第19話 都合が良すぎる期待

「君は、歴史が好きなのか」


 突然のフィンからの問いに、シェイラは目を丸くした。


 ある日の、夕食後の時間。シェイラは後宮ではなくなぜか王宮の一室にいた。目の前には、重厚なデザインのグラスに注がれたお酒とドライフルーツ、チーズ、ナッツ。


 これを運んできた侍女は意味深に微笑んですぐに退出してしまった。けれど、扉の外にはきちんと衛兵の気配がする。


 この部屋は、アレクシアが客人をもてなすサロンとして使用していた場所である。懐かしさは置いておいて、夜にこんな場所に招待されたことにシェイラは困惑していた。そして、向けられた質問にもである。


(歴史が好きなんて……私……そんなこと言ったかしら)


 一瞬戸惑ったけれど、すぐに思い至った。彼は、この前シェイラが女王・アレクシアに拒否反応を示したことを覚えているのだ。納得したので、澄まして答える。


「……一般的な教養程度には」

「……それにしては、歴代の国王に詳しい様子だった」

「そのようなことは」


 一応、前世での親戚なのだから当然である。微笑んでかわそうとするが、フィンの視線に含まれた緊張は解けない。


 フィンに障壁魔法の魔法陣を渡してからというもの、シェイラの周辺にはちょっとした変化が起きていた。


 まず、先日のお茶会でも話題になった通り、ジョージの後宮への立ち入りが認められた。それから、フィンの側近であるケネスの手配で商人が頻繁に後宮を訪れるようになった。さらに、この前はフィンの妹君であるペネロープ王女殿下がシェイラの元を訪れた。――これはまた今度言及するとして。


 そして極めつけに、この招待である。本当は後宮のシェイラの部屋に来ると彼は言っていたが、シェイラは否の返事を送ってみた。ティルダ達にあらぬ誤解を受けたくはなかったし、変な間違いがあってはたまったものではない。


 主君からの『お渡り』を拒否することは決して許されるものではないと思っていたが、意外なことにフィンは気を悪くした様子はなかった。むしろ真逆である。『それなら、指定するサロンへ』そんな上機嫌の返事に、シェイラは目を瞬かせたのだった。


(あの、たった一枚の魔法陣がそんなに効いたのね。それはよかったけれど)


 この、薄暗い部屋で彼のオッドアイの片方――碧い瞳を見るのは辛い。別人とは分かっていても、アレクシアとして過ごした思い出が嫌でも浮かんでくる。


(こんな風に、夜は一緒に勉強や話をしたわ。大きくなってからは部屋に引き留めるのに苦労したのよね)


 いつか、指先でなぞってみたいと思っていた彼の長い睫毛に目もと。前世での、最期に抱きしめられたときの痛いほどの感覚が俄かに蘇った。


(……これは、良くないわ)


 心の中が寂しさで染まりそうになったことに気が付いて、シェイラは目の前のグラスに手を伸ばした。けれど、ホットワインから漂うスパイスの香りにむせそうになる。


「今日は、あの猫は一緒ではないのか」


 そこに、フィンが会話を続けようとするので、シェイラはあわててグラスを置いた。


「誘ったけれど断られたわ」

「猫とは気まぐれだな」


 ふっ、と微笑んだフィンに、シェイラは意外さを覚える。


(今日の陛下は……いつもと違う気がする。私ときちんと会話をしようとしているわ)


 ちなみに、今日は猫のクラウスは部屋で留守番中だった。本当なら、隣に座ってもらって撫でながらフィンに対峙したかったのに、呼んでもついてきてくれなかった。薄情である。


 シェイラから見ると、フィンは孤高の存在だ。国王としての役割は果たしているが、正妃も置かず、心の拠り所となる場所が見えない。


 後宮でのお茶会でも『陛下は一体どんなお方なのか』という話題がよく上がるけれど、4人でどんなに情報を持ち寄っても王太子時代の交友関係が出てこなかった。


「シェイラ嬢は、魔法陣の書き方をどこで覚えた」

「ほかの方と同じように、家で教わったわ。描くのが楽しかったし……それに、剣術では肩を並べられないから、魔法陣だけはって頑張ったわ。……兄と」


 うっかり、前世での本当のことを話してしまったので兄、と付け足す。


「剣も振れるのか。経歴書には書いていなかったが」

「……なんだかこれって、会話というよりは尋問みたいね?」


 首を傾げたシェイラに、フィンはまた笑う。


「それは済まなかった」


 初めて見る、苦笑でも表面的でもない笑い方に、胸がきゅっと締め付けられた。


 ――自分は、この笑みを知っている。少し呆れたような、けれど、優しくてあたたかい微笑み。


 この前、城壁の上で一緒に過ごした日。彼は、シェイラの首元に短剣を突き付けてひどく傷ついた顔をしていた。この国には、アレクシアのことを美貌を持つ悲劇の女王とする者も少なくない。彼も、その崇拝者なのかもしれない。


 だが、他人を踏み込ませないあの瞳をシェイラは確かに知っている。毎朝見る鏡の中に。大きな後悔と、哀しみと、心の支えを手の届かない遠くに持つ者の痛み。


(そんなはず、ない。あって欲しいけど、絶対にない)


 お皿の上のドライフルーツに手を伸ばす。自分の動きのすべてを、フィンがじっと見つめている気がする。一度、覚えがあると思うと全部がに見えて、もうどうしようもなかった。


 急激に育っていく期待を、何とか萎ませようとするのにうまくいかない。


 鼓動が、とくん、とくん、と次第に速くなって、呼吸が苦しくなっていく。


(そんな都合のいい話、ない。だって、私はたくさんの人の命を危険に晒した女王の生まれ変わり。そんなに望み通りのことが起きていいはず、ない)


 頭ではそう理解しているのに、堪えきれずに言葉がこぼれた。





「ねえ。輪廻転生、って、信じる?」


「……王女」


 その瞬間。


 目の前で見開かれたオッドアイと、掠れたその声に、シェイラはすべての答えを知った。

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