第14話 城壁の上で

 城壁の上で、誰かが寝ている。



 この高い城壁の向こうには大きな堀が広がっている。こんなところで寝るなんて、何と命知らずなことか。というか、まだ午前中である。それも朝に近いほうの。


 アレクシアの時代ではこの堀の幅は半分しかなかった。それは、かつて奇襲を受けたこの国の悲しい歴史を物語っている。


(以前は……ここから門を通ればすぐに裏の森に行けたのよね)


 ここだけ、新しさを感じさせる色の違う城壁。その上で眠る不審な男。


(……と、それどころではなかったわ)


 シェイラは城壁の上で寝る彼のことは気にせず、周囲を見回した。



 事の発端は、今朝まで遡る。


 起きると、次兄ジョージからオーダーメイドの魔法陣を描いてほしいという依頼書と仕様書が届いていた。シェイラは早速描こうと身支度を整え、書き物机に座ったところで気が付いたのである。


 ――大切な、魔法陣ケースがないということに。


 別に、紙とペンは全く惜しくなかった。中に入っている描き上げ済みの魔法陣も危険なものではない。……けれど。


 あの魔法陣ケースは、アレクシアが使っていた思い出の品に似せて作った大切なものだ。その職人はアレクシアのものを作った巨匠の弟子で、もうこの世にはいない。なくしてしまったら、もう二度と手に入らないだろう。


 ということで、シェイラは慌てて魔法陣ケースを探しに出た。後宮で過ごすにしては若干粗末な部屋着に近いワンピースに、肩に真っ白な猫をのせて。少し不思議ないで立ちで出歩いてしまうほどに、平静を装いつつも内心はものすごく焦っていた。


(部屋の周りを探したけれど、無かった。この前女官長も『この場所ではいろいろなことがある』と言っていたわ。誰かの意図的なものだとしたら、この王宮のどこかに粗末に捨て置かれているはず。どうしよう、見つからなかったら)


『みゃっ』


 心配で駆け足になりかけたところで、急に、シェイラの肩にのっていたクラウスがぴょんと飛び降りた。そして、回廊の奥に駆けていく。


「あっ、待って……」


 咄嗟でも、やっぱり名前は呼べなかった。


『みゃー、みゃー、』


 シェイラがやっと追いつくと、クラウスは何かの隣で鳴いている。


「あった……!」


 回廊の端、庭の芝生との間ギリギリに立てかけて置かれていたのは、確かにシェイラの大切な魔法陣ケースだった。


「よかった……! お手柄ね」

『みゃー』


 クラウスはうれしそうにシェイラの手に頭を擦りつける。


 早速シェイラはケースを開けて中身を確認した。予想では、バラバラに散乱していたり壊されたりしていてもおかしくはなかったが、問題ない様子である。


(うん。ペンも紙もあるし、何よりもケースがそのままだわ。戻ってきて本当に良かった)


 蓋の上に石で施されたアイリスの花の飾りを撫でてホッとする。


(……でも、あれ)


「描き上げてあった魔法陣が一枚足りないわ。……どこに……」


 入れてあったのは、特別な魔法を発動させるものではないし、悪用できる性質の魔法陣ではなかった。何より、何の魔法のものなのか分かる人は少ないだろう。けれど、無いとなると行き先が気になった。


「どこかに……落ちて……」


 シェイラは、回廊をキョロキョロと見回す。大理石の床。城壁へと続く、庭の芝生。広い回廊の遠くの方。けれど、何もない。


「魔導士か」


「!」


 シェイラは声がした方向を見る。そこでは、さっきまで寝ていたはずの彼が城壁の上に胡坐をかいていた。逆光で、表情がよく見えない。


「いえ、違います。では」


 シェイラはニコッと微笑み、会話をする意思がないことを示した。


 この後宮は、国王陛下のためのものだ。


 男性も稀に出入りするが、仕える者のほとんどは女性と定められている。妙な言いがかりをつけられないためにも、知らない男性と言葉を交わすことは利口ではなかった。


「正規の魔導士でなくて、どうしてこんなに複雑な魔法陣が書ける? これは魔法を無効化する類の高位魔法ではないか」


 シェイラの意思を無視して彼は会話を続ける。有無を言わせないその強引さと自信に、彼は敬われ傅かれ慣れている人物だとシェイラは知る。朝日に紙を透かすその仕草を、懐かしい、なぜかそう思った。


(……まだ、子供だわ)


 シェイラの視線を見抜いたのか、彼は不機嫌そうな表情を浮かべるといとも簡単に高い城壁から飛び降りた。


 手には一枚の紙が握られている。足りなかった、一枚の魔法陣。


 キャンベル商会で付き合いのある魔導士の間でもあまり知られていない魔法のものだったから、シェイラは完全に油断していた。


(あの魔法陣を……。どんなものか見ただけで分かるのね)


 陽の光に輝く銀色の髪。神秘的な雰囲気を漂わせる、紺碧と金色のオッドアイ。精悍な印象の涼しげな目元に加え、顔のパーツはつくりもののように完璧な配置だ。人を寄せ付けないオーラを放っているが、シェイラにとって嫌な感じはしない。


 顔の造りにはまだあどけなさを残している。考えてみれば、相応に思えた。けれど、その地位に就くにしては明らかに若すぎる。


(似てる……)


 表情や瞳の色は違うのに、なぜかその言葉が一瞬浮かんだ。けれど、なんとか打ち消す。足がふわふわとして立っている感覚がなかった。


 何も答えないシェイラをさほど気にしている様子もなく、彼は続けた。


「……その箱。さっき、ここに来たとき散乱していて邪魔だったから片付けた。壊れていないか確認しておいた方がいい」


(……やっぱり)

「……それは、大変なお手間を。ありがとう存じます」


 シェイラはスカートの端をつまみ、淑女の礼をした。


「……いや。久しぶりにこのようなものを見て懐かしくなっただけだ。少し、触ってみたくなった」

「左様でございますか」


 観念したシェイラは、自分から名乗ることにした。


「私は、シェイラ・スコット・キャンベルと申します」

「キャンベル伯爵家の令嬢だな」

「よくご存じで」


 てっきり、は4人目の側室が後宮に上がったことすら気が付いていないとシェイラは思っていた。しかし違うらしい。


「この箱はどこで?」

「……城下町の職人に作っていただきました」

「デザインは。既製品か」

「……」


 不自然な追及に、シェイラは首を傾げる。


「一点ものなのです。これを作れる職人は、もういないかと」

「……そうか」


 彼は深く息を吐くと、それ以上聞いてこなかった。


 ――国王・フィン。


 シェイラには確信があった。彼は、間違いなくこの国で一番高貴な人物である、と。


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