第13話 ひさしぶりの王宮

「懐かしい……」


 絶対に、口にしないと決めていたはずの言葉が早速漏れて、シェイラは慌てて口を噤んだ。


「あら、式典などでこちらにいらしたことはおありですか」


 柔和な表情の女官長にシェイラは慌てて首を振る。


「いいえ。……花の香りが、実家の庭にあるものと同じでしたので」

「左様でしたか。この後宮の周りには、たくさんの花が植えてあります。ぜひお楽しみくださいませ」


 苦し紛れの言い訳に、女官長は微笑んでくれた。


 王宮に到着したシェイラは、早速後宮に案内されていた。この広い王宮の半分近くを後宮が占めている。


 広大な国土と肥沃な大地に支えられたプリエゼーダ王国は豊か。国王によっては100人以上の妾を抱え、1000人近い者がこの場所で暮らしていたこともあると聞いている。


(歴史の本や新聞の記事では、あの夜に城内が破壊されることはほとんどなかったと書いてあったわ。すぐに制圧されたから、城はそのままだと。……本当にその通りね)


 城の中は、かつてアレクシアが暮らしていたときとまったく変わらない。確かに、時を経た感じはするものの、漂う空気は一緒だった。


(まさか、ここに来ることになるなんて、思わなかった)

『みゃー』


 シェイラの沈んだ空気を察したのか、肩にのっているクラウスが顔を寄せてくる。クラウスは大きな魔力を秘めた精霊の使いのようだけれど、普段は魔力を抑えている。キャンベル伯爵家でもただの猫ではないと気付かれたことはなかった。


「ふふっ。ありがとう。……っ」


 名前を呼ぼうとして、シェイラは固まった。この王宮内で、猫ではないクラウスと二人過ごした日々がよみがえる。


 王宮の奥にある後宮まではあまり来なかったけれど、似た造りの回廊ではよく追いかけっこをした。アレクシアは足が速かったが、クラウスはもっと速かった。そのはずなのに、いつも勝つのはアレクシア。それが不満で、『真面目にやって!』と何度詰め寄ったことか。


 それから、この回廊のずっと先に見える棟には、魔導士や医務官など特別な職務に従事する者専用の部屋がある。昼間の勉強だけでは満足できないとき、アレクシアはクラウスを王宮に留めて夜を待った。そして、暗くなったらこっそり先生の部屋を訪ねるのだ。暗くて長い廊下も、クラウスと一緒なら怖くなかった。


 アレクシアが14歳を迎えたころ、急にクラウスはアレクシアのところに遊びに来なくなった。彼が意図的に自分から離れようとしている、そう気づいたアレクシアは父王に頼み込んでクラウスを自分の専属護衛騎士兼側近に任命した。


 クラウスはなぜか頭を抱えていたが、アレクシアは気にしなかった。一生でたった一つの我儘ぐらい、許されると思った。それほどに、彼女が欲しいのは彼だけだった。


「……懐かしいな」


 もう一度呟いたシェイラに、女官長は同情した様子だった。


「シェイラ様はご実家から侍女をお連れにならず、お一人ですものね。明日から、こちらでシェイラ様付きの侍女が参りますので。しばらくは落ち着かないかもしれませんが、お花で心が安らぐのでしたらいつでもご案内しますわ」


「はい、ありがとうございます」


 回廊を少し進むと、少し雰囲気が変わった。1つ1つの部屋が大きいのが分かる。部屋というよりは、独立した離宮を通路でつないでいるような、そんな造りである。


(こんなところ……あったのね)


「シェイラ様のお部屋はこちらです。お部屋はほかに3つあって、既に皆さま入られています」

「えっ。……ということは」


 さすがに、100人の妾を抱えるタイプの国王ではないのは分かっていた。


(だけど、たった4人、って……少なすぎない?)


 呆れた様子のシェイラに、女官長は歯を見せて笑う。


「そんなお顔をされた方は初めてです。大体皆さん、ライバルが少ないとお喜びになりますから」


 早速寵姫争いに加わる気がないことがバレたことが気まずくて、シェイラは話を逸らした。


「……国王陛下へのお目通りはいつになるのでしょうか」

「ほかの皆様は一月ほど前からこの後宮に入られているのですが、まだどなたも国王陛下にはお会いになっていらっしゃいませんわ」


 気を遣ったような女官長を見て、シェイラの心は弾む。


(これなら……本当に好きに暮らせそうだわ!)


「それからシェイラ様、お荷物の管理にはどうかお気を付けくださいませ。後宮は少し特別です。……いろいろなトラブルがありますゆえ」

「承知いたしましたわ」


 女官長が慇懃な挨拶を終え、シェイラの部屋から退出した後。ジョージに送ってもらった荷物がきちんと届けられていることを確認すると、シェイラは窓際のソファに座った。


『みゃー』


 それを待っていたかのように、クラウスが膝にのって丸まる。


「ねえ、……クラウス」

『みゃー?』


「あのね、あなたの名前を変えないといけないの」


 シェイラは、そのままクラウスを胸に抱き、真っ白なふわふわの毛に顔を埋めた。


『みゃー?』


「きっと、私はここであなたの名前を呼ぶたびに泣いてしまう」


 クラウスは、力の入らないシェイラの腕からするりと抜ける。そして、顔を一生懸命舐めてくれたのだった。

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