第18話 寝たふり

「これは、どういうことだ」


 寝たふりを終えたフィンは呟く。城壁の上で、30分ほどが経っただろうか。


 さっきまで、隣ではシェイラ・スコット・キャンベルが何やら楽しげにペンを走らせている様子だった。たまに猫と話しながら鼻歌も歌っていたが、聞いていて特に不快ではなかったので何も言わなかった。


 ちなみに、彼女が猫を撫でるときに偶然髪に触れた指先も嫌ではなくて、内心それにも驚いた。


 きっと、兄から依頼を受けたという魔法陣を描いているのだろう。描いている姿を実際に見てみたい気もしたが、なぜか罪悪感を覚えてそれは躊躇われた。


 しばらくして、彼女は『できた』と呟いた。そして、フィンの胸ポケットに何かを差し込んで帰って行ったのである。


 ちなみに、城壁から下りるときには梯子を使わずにぽん、ひとっ跳びだった。それにも度肝を抜かれたが、周囲に誰の気配もないことを確認したフィンが起き上がってみると、胸元に差し込まれた紙にはさらに驚愕するものが描かれていた。


「これは、強力な障壁魔法の魔法陣か。……しかも、見覚えがある」

(彼女がこれを描いたのは、俺の顔色が寝不足に見えて青いから、か)


 プリエゼーダ王国での悪夢には、さまざまな理由がある。心や体の状態に起因する一般的なものもあれば、精霊の干渉によるものもある。


 精霊の干渉が原因の場合、障壁魔法が有効になる。眠っている間、強力な障壁で精霊の手出しを防ぐのだ。


 さすがに、フィンも城壁の上で昼寝して過ごすようになるまでそこに思い至らなかったわけではない。何より、自分は精霊の力を借りた転生者である。毎晩悪夢を見るのは、前世での心残りに加え、精霊が干渉している可能性が一番高いと思えた。


 けれど、王宮の魔導士に描かせた魔法陣では改善されなかった。魔法の強力さは魔法陣の質によっても左右されるからである。


 魔法陣にもいろいろな描き方がある。まず基本的に、魔法道具屋で購入できる魔法陣は線や記号を省略せずに精緻に描かれたものだ。


 しかし、実際には省略して構わない線もある。ただ、それをするためには高度な知識や技術が必要になるし、発動しないリスクもあるため通常では用いない。


 高名な魔導士だったアレクシアが自分で使うために描く魔法陣は、そのほとんどが省略した簡易版だった。そこには彼女独自の癖がある。


 数字の飛び方、線の太さ。そして、これだけ簡易化しているのにもかかわらず、外側の線だけは崩さず丁寧に引くこだわり。


 フィンは、畳まれて自分の胸ポケットに入っていた紙を光に透かす。この書き方や計算の癖を、自分は確かに知っている。


 さっき、彼女と会話をしていてフィンにはいくつも引っかかるところがあった。そこに、この魔法陣である。


(思えば、髪と瞳の色も。顔立ちは似ていないが……。魔法陣を描けることや魔法陣ケースも気になるが……。何より、あの、物怖じしない姿勢と身のこなしは何だ)


 何度打ち消しても繰り返し浮かぶその考えに、フィンはかぶりを振る。今は、自分にとって都合のいい考えしか浮かばない気がした。


「……大体にして、国王に向かって『頭を下げるな』なんて命令するか、普通」


 フィンの口元は綻ぶ。その脳裏には当然シェイラではなく、かつての主君の姿が思い浮かんでいた。


(しかし、もしそうだったとしても。キャンベル伯爵家に声をかけてすぐに、彼女はこの後宮に上がった様子だった)


 それは、国王のもとに輿入れするという決断を躊躇なく下したということである。前世のアレクシアは、周囲にどんなに縁談を勧められようとも頑なに断っていた。


 だから、自分が想う大きさの10分の1ぐらいは、彼女の気持ちも自分にあるものだと思っていた。それは、決して自惚れではないと思える。だから、もし記憶があるとしたら、そんな話を彼女が受けるはずがない。


