第31話 外交②

 ホスト役として入り口でゼベダの王太子を待ちながら、シェイラはフィンに問いかける。


「ゼベダとの交渉が進み始めたのはここ数年のことなのでしょう? 何かきっかけがあったのかしら」


「今回の滞在でお越しになっているアルバート王太子殿下が立太子してからだな。相当な切れ者だと聞いている。俺も今回の交渉で初めて会ったが……初めて会った気がしないというか……まあそれは置いておいて、とにかく聡明な方という印象だ」


 ふぅん、とシェイラが頷きかけたところで隣の文官が囁いた。


「アルバート殿下がお越しです」


 隣国・ゼベダでは、漆黒の髪に同じ色の瞳、という特徴的な外見の者が多い。けれど、目の前に現れたのは赤みがかったブロンドに透き通った琥珀色の瞳の男だった。背が高く、体躯もがっしりとしている。


(王太子というよりは、軍人、に近い雰囲気のお方だわ)


「はじめまして。アルバート・ウィリアム・メイズです」

 フィンへの挨拶を終えたアルバートがシェイラにプリエゼーダ王国の言葉で挨拶をする。あまりの流暢さに、シェイラは目を丸くした。


「シェイラ・スコット・キャンベルと申します。どうかお見知りおきを」

 シェイラが手を差し出すと、彼はシェイラの手の甲に軽いキスを落とす。


(それにしても……なんだか……見たことがあるというか……)


 この既視感の正体が何なのか分からなくて、シェイラは首を傾げる。それは、アルバートにとっても同じことのようだった。


「……失礼ですが、どこかでお会いしたことは?」

「生憎ですが」


 予定通り、シェイラはニコニコと笑ってかわす。この会話は、先入観なしに見ても口説かれているようなものである。けれど、フィンは間に入ることがないし、シェイラもアルバートに頭を捻るばかりだった。それだけ、三人の間には不思議なものが漂っていた。


 夜会が始まると、アルバートの元には貴族たちが順番に挨拶に訪れる。シェイラとフィンはそのエスコートをするのが役目だった。


 人の波が切れたタイミングで、アルバートが側近に自国の言葉を使い早口で言う。


『……さっき言ったように、今日は疲れているんだ。夜会の間は耐えるが、終わったらすぐに休めるように手配してくれるか』

『御意』


(殿下はお疲れなのね)


 彼は自分の側近だけに聞こえるように言ったはずだったけれど、シェイラにはばっちり聞こえていた。フィンに目配せをしようとするが、彼は彼でケネスに指示を出していて聞いていない様子である。


 そこに、シェイラに囁くように進言したのは文官だった。


「シェイラ嬢。アルバート殿下はもっとたくさんの方にお会いになりたいとお考えのようです。夜会の後、場を整えて差し上げてはいかがですか。はじめはご遠慮なさるかもしれませんが、多少強引にお誘いすればお喜びでしょう」


「!」


 シェイラは顔を顰める。


(……この文官は……何を)


 さっきアルバートが側近に囁いた言葉は早口だった。シェイラには理解できないと踏んだのだろう。そして、この文官は不自然に古い言い回しを使っている。けれど、アルバートの眉がぴくりと動いたのが見えた。


(アルバート殿下はプリエゼーダ王国の言葉を完璧に理解しておいでなのだわ)


 と同時に、通訳を申し出たこの文官の狙いを知る。きっと、アルバートのことをしつこく誘わせてシェイラにこの場で恥をかかせようという魂胆なのだろう。


(……たった一人の小娘を貶めるためにこんなでたらめな通訳をするなんて。アルバート殿下もお気づきよ。これでは我が国の印象が)


 シェイラは、意を決すると文官に向き直った。そして、隣国・ゼベダの言葉で言う。敢えて早口で。


『貴方が何を勘違いなさっているのかはわかりません。ですが、ここはご自分でおっしゃっていたように重要な外交の場です。我が国の名誉を貶めたくなければ、今すぐお下がりになっては?』


「シェイラ嬢……おっしゃる意味が分かりませぬ」

「でしたら、尚のこと通訳としては不要ですわね」


「……下がれ。理由は後で聞く」


 ケネスとの会話を終えていたらしいフィンは何やら揉めている二人に気が付いたようだ。国王としての厳しい声色に、にぎやかだった会場が一気にシンとする。


 緊張感が漂うその空気を緩ませたのは、意外なことにアルバートだった。


「ふっ。くっ……くくくく。これは面白いですね」


 破顔という言葉では収まらないほどの大きな笑いである。


「誰かに似ていると思ったのですが、そうか。貴女はかつてこの国を治めた女王陛下に似ておいでなのですね。初めは髪と瞳の色だけかと思いましたが、気の強さもそっくりだ」


 まるで見てきたようなこの言い方に、シェイラとフィンは顔を見合わせた。その隙に、シェイラの通訳としてついていた文官は青い顔をして引き上げていく。


「交渉に際し、随分と我が国に興味を持っていただいているようで。感謝します」

「はい。近隣諸国の和平が成されることは、悲願でしたから」


 表面的なフィンの謝意に、アルバートは上機嫌で微笑んだのだった。

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