第7話 アレクシアとクラウス

 ◆


「隣国に対する軍事行動は許可しないわ。和平交渉を持ちかけているのに、欺いて先制攻撃を仕掛けようだなんて馬鹿げている」


 長い長い会議。その最後に、アレクシアはいとも簡単に結論をひっくり返した。


「へ……陛下。それは、時間をかけてご説明申し上げました。この秋は不作でした。民は飢えています。領土を広げれば、すべて解決しましょう」

「ふふっ。あなた、随分と都合のいい世界に生きているのね?」


 アレクシアは卓に肘をつき、斜に声の主を見上げる。一見妖艶にも見えるが、その姿勢は完全に挑発的なものだった。そして、事もなげに続けた。


「それで、この作戦が実現したらあなたたちの手にはいくら入る予定なの? どんなおいしい見返りが? それを説明するきちんとした資料が出せたら考え直してあげてもいいわ?」


 この案を議論して欲しいなら自分の地位と引き換えにしろ、というアレクシアの強烈な拒絶に、議場の一部からはため息が漏れる。


「……お心のままに」


 大臣は唇を噛みしめておずおずと引き下がっていく。会議は、終わりだった。


「陛下」

「何?」

「この後の予定ですが、1時間後にスート領主との面会があります。それまで休憩をされては」

「そうするわ、クラウス」


 この国の女王・アレクシアは20歳で王位を引き継いだ。まだ8歳の弟、リチャードが即位するまでの繋ぎの存在である。


 父王には子供が少なく、そのうえかつてこの辺りには流行り病があった。そのせいできょうだいはリチャードとの二人きり。


 早くから史上初めての女王になる可能性を指摘されていた彼女は、小さい頃から英才教育を受けて育ったのだった。


 優秀な父の血を引くアレクシアは、あらゆる能力に於いて、同世代の貴族子弟の中で傑出していた。


 その傍ら、彼女とほぼ同じくらいの成績を収めていたのが、ワーグナー侯爵家のクラウスである。家柄と優秀さを考慮し、彼がアレクシアの側近に収まるのは当然のことだった。


 来たる、弟・リチャードが治める世のために、アレクシアは周辺国と良好な関係を築くことに尽力している。


「……見て。今日の夕焼けは酷く不気味な色をしているわ。なんだか不吉ね」

「確かに」


 執務室に隣接した応接間。窓際に座ってお茶を飲むアレクシアにクラウスは表情を崩す。この部屋には、二人しかいない。


 普段は完全な主従関係にあるけれど、他人の目がないところではただの幼なじみに戻る。


「あの領主との面会は憂鬱だわ。舐めるような目で見てきて、本当に腹が立つ」

「ただのカボチャだと思えばいい」

「カボチャに失礼だわ」


「とはいえ」

「何?」

「今日のドレス、少し肌が見えすぎじゃないか?」


「……相手を油断させるにはちょうどいいの」

「王女の考えはよく分かっているが」


 クラウスからの呼び名が、二人だけのときに使われるものに戻った。


 そして彼は複雑そうな表情を浮かべると、目を逸らし椅子の背にかかっていたストールをアレクシアの肩口にかけた。


 銀色の髪に、透き通った深い紺碧の瞳。普段、貴族令嬢からの羨望を集める彼の整った顔には、不満の色が見える。


「ありがとう」


 今は無邪気な微笑みを浮かべているアレクシアだが、本来は極めて策略的なタイプだ。この国では不利な条件になりやすい『女』という性別ですら、彼女にとっては手段の1つでしかない。


 何事にも妥協しないその姿勢は、国の重鎮たちからは苦々しく思われているものの、若い側近や大臣たちからの評判はすこぶる良い。女官や侍女たちからも好かれていた。



 コンコン。


「何だ」

「失礼いたします」


 クラウスの返答から間を開けず、応接間に入ってきたのは女官のマージョリーだった。


「今夜は……陛下はどちらのお部屋でお休みでしょうか」

「いつもと同じよ。自分の部屋で休むわ?」

「承知いたしました。いつも通り、ホットワインの準備をしておくように申し伝えます」

「ありがとう」


 マージョリーが退出した後で、クラウスは怪訝な表情を見せた。


「今の……少し変じゃないか。アレクシアが自分の部屋以外で休むことなんかないだろう」


「明日は新年を祝う精霊祭だもの。里帰りをしている人も多いし、城内はいつもより手薄よ。念のために確認して、警備の配置を考えたいのでしょう」

「……そうか」


 マージョリーは学校を卒業してからずっと王宮に仕え続けるベテランの女官だ。器量はよくはないものの、仕事ぶりは非常に優秀。彼女は忠臣そのもので、アレクシアはマージョリーのことを信頼していた。


