第8話 勇者、麦茶をコップに注ぐ

 手を洗ってリビングにやってくると、日隠がソファーに寝転んで新聞を読んでいた。

 どうやらあかりはとなりの台所で料理をしている様子だ。

 俺も新聞を読んでみたいが、学習漫画と違って、漢字が多すぎる。フリガナも振ってないようだしな。


 台所からあかりの声がする。


「勇美、麦茶をコップに入れてくれる?」


 言われた勇美は戸惑い、おろおろと困った表情を浮かべている。

 麦茶は入院中にも飲んだのでこの世界のお茶の一種だというのは分るが、この家のどこに保存されているかは分らないのだろう。


「え、ええと……?」


 動けない勇美。手伝ってやりたいが、おれも麦茶のありかなど知らん。

 すると、ひかりが「ひかりも手伝う~」と台所にかけだした。

 勇美はひかりのあとを追う。心配なので、俺も立ち上がった。


「俺も手伝うよ」


 それにしても、さっきからひかりのマネをしてばかりだな。

 幼女頼りというのは情けないが、ここはしかたがないか。

 3人で台所にやってきた子どもたちを見て、あかりは呆れ顔になった。


「あらあら、兄妹仲がいいわね。でも、台所に4人は狭いわよ」


 母親のそんな言葉を無視し、ひかりは台所の片隅に置いてある白い箱を開ける。

 どうやら食材の保管庫らしい。冷蔵庫というやつだろうか。

 麦茶が入っているらしきボトルもあった。


「ヨイショっと」


 ひかりがボトルを取り出そうとするが、幼女には重いらしく、いかにもあぶなっかしい。

 手伝おうと思ったのだが、俺が手を差し出す前に勇美がひかりの腕の中から麦茶のボトルを持ち上げた。


「大丈夫か、ひかり。無理をするな」

「うん、勇美おねえちゃん、ありがとー」


 無邪気に言うひかりに、勇美は「それほどでもない」とちょっとテレた表情を浮かべた。

 勇美のテレ顔はかわいいな。お手伝いを頑張るひかりもかわいいけど。


「あらあら、2人ともありがとう。じゃあ、影陽はコップをおぼんの上に並べてくれる?」


 えーっと、おぼんというのはテーブルの上に乗っている板のことかな?

 コップは……向こうの木製の棚に入っているようだ。

 俺は棚からコップを取り出した。


 病院のコップはプラスチックとかいう謎の材質でできていたが、これはガラス製のようだ。

 それにしても、見事なガラス細工だな。魔王城にもこんなにも透き通ったガラスコップは無かった。

 元の世界ならば金貨で取引されても驚かないほどの美しさである。平民の子どもが手にとることなどできなかっただろう。

 が、この世界ではこの程度のガラス細工は貴重品ではないのかもしれない。11歳児どころか、5歳児のひかりが扱っても怒られないようだし。


 勇美がそこに麦茶を注ぐ。

 透明なコップに茶色い麦茶がなみなみと注がれると、さらに美しく見えた。


 が、ひかりが言う。


「あー、まだ氷入れていないのにぃ」


 氷だと?

 水が冷えて固まった物質だとは分る。

 元の世界でも冷気魔法で作ることはできた。

 冷気魔法は、炎魔法よりはるかに魔法力を食う上に戦闘ではあまり役に立たないので、使い手は限られていたが。


 戸惑う俺を気にもせず、ひかりが冷蔵庫の上の扉を開いた。

 そこから小さな入れ物を取り出す。

 その中にはたくさんの四角い氷が入っていた。


「なんと……」


 俺はそれ以上言葉にならない。

 いや、病室のテレビで知ってはいたのだ。

 冷凍庫といったか。この世界では氷を簡単に作れる道具もある。

 だが、まさか一般平民にすぎない神谷家に、氷を作る道具があるとは。

 これが『科学』の力か。


 俺は恐る恐る、氷のひとつをつまんだ。

 間違いない。これは氷だ。それも魔王城の料理人がつくったそれよりもはるかに透き通り低温だ。

 勇美も同じように氷を持ち上げた。


「冷たっ」


 そう叫ぶと彼女は氷を床に落としてしまった。

 ひかりが呆れ顔になる。


「あー、勇美おねえちゃん、なにやってるのよぉ」


 ひかりは床に落ちた氷を拾って、流しに捨ててしまう。

 こんなもの、貴重でも何でも無いと言わんばかりに。

 あかりも特にとがめないので、本当にこの世界では氷は貴重品ではないのだ。


 唖然としている俺と勇美を気にすることもなく、ひかりは麦茶の入ったコップに氷を3個ずつ入れていく。

 ほどなくして、お盆の上に5杯の氷入り麦茶が並べられた。

 あかりが俺に言う。


「じゃあ、影陽気をつけて持っていってね」


 俺は慎重にお盆を持ち上げた。

 ちょっと油断したらこぼれそうだ。ましてや床に落としたら貴重なガラスを割ってしまう。

 いや、貴重品じゃないのか?

