悩み相談のお礼だ」
あまりに酷い。いくら隈先生が雑な性格をしているとはいえ、さすがに雑すぎる。これではただごみを押し付けているだけだ。心がきゅっと絞られる。
きっと、成瀬先輩も怒るだろうな。怒った先輩も面倒くさいのだろうな、とおそるおそる成瀬先輩の顔を見上げる。が、彼女の表情に変化はなかった。それどころか、「助かるよ」と満足げに受け取ってすらいる。いったい何が助かったのだろうか。ついでに僕も助けてほしい。
「成瀬先輩はこんなのがお礼でいいんですか」
「いいのだよ」強がりでも何でもなく、彼女は心底嬉しそうに貰った文房具をぎゅっと胸に抱き寄せていた。「プレゼントに一番大事なものって、何か分かるかい?」
「諦めない心とかですかね」
「君はプレゼントを何だと思っているのだ」
豪快に笑い、思い出したかのように僕の頭を撫でてくる。逃げようと頭を逸らすと、その逃げた先に隈先生の大きな手があり、今度はそっちにガシガシと頭を揺さぶられた。ここが地獄か。
「答えは愛情だよ、愛情。プレゼントには愛情が必要なのさ」
「愛情?」
「そうさ。どんな高い物でも愛情が籠もってないプレゼントに価値はない。逆に、どんな安い物でも愛情が籠もっていれば、それは最高なプレゼントなのだよ。愛情は最高のスパイスってわけだ」
「プレゼントにスパイスはいりませんよ」
僕の不満は聞こえていなかったのか、先輩はふふんと得意げに笑い、もらったばかりの文房具を自慢げに近づけてくる。
「その点、この文房具セットには隈先生の愛情がたっぷり詰まってるからな。素晴らしいプレゼントさ」
「余計捨てた方が良いと思いますよ、先輩」
「おい根賀。お前は俺の愛情を何だと思ってんだ」
隈先生の、頭を撫でる力が強くなる。しまいには赤べこのようにガクガクと首が激しく揺れていた。目が回り、くらくらする。熊に捕食される兎の気持ちが分かったような気がした。まあ、兎みたいに僕は可愛くないけど。
「そんなこといったって、仕方ないじゃないですか」
「俺のことが好きすぎて仕方ねえのかよ」
「成瀬先輩みたいなこと言わないでください」
「おい君。さすがに隈先生と一緒にされると傷つく」
「お前らなあ」
分厚い唇をすぼめた先生は僕と成瀬先輩の顔を交互に見つめ、わざとらしくため息を吐いた。先生がため息をつくと、その勢いで吹き飛ばされるのではないか、と怖くなる。
「少しは先生を労れよ。せっかくプレゼントを拾ってきてやったのに」
「拾って?」
「あ。いや。今のは言葉の綾だな。聞かなかったことにしてくれ」
「無理がありますよ」今度は僕がため息を吐く番だった。「文房具セット、拾い物だったんですか」
「まあな」照れる要素なんて微塵もないのに、隈先生は頬を赤くし、はにかんだ。「こんなボロい文房具、用意したくてもできねえよ。職員室に落ちてたから、拾ってきたんだ」
「そんなもの拾ってこないでくださいよ」
「根賀は分かってねえなあ」
もちろん僕は何も分かっていなかった。成瀬先輩の格好も、隈先生の豪胆さも、全てが理解できない。そんな何も分かっていない僕だったけど、一つだけ分かったことがある。隈先生と成瀬先輩の言うことは、どちらもまともに聞いちゃいけないということだ。
「ぽつんとしてるやつを拾い上げて、必要な奴に渡してやったんだぜ。偉いだろ。リサイクルだよ、リサイクル。俺はな、いつも地球のことを考えて生きてんだよ」
「生徒のことも考えてくださいよ」
「考えるさ。気が向いたら」
「それ、向かない奴やつですよ」
「根賀は細けえなあ」
隈先生が雑すぎるだけです、と言おうとしたけど、言葉は出なかった。先生は太い丸太のような腕をやや上にあげ、眉間にぎゅっと皺を寄せた。顎をしゃくらせ、鬼のような顔つきになる。
「そんなに細かいと、細かいお化けに攫われちゃうぞ」
「何ですかそれ」
「あまりに細かい奴の前に現れて、そいつを細切りにするんだ。細けえよ、細けえよって言いながらな。どうだ? 怖いか?」
「怖くないですよ」
新鮮味のない、ありきたりな話だった。こっくりさんとか、トイレの花子さんとか、そういうのと同じ類いの、胡散臭い定番の話だ。
「むしろ、そんな怖くない話を自信満々に話せる先生の方が怖いです」
「強がらなくていい」成瀬先輩までも、そんなことを言ってくる。「君は怖がっている」
「怖がってなんて」
「だったら、なぜ私にしがみついているのかね?」
いったいどういうことか、と先輩の姿を見ようとして、そしてすぐ、言葉の意味を理解した。慌てて先輩から身体を引き剥がし、飛び退く。自分の顔に手を当てると、信じられないくらいに熱くなっていた。無意識だった。いったい、いつの間に。いつの間に僕は先輩に抱きついていたのか。
「やっぱり、怖かったのだろう」先輩は馬鹿にするように、というより確実に僕を馬鹿にするために鼻を鳴らす。「それとも、私のことが恋しかったのか」
「こ、これは」
口の中に苦い汁が溢れる。こんなことなら、素直に怖かったと認めておけば良かった。というより、普段であれば認めていたはずだ。だけど、なぜか成瀬先輩の前だと強がってしまう。
「これはあれですよ。ただ蝉の物真似をしているだけです」