「そうだ、見て。新しく描いたの」


 アレクシアはアイリスの花の飾りがほどこされたケースを開ける。その中には魔法陣を描くための真っ白い紙とペン、そして丁寧に描かれた数枚の魔法陣が入っていた。


 その魔法陣を取り出して、クラウスに渡す。


「これは……相変わらずすごいな」

「ふふっ。少し頑張って描いてみたの。強力な障壁の魔法陣よ。いざというとき、あなたを守れるように。……使って」


 受け取った紙を夕日に透かして模様を眺めていたクラウスが一瞬手を留めた。


「……王女。そういうことをする時間があるなら、少しは休めといっているだろう? 君は誰よりも激務で、しかも代わりがいないって分かっているのか?」

「分かっているわよ。……でもこれぐらい、いいじゃない」


 今、アレクシアが彼に渡した魔法陣は高位魔法だ。けれど、王宮に居れば業者から専用ルートで手に入るレベルのものだ。


 高名な魔術師でありこの国の君主でもあるアレクシアがわざわざ時間をかけて描くようなものではない。


(クラウスは私の盾。だから、せめてそのクラウスを守るのは私が描いた魔法陣であってほしいだけ)


 喜んでほしかったのに、怒られてしまったアレクシアは口を尖らせた。


 その表情を見たクラウスは、一瞬アレクシアに触れようとする。はちみつ色の、緩やかなウエーブがかかった髪に。


 しかし、すんでのところで手を止める。アレクシアの方もその仕草に気が付いたけれど、何も言わない。


 女王・アレクシアは弟が即位するまでの繋ぎの存在だ。だから世継ぎは必要なく、期間限定の執務に集中するためというのを名目に誰とも婚姻を結んでいなかった。


 もし誰かを迎えるとすれば、隣国の第二王子辺りになるというのは明白。しかし狡猾な表情を見せる女王としては意外なことに、アレクシアは一人を想い続けていた。


 アレクシアにとって、クラウスは一筋の光。棘だらけの暗闇で傷つきながらも、彼さえいればどんな重圧にも耐えられた。一方のクラウスにとってアレクシアは不可侵である。


 大国の王と側近という関係は、この国では恋愛を許されていない。だから、お互いに絶対に口には出さない。けれど、二人は確かに想いあっていた。


 しっかりと一線を引きつつも、お互いの気持ちは伝わっていて、なにものにも動かされない関係である。


 ――王位を無事に弟のリチャードに譲るまでは。


 アレクシアには、それが微かな希望だった。




 しかしその夜、奇襲により城は陥落する。


 クラウスの義憤にかられた瞳と、先送りにしていた気持ちへの後悔。愛する人に、はじめて、強く抱きしめられた痛み。


 それが、アレクシアの最後の記憶となった。




 ◆




「――っつ!!」


 バサッ。


 暗闇の中、彼は飛び起きた。広いベッドの上、天蓋は下りたままである。銀色の髪は汗でびっしょりと濡れている。


 彼は荒く肩でしていた呼吸を整え、頭をぐしゃぐしゃっとかき乱すと、もう一度深く息を吐いた。


「殿下、どうかなさいましたか」


 隣の部屋で休んでいた側近が、主君のただならぬ気配を察して声をかける。


「……いや。何でもない。下がれ」

「御意」

「…………」


 側近が下がったのを確認して、彼はベッドの脇に置かれたチェストの引き出しを開ける。


 そこから、一冊の本を取り出す。


 すっかりぼろぼろになった、古い本。魔法を使えば新品のように綺麗にできるが、彼は絶対にそれを望まなかった。ページを開くと、そこには子供の字で魔法陣や魔法数学の計算式が書き連ねられている。


 この本を見つけた時点で、彼は状態保存の魔法をかけた。けれど、紙はすっかり変色しているし、インクも薄くなっている。それだけ、長い年月を経たものだった。


 そして、最後のページには一枚の写真が挟まっていた。

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