第32話 丸顔の第二王子

 夜会を中座して、シェイラは客間にいた。アルバートの体調が万全ではないと知り、大広間から一番近い部屋を休憩所として準備するためである。自分に向けられたつまらない感情が原因でこの交渉が躓いてはたまったものではない。


(さっきの一件で彼は我が国にいい印象をお持ちではないはず。これ以上の粗相は許されないわ)


 本来であれば側近に一言伝えればそれで済む話だったけれど、生憎ただの側室でしかないシェイラにそんな権限はなかった。


「承知いたしました。では……後はこちらのお部屋に灯りを点け、暖炉に火を入れておきます」

「ええ、助かります。お客様が万一の際にくつろげるように準備をしたくて……ありがとうございます」


(よかったわ。王宮勤めの侍女が手伝ってくれて)


 部屋の準備を終え、角を曲がって回廊に出る。早く会場に戻らなければ、と思い速足になる。すると、そこには相棒がいた。


「クラウス……! どうしてここに!」

『みゃー』


 なぜか、留守番中のはずの猫のクラウスが大理石の回廊の真ん中に座っていた。シェイラは慌てて駆け寄ると、抱き上げる。


「よくここが分かったわね? でも、部屋で待っててくれる? 会場にあなたは入れないのよ」

『みゃーん』


 ふさふさのしっぽがシェイラの腕を撫でる。どうやら相当ご機嫌な様子だ。ついでに、部屋に戻る気はないらしい。


(……どうしよう)


「猫とお話し中ですか」

「!」


 背後から声をかけられ、振り向いたシェイラの目に入ったのはなぜか会場から出て来ていたアルバートだった。


「……お見苦しいところを。この猫は、私の友人のようなものでして」


 シェイラがそう答えるのと同時に、クラウスは腕をすり抜けて肩にのる。その姿を見たアルバートは、目を見開いた。


「……随分と珍しい猫ですね。真っ白い毛に金色の瞳。まるで精霊の使いのようだ」


 シェイラははっと息を呑む。そして、目の前のがっしりした体躯のアルバートをじっと見た。


(クラウスは魔力の気配を消しているのに……どうして)


 無意識のうちに、シェイラは一歩後ずさっていた。精霊への信仰が厚いのはこのプリエゼーダ王国だけではなく、ゼベダやメイリア王国でも同じこと。どう接するべき相手なのか判断しかねているシェイラに、アルバートは柔らかく笑う。


「なんてね。冗談です。精霊なんて、そう出会えるはずはない。例えば、大きな後悔を抱えて死ぬ直前、とかね」

「……まるで、大きな後悔を抱えて死んだことがあるみたいですわね」


(陛下は彼のことを相当な切れ者だと言っていたわ。何の根拠もなくこんな話をするはずが、ない)


 何かヒントがないかとシェイラはアルバートの瞳を見つめる。けれど、どこにも心が乱れる様子は見えなかった。


 そこでなぜか、前世でアレクシアの力になってくれたメイリア王国の第二王子の顔が思い浮かぶ。丸顔ばかりが印象に残っていたけれど、彼の赤みがかったブロンドと琥珀色の瞳は目の前のアルバートにそっくりな気がする。


 ――あの丸顔の第二王子の名前は何だったか。


「その通りです」


 考え込むシェイラは、シェイラの軽口を肯定するアルバートの答えを聞き流していた。そして。


(……そうだわ。彼の名は、グレッグ殿下)


「私の前世の名は、グレッグ・ユーバンク・メレルズと言います」


 シェイラが思い出すのと同時に、その思い出したばかりの名前が彼の口から発せられた。


「……え?」


 ぽかんと口を開けて固まるシェイラに、アルバートは続ける。


「実は先ほど、会場内で不思議な噂を聞きまして。フィン陛下がお連れのご令嬢はかつてこの国を治めた女王――転生者だ、と。それで話をしてみたくて、ここに」


(……四人目。どういうこと)


「貴方は……メイリア王国のグレッグ殿下の生まれ変わりだと?」

「はい。まさかここでアレクシア様にお会いできるとは思いませんでした」


 彼の琥珀色の瞳が細まる。さっきまでの冷静さが嘘のように頬は紅潮し、表情は綻んでいる。精悍なはずのアルバートの向こうに、丸顔の人懐っこい笑顔が見えた。


(ああ、私は確かにこの笑顔を見たことがある)


「プリエゼーダ王国の国王にはまだ正妃がいないと聞いていましたが……フィン陛下とはご婚約を?」


 アルバートが、シェイラの方に一歩近づく。シェイラは反射的に一歩下がろうとしたけれど、彼が跪こうとしていることを察した。


(いけないわ)


 シェイラが、手を伸ばしてその仕草を止めようとしたところで。


「答える必要はない」


 大理石に、フィンの冷たい声が響いた。


「これは、プリエゼーダ国王陛下。手洗いに行った帰り、道に迷ってしまいまして。ちょうどシェイラ様に大広間までの道案内を頼もうと思っていたところなのです」


 微塵の動揺も見せず、アルバートは微笑む。フィンの方もシェイラを一度も見ることなく、答えた。


「案内は別の者が引き受けましょう。……ケネス」

「はい、陛下」


 フィンの声にケネスが一歩出る。平静を装っているように見えるものの、その表情には『これはまた面倒な』という感情が透けていた。


「申し訳ありません。こちらのシェイラ様とは個人的に深いつながりがございまして。もう少しお話できればと」


「聞こえていました。貴殿が前世での名前を名乗っておいでのところから」

 フィンは笑顔だが、声色には怖いぐらいの緊張感が漂っている。


(……怒ってる)


 シェイラは、一度もこちらを見てくれないフィンを見上げる。


 前世でのクラウスは、当然、メイリア王国の第二王子がアレクシアに並々ならぬ感情を抱いていることを知っていた。それでいて、アレクシアへの縁談に口出しをしたことは一度もない。


 彼に与えられた権限と任務を思えば当然のことだったが、アレクシアにはそれが少し寂しく感じるところではあった。もちろん、それを顔に出すことは酷なのも知っていた。


 この場での感情に相応しくないと思いつつ、フィンがあからさまに不快感を示していることにシェイラは頬が緩みそうになる。頑張って耐えたけれど、それが隠せているのかどうかは甚だ疑問である。


「もう下がっていい。まもなく夜会は終わる時間だ」

「ですが陛下」


 やっとこちらを見てくれたフィンに、シェイラは食い下がる。仕事は完遂するのが信条だ。けれど、瞬きしかできない言葉が継がれた。


「今夜は無理だが……後で、そちらに行く」


(……え)


『みゃーん』


 肩の上のクラウスが、呆気にとられているシェイラの代わりに返事をした。

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