 フィンはすぐに追いかけて、シェイラに話を聞きたかった。


 けれど、もし本当にだったとしたら。


「シェイラ・スコット・キャンベルは、前世の記憶を持たない転生者、なのか……?」


 記憶がないままに転生しても、前世での資質や特技が現れてもおかしくはない。


 ――アレクシアが自分を忘れて生きている。彼女の幸せは大きな喜びではあるけれど、同時にそれよりも大きな失望などなかった。


 ◇


「シェイラ様のお兄様ってどんな方なの?」


 大きなスプーンで、プリンとホイップクリーム、いちごをたっぷりとすくいながらティルダが聞いてくる。


 淑女の口にぴったりの小さめのスプーンも隣に置かれているが、ここではそれを使っている者はいない。皆、迷わず大きい方を選んだ。


 今日のおやつはプリンアラモードだった。クッキーやスコーンなど、ぱさぱさしたものばかりのお茶会では生活だけではなく口からも潤いが奪われる、ということでティルダが提案したメニューである。


「ティルダ様って、お茶菓子のセンスが本当に良いですわね」

「サラ、ありがとう」

「正妃として生かす機会がないのが残念ですわ」


 サラの嫌味は今日も絶好調だった。


「もう! あなたそんなかわいい顔してギャップが過ぎるのよ! でも結構好きよ、私!」


「私も好きです、ティルダ様」

「私も」

「私もです」

『みゃー』


 全員の意見が一致したところで、シェイラはやっと答えた。


「話を戻しますが……私の兄は……口は悪いですが優しい人ですわ」

「まあ」


 ティルダが身を乗り出す。


「シェイラ様のお兄様ならそんな感じするわね。ご年齢はいくつなの? 24歳? 25歳? もっと上?」

「今度来るのは、20歳の兄です」

「くっ! また年下! でもいい! 殿方に会いたい!」


 ここは国王陛下の後宮である。明らかに小声でしなければいけない類の話ではあるけれど、この後宮が形ばかりのものだということは既に全員が分かり切っていた。


「シェイラ様がお手伝いしている商会の打ち合わせを、後宮でしてもいいと許可が下りたのですよね。いくらお兄様とはいえ、男性の定期的な立ち入りが許されるなんてめったにないことですわ」


 メアリの言葉に、シェイラは遠慮がちに微笑む。


「君の部屋を訪ねるつもりはないから好きに過ごせ、という陛下のご意思かと」

「あらぁ。それなら私達も同じことよ? 毎日お茶会! 楽しいけど……暇だわ」


 ティルダは頬杖をついている。


 シェイラは自分からこの後宮で大っぴらに商売がしたいと申し出たわけではない。けれど魔法陣をしのばせて帰った翌日、フィンからジョージの後宮の出入りを認める許可証が届いたのだ。しかも、ジョージに同行する貴族顧客の立ち入りも可能だという。


(陛下なりの感謝の示し方なのかもしれないけれど……)


 ありがたいという気持ちはあるものの、手のひらを返したような好待遇。一体どういう風の吹き回しだ、という思いもあった。


(それに、フィン陛下はきちんとお休みになれているのかしら)


 真っ青だった彼の顔を思い出して、少しだけ心配になる。自分がその地位にいたのは一年足らずだったが、体力的にも精神的にも削られることが多かった。眠れなければ、この大国を統治していくことは困難だろう。……が、シェイラはあれ以来後宮の奥の城壁には行っていない。


 逡巡するシェイラには気付かず、ティルダとサラは楽しげだ。


「ティルダ様、お父様からとにかく既成事実を作れと眠り薬が送られてきたんです。陛下にお会いしたこともないのに、どうやって飲ませたらいいのでしょうか」


「やーめーてー! その品のない相談! メトカーフ子爵閣下怖っ! ていうかそれここで言っていいわけ? あなたのお父様の立場が大変よ?」


「……」

「……シェイラ様? どうかなさいましたか」


 すっかり上の空のシェイラに、メアリは気が付いた様子だった。


「いえ、少し考え事を」

「……チョコレートソースはいかがですか? プリンアラモードにぴったりですわ」

「……あ、ありがとうございます。もちろんいただきますわ」


 今日も、この後宮は平和だった。

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