第33話 お茶会とお支度
「えっっっ! 今日、陛下がこちらに……!」
ティルダが元々大きな目をさらにひん剥いた状態で言う。手にしているサンドイッチのキュウリがぽろりとこぼれ落ちそうだけれど、誰も指摘しない。
「いえ、あの、そういう感じでは」
あまりにも何かを期待しているティルダを見てシェイラは慌てて否定したが、もう遅かった。
「そういう感じってどういう感じよ? ここに来て何か月が経ったと思ってるのよ! やっと『お渡り』! 待ってた!」
ほぼ叫びに近いティルダの大声とともにキュウリはぺらっと床に落ち、それを隣に座っていたメアリがニコニコと無言で拾う。
「ティルダ様。お分かりとは思いますが、陛下はシェイラ様のところにお越しになるのですわ。母国語すら満足にできない淑女は殿方に嫌われますわよ」
「くっ! サラ様、貴女今日もかわいいわね! 分かってるわよ!」
サラの嫌味は、このお茶会になくてはならないものになっている。けれど、今日の専らの話題は『今夜、この後宮に陛下がやってくるらしい』という事実だった。
「ところで……昨日、ゼベダの王太子殿下が国にお帰りになられましたよね。『交渉の序盤は良い雰囲気だったが、日程の最後の方は雰囲気がぎくしゃくしていた』というような噂が聞こえますが。夜会で何かあったのでしょうか? 今夜、陛下がシェイラ様のところにいらっしゃるのに関係は」
メアリの問いに、シェイラはため息を吐く。交渉が大成功とは言えなくなってしまったのは、シェイラを陥れようとする文官によるくだらない策略がきっかけである。ちなみに、あの文官はその日のうちに配置換えを申し渡され、王宮を去った。
そして何よりも、このことが原因としか思えない。
「実は……ゼベダの王太子、アルバート殿下は転生者だったのです」
「「「え!」」」
「……なにそれ。中身が転生者じゃ信頼できない、とかで交渉決裂、的な?」
恐る恐る聞いてくるティルダに、シェイラは首を振る。
「メアリ様はご存知かと思いますが……アルバート殿下の前世はアレクシアと同時代に生きたメイリア王国の第二王子・グレッグ殿下だと」
「……それは」
いつも落ち着いているはずのメアリが顔色を変える。アレクシアの側に仕えていたマージョリーは、グレッグからの求婚が幾度となくあったことを知っていた。
「フィン陛下は、前世での感情を持ちこしているアルバート殿下に不快感を示しておいででした。もちろん、陛下は外交に私情を挟まれるお方ではないので……次に行われる調印式はつつがなく進むとは思うのですが」
「ですが、どうしてそのことがお分かりになったのでしょうか。アルバート殿下のお立場を考えると、あまり明かしてはいけない性質のお話ではないかと」
「そうなのですが……。クラウスが」
『みゃー』
シェイラが遠慮がちに相棒の名前を呼ぶと、彼はソファの上から返事をした。
「私の、猫が……なぜか会場近くに来ていて。アルバート殿下はそれを精霊の使いだ、と。元々夜会会場でアレクシアに関する噂はお聞きになっていたようですが、私とこの猫が一緒にいるところを見て確信なさったようです」
ティルダとサラの顔には『え、あの子ただの猫じゃなかったの?』と書いてあるが、この会話を邪魔しないことに決めたようだ。お茶菓子には手を出さず、静かに紅茶を啜っている。
「それは……納得いたしました。精霊も随分なことをなさいますね。初めは私への戒めだと思いましたが……そうではなく、反対に……転生者たち皆の味方なのかもしれません」
メアリはソファでごろごろくつろぐクラウスを優しく眺めている。
(そういえば……この後宮に来てすぐに魔法陣ケースが無くなったことがあったわ。大切なケースを後宮の奥に持って行った犯人は分かっていないけれど……あの日、一番に見つけてくれたのはクラウスだった。そして、あれがきっかけで陛下に会った)
「ずっと不思議だったのですが。メアリ様は……この子が精霊の使いだとお思いですか。アルバート殿下はすぐに分かった様子でした。フィン陛下も意味ありげで」
シェイラの質問に、メアリは意外そうに目を見開く。
「シェイラ様は……前世の最後にこの猫に会ったことを覚えていらっしゃらないのですか」
「……記憶にないですわ。メアリ様はお会いになったのですか」
「ええ。だから転生したのです。ですが、複雑なお話は一先ず置いておいて。……今夜の御仕度をお手伝いしてもよろしいでしょうか」
「……メ、メアリ様?」
にっこりと微笑むメアリに、シェイラは笑顔を引き攣らせる。
「私は、長くアレクシア様にお仕えしてまいりました。最期のことは本当に……。ですが、こんな日が来たら良い、と心から思ったこともあったのです」
「待ってた! この流れになるのを! 早速、ナイトドレスをどれにするか決めましょう!!」
それまで静かに耳を傾けていたティルダが勢いよく立ち上がる。後ろにがたん、と倒れそうになった椅子を彼女の侍女が慌てて受け止めた。
話の向きをサラも察した様子である。
「今、とっておきの品をお持ちしますので少々お待ちくださいませ。父が送ってくれた、高級品の眠り薬ですわ」
「それ必要ないわよ? 陛下はご自分の意志でこちらに来るんだから! ていうかそれ高貴な人に飲ませたら犯罪よ?」
「ティルダ様は本当にお子様ですねえ。朝までお部屋で過ごされることが重要なのです。それだけで、口うるさい文官も黙らせられますわ」
「ちょっとどうしよう教育係から聞いたことないんだけどそれ!」
「……あの……皆さま……?」
(陛下は……絶対にそういうつもりじゃないわ。四人目の転生者・アルバート殿下のことをお話しにくるだけなのに)
事実、ゼベダの王太子がシェイラに執着してくるようなら面倒なことになりかねない。課題は山積みである。シェイラは今回、フィンがわざわざ後宮に来ると言い出したのは、正妃以外を王宮に頻繁に出入りさせることを避けたいからなのだろうと理解していた。
合わせて、この機会に『アレクシアの心残りは世界平和』と思い込んでいるフィンの誤解も何とかしなければいけない。
けれど。あまりに楽しそうにはしゃいでいる後宮の面々に、やっぱりシェイラは何も言えなかった。
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