第8話 王太子・フィン

 写真に写っているのは、二人の子供だった。ただの子供ではない。当時の王女と有力侯爵家の嫡男である。


 年のころは10歳ほど。王女の、ゆるやかな弧を描く滑らかな髪に、意志の強さを感じさせる目。この頃の彼女は既に自分の美貌には価値があるものだと知っていた。


 民のため、利用できるものは何でも利用する。そのことに何の疑いも持たない彼女は高貴で眩しく、そして危なっかしかった。


 この写真は、『魔法を使わなくても絵姿が残せる道具』を隣国の商人が持ち込んだ日、新しい物好きの国王が二人をモデルにして撮らせたものである。


 父親に似て好奇心旺盛な王女の瞳が輝いているのは、古い写真ごしでも明らかだった。そして、隣に立つ少年が彼女を心配そうに見ているのが少し笑えた。


(確かこの日の前日、アレクシアは徹夜で魔導士の先生のところに行っていたんだよな。まぁ、『押しかけて無理やり講義をさせた』が正しいが。その後、休憩もせずに商人との面会に。……俺は、心配で仕方がないって顔をしてるな)


 彼は写真を眺めて落ち着きを取り戻す。アレクシアの性分を思い出させる、当時の想い出に口元が緩んだ。


 手には汗がにじんでいた。この写真は、彼にとって何よりも大切だった。確かに、念のため複製したものを別の場所で保管してある。


 けれど、当時の空気と手触りをそのまま残しているのはこの原本一枚だけ。彼はできるだけ汚したくなくて、そっと本の中に戻した。


 この写真は、かつて女王・アレクシアの側近を務めたクラウスの生家である、ワーグナー侯爵家の書斎で見つけた。奇跡的に保存状態がよかった。


 そのクラウスはとうの昔に死んでいる。けれど、彼の主君だった女王・アレクシアは自分の身と引き換えに使用人や民を守ろうとし、名を遺した。


 内乱によって城は一時的に落とされたものの、クーデターはたった三日で収束した。王族の遠縁を新たな国王とし、綻びを見せたプリエゼーダ王国はまた平和な世へと歩んで行った。


「……なぜ、王女ではなく俺のほうが転生した」


 彼女が即位した後も、自分だけに許された呼び名。やり場のない怒りを孕んだ低い声が、暗闇に響いた。


 まだ夜明け前である。前世での最期の記憶は夜に眠ると彼のことを必ず襲う。


 今日も、もう眠れる気はしなかった。


 ◇


「殿下。国王への即位式の件ですが、招待客リストの確認を」

「そこに置いておけ。順に確認する」


 フィン・オーブリー・ハルスウェルはこの国の王太子である。


 光を浴びると輝くグレーの髪に、紺碧と金色のオッドアイ。外見の美しさ・稀さはさることながら、その優秀さに側近たちは皆舌を巻く。


 半年前に国王が病で逝去してから、既にフィンは実質的な国王の地位についていた。けれど、喪が明けて初めての儀式――、一か月後に行われる国王への即位式を終えるまでは、まだ対外的には王太子である。


「ご機嫌斜めですか」

「……夜に寝たからな」


 こめかみを押さえるフィンに、側近のケネスが呆れたように言う。


「申し訳ありません。国王への即位式を終えるまでは、お昼寝の時間はないものと思ってください」

「……分かっている。それよりも、あの件はどうなっている」


「ああ、妹君の縁談の件ですね。お相手のリストアップはしていますが、なかなか」

「相手は他国の王族では駄目だ。国内の、信頼できる貴族から厳選しろ。能力と人望があれば、最悪家の爵位は低くてもかまわない」

「……御意」


 ケネスはため息をついて続ける。


「それよりも、陛下」

「まだ殿下だ」


 ケネスは訂正しない。


「ご自分の、後宮の件はいかがなさいますか。そろそろこちらも人選を進めていただきませんと」


「俺の代では不要だ。予算はほかのことに使え」

「しかしそういうわけには。仮にお迎えになるのが正妃お一人としても、雇用の面もありますし。貴族たちの諸々の不満を抑えるために後宮は必要かと」


「……それならお前に一任する。ただし俺は無関係だ。好きにしろ」

「御意」


 一礼して執務室を出て行くケネスを見届けた後、一人執務室に残ったフィンは両手で顔を覆った。


 フィンもまた、転生し前世の記憶を持っている。彼の前世の名はクラウス。この王宮の執務室は、彼にとってどこよりも安らげ、そして辛い場所である。


(……あと、3年しかないが、3年もあるのか)


 前世、21歳で死んだ彼がその年齢になるまではあと3年ほど。


 フィンは生まれたときから前世の記憶を持っていた。時々頭の中に流れ込む、知らない映像。それが前世のものなのだと理解した瞬間、フィンとクラウスの意識は一つになった。


 自分の寿命を知っている彼は、なんとか王位継承権を放棄しようと躍起になったこともある。


 確かに、輪廻転生の概念があるこの国では、転生者だと言えば国王への即位は逃れられたのかもしれない。


 けれど、寿命を明らかにして、アレクシアが守ろうとしていたこの国を不安定にすることは避けたかった。


 何よりも、フィンの兄妹は妹たちだけ。逃げ回って王位を押し付ける気にはなれなかったのもある。


 今の彼の心の拠り所は、前世で一人、同じ場所に耐えていた彼女一人だった。


「ここで、前世での俺の心残りが叶うことなどありえないのだからな」


 がらんとした執務室の空気に、ぽつりと呟いた言葉が吸い込まれていく。この城は、必死の思いで彼女と逃げ出したあの夜から、悔しいほどに変わらない。


『ふふっ。随分弱気なのね?』


 かつて、二人で過ごしたこの部屋のどこかから、そんな勝気な言葉が返ってくる気がした。

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