第26話 行方不明・2
周囲の視線がとにかく痛い。
こんなにあからさまに人をジロジロ見ることなど、誰の人生においてもそうないのではないだろうか。
ペネロープの案内に従い王宮内を進みながらシェイラはまず右側を睨んだ。その瞬間に、ひそひそと会話していた女官の口が閉じられる。
次に左側を見る。回廊の下からこちらを指さしていた文官と目が合い、当然の如く逸らされた。
(確かに、キャンベル伯爵家は正妃には向かない家柄だけど……随分なことね)
「ふふっ。シェイラ様は人気者ですね」
「ええ、そのようですわ」
ペネロープ第一王女がギャラリーに聞こえるような声で言う。きっとこれはわざとなのだろう。淑やかに見える王女らしからぬその振る舞いが好ましくて、針の筵にいるはずのシェイラは心から笑ってしまった。
「兄は、ケネス様と一緒に執務室に居りますわ。ほかの大臣方もご一緒のようです」
「ハリソン伯爵家のご令嬢が行方不明なのですもの。当然ですわ」
メアリが後ろ盾とするハリソン伯爵家はアレクシアの時代でもよく知られた名門である。そこから後宮に上がり、行方不明になったと言えば王家も無傷では済まないだろう。
(私が役に立てることだったら、なんでもする)
目の前には、懐かしい扉があった。かつて、毎日緊張感を抱えて押し開けていた重く深い暗褐色の扉が。
シェイラは大きく息を吸い、気を引き締めてそれを叩いた。
「陛下、お呼びでしょうか」
頭をしっかりと下げてから顔を上げると、執務室にはフィンと側近のケネスのほか、数人の大臣や文官たちがいた。今日は深く膝を曲げた令嬢の挨拶は必要ない。一人の魔導士として来たのだから。
懐かしい、の一言では済まないほどの空気。歴史を感じさせる剥き出しの石壁に布がかかり、最低限の調度品が見える。整然として片付けられた室内。
アレクシアの父王の時代、いつもここは散らかっていた。アレクシアが即位して一番にしたことはこの部屋の整理整頓だった、と思い出す。
ほかの部屋は綺麗に改装されているのに、ここだけはそのままだ。かつてアレクシアも座っていた椅子にフィンがいる。一人でずっとここに、と思うと胸がきゅっと締め付けられた。
「ああ。こちらはシェイラ嬢だ。キャンベル商会の令嬢で、魔法陣を描くことに長けている」
「シェイラ・スコット・キャンベルと申します。どうかお見知りおきを」
形式的に軽く微笑むと、ケネス以外の同席者の目が泳いだ気がした。きっと彼らも『正妃にふさわしくない相手』として裏では悪評を流しているのだろう。
(国王陛下の評判は良い。正妃選びだけに関してこれだけ不満が聞こえてくるのは、きっと、それだけ彼が慕われているということ。くだらないことで汚点を残してほしくない、という周囲の思いがあるのだわ)
「用件は妹から聞いたと思うが、メアリ嬢を捜索するための魔法陣を描いてほしい」
フィンはすぐに本題に入る。真剣なまなざしと厳しい声色からは、最後に会ったときの甘さは微塵も感じられない。
「承知いたしました。メアリ様の情報と、ハリソン伯爵家で付き合いのある商会の魔法陣をいただけますか。高位魔法の方が望ましいですが、すぐに準備できなければ何でも構いません」
「それは準備してある」
「ありがとうございます」
周囲の剣呑な視線を纏ったまま、シェイラはフィンに手渡された魔法陣を眺める。
(これは居場所を眩ませる魔法の魔法陣だわ。さすが察しがいい……けど、きっとこれが既にあるということはこれを使って王宮の魔導士が捜索したのよね。それでもメアリ様は見つかっていないと)
シェイラは魔法陣ケースから高位魔法に適した紙と三本のペンを取り出した。
「ペンを三本もお使いになるのですね」
ひょっこりと手元を覗き込むペネロープにシェイラは微笑む。
「はい。より丁寧に描く時は使い分けます」
「シェイラ様、お側で見ていてもよろしいでしょうか」
「もちろんです。複雑なものになるので少し時間がかかりますが、それでもよろしければ」
シェイラが答えると、ペネロープは安心したようにシェイラの向かいに座った。ちょうど、シェイラを複雑そうな表情で見る大臣たちの視線を遮るような位置に。
(『お兄様の執務室への案内』はまだ続いているのね)
シェイラはくすっと笑う。フィンの中身はクラウスなのだと言っても、ペネロープの気遣いの仕方や賢さは兄にそっくりである。シェイラはそれが微笑ましかった。
(とにかく、集中して描かないと)
この場の刺さるような視線や全く歓迎されていない空気はどうでもいい。今、自分がすることはメアリを見つけることただ一つだった。
シェイラは心を落ち着けてからペンを取った。
◇
「できました」
30分と少しをかけて、シェイラは捜索魔法の魔法陣を描き上げた。ところどころ文字や数字が潰れて見えるけれど、実際には細かく書き込まれているだけだ。線も計算も、細心の注意を払って仕上げた渾身の一枚である。
「見せてくれるか」
「どうぞ」
シェイラから魔法陣を受け取ったフィンは、窓の光に紙を透かす。
「……見事だな」
「妨害魔法をかいくぐるものと、転移魔法とを組み合わせてあります。すぐにメアリ様のお近くに行けるように」
「とは言っても、指定できる範囲は大きな街一つ分程度の精度では。大人数の捜索部隊を行かせてしらみつぶしに探すとしても……見つかるかどうか」
シェイラのことを微妙な表情で眺めていた文官の一人が口を挟む。それをペネロープがきっ、と睨んだのでシェイラは慌てて彼女の手を握った。
「いいえ。これなら……精度は相当高いのではないかと」
意外なことに、眼鏡をかけた背の高い男が擁護に入ってくれた。魔法陣の扱いが特に丁寧なところを見ると、王宮勤めの魔導士なのだろう。ここにいるということは、プリエゼーダ王国でも一線級の存在ということになる。
「……シェイラ嬢とおっしゃいましたね。これだけのものが描けるのに、どうして国の魔導士として登録しないのですか」
「簡単なことです。私には魔力がありませんから」
「……!」
シェイラの回答に執務室がざわめく。周囲のシェイラを見る目が、また『魔導士』から『側室』を見るものに戻ったのが明確に分かった。
握ったままのペネロープの手に力が入っている。シェイラが『自分は大丈夫』というように頷くと、彼女はとても傷ついた顔をした。
「黙れ」
そこに、フィンの厳しい声が響く。
「彼女は俺に必要な存在だ。……どういうことかはこの件が片付いたら詳細に話す」
あまりも当然のように話すフィンに、執務室は一瞬で水を打ったように静まり返る。また何と面倒なことを。シェイラはそう思ったが、一先ず置いておいて進言した。想像の通りなら、事態は一刻を争う。
「この魔法陣を使ってメアリ様のところへ行くなら、私にも同行させてください。陛下が、この後詳細にお話になることにも関わるかと思います」
「ああ。許そう」
フィンも間を開けずに答えた。
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