「斬新だな」
「パンダの格好の女子高生の方が斬新ですよ」
「その通りだ! よく分かっているではないか。私は斬新で素晴らしいのだよ」
「おいおい。お前らが斬新なのは分かったが、羽目を外すなよ。仲良くし過ぎるのも問題だな」
いつの間にか隈先生はジャージのチャックを開け、薄いシャツを剥き出しにしていた。飛び出した腹が汚らしく、汗ばんで地肌が透けて見えている。
「まあ、お前らは相性ばっちりだと思ってたからな。よかったよ」
そんな訳ないじゃないですか。どうして先生にそんなことが分かるんです、なんて僕は言うことができなかった。さすがにおかしいと気付いたのだ。隈先生が元々おかしいせいで気付くのが遅れた。
「隈先生、さすがに不自然ですよ」
「何がだ。生え際か?」
「違いますって。僕と先輩を不自然にくっつけようとしすぎだと言ってるんです」
いくら隈先生とはいえ、あまりに強引すぎる。「そうか?」
「そうですよ。もしかしてですけど、先生って伝手だったりします?」
「伝手って何だよ」
「昨日、成瀬先輩が言ってたんですよ。伝手を頼って手下を募集しているけど思うように集まらないって。もしかして、隈先生もその伝手だったりしますか?」
隈先生はすぐには返事をしなかった。あー、ともうー、ともとれない微妙な声を発し、ちらりと成瀬先輩に目をやっている。
「それで、僕に屋上へ行けって言ったんですか」半ば僕は確信を持って訊ねる。
「成瀬先輩の手下候補として、推薦したんですね。僕に無断で」
いきなり生徒を呼び出して、屋上の話をするなんて。たしかに妙だとは思っていたのだ。成瀬先輩が僕の名前を予め知っていたのは彼女が天才だからではなく、単に知らされていたからで、先生が妙に僕と成瀬先輩を仲良しと連呼するのは、無理やりくっつけようとしているからなのではないか。
「さすがに、わざとらしかったか」観念したのか、それとも別に隠すようなことでもないと開き直ったのか、あっさりと隈先生は認めた。
「お前、昨日成瀬と約束したのに、速攻で帰ろうとしただろ。せっかく成瀬とくっつくと思ったのによ。だから、心配で見に来たんだ」
「こんなまどろっこしいことしなくても、僕にお願いすればよかったのに。成瀬先輩の手伝いをしてくれって」
「お前、絶対断るだろ」
「まあ、たしかに」
でも、成瀬先輩に惹かれている生徒は少なからずいるはずで、そういう人に頼めばよかったではないか。なんで僕に。
「でも、だからといってあんなに屋上をゴリ押すのは無理がありますよ。さすがに僕だって怪しみます」
「おいおい。何を勘違いしてんだよ。俺の屋上への思いまで否定するなよ。屋上が最高なところってのは本当だぜ。自慢じゃねえが、俺のクラスではな、去年に文化祭の時に屋上からバンジージャンプってのを企画したんだ」
「それは本当に自慢じゃないですね」
「本格的だったんだぜ? 消防から許可とったり、万一のための医務班を確保したり。一番頑張ったのはクッションだ。六階から落ちても大丈夫なクッションだったんだ。消防から譲り受けた本格的な奴だ。何なら、紐なしでもうちの校舎くらいの高さだったら余裕だぜ」
「それはいささか本格的すぎないかね?」
さすがの成瀬先輩も眉をひそめる。僕も頷くことしかできない。文化祭にしてはあまりに大がかりだ。
「いいんだよ。名目上緊急用の防災備品ってことで通したからな。校長も途中までは許可してくれたんだ。が、直前で許可を取り消されてな」
「やっぱり危ないからですか?」
「いや」と隈先生は太い首を左右にねじる。「クッションに隈参上ってでっかく書いたら怒られて、ぽしゃった」
「当たり前です」小学生でもしない悪戯だ。あまりに酷い。
決めポーズまで決めてたんだけどな、と心底悔しそうに歯を噛み「生徒を突き落とすときには、いざ旅へって言ってやるんだよ。んで、無事にバンジーできたら、こうやって右手で敬礼して、落ちてきた生徒にこう言うんだ。ナイスフライトってな」とまったく心に響かない夢を語る隈先生に、わざとらしく肩をすくめてみせる。そもそも敬礼が下手くそで、頭上で庇を作っているようにしか見えなかったが、これ以上隈先生の面倒な話に付き合いたくなかった。
「でも、よくこんな依頼引き受けましたね」が、遮る話題も思いつかず、結局僕は元の、隈先生の強引なスカウトへと話題を戻していた。「手下を見つけてなんてお願い、断ればよかったのに」
「生徒のお願いを無下にするほど俺はちっぽけな人間じゃねえよ。それに、俺はいつも考えているからな」
「考えているって、何を」
「地球のことを」どういうことですか、と僕は非難を込めて口を尖らせる。
「言っただろ」が、そんな僕を見ても隈先生はにやついていた。あまつさえ似合わないウインクをしてくる。「リサイクルだよ。ぽつんとしてるやつを拾い上げて、必要な奴に渡してやったんだぜ。偉いだろ」
リサイクルだよリサイクル、と彼は豪快に笑い飛ばす。誰がぽつんとしてる奴ですか、と文句を言うことは、もちろんできなかった。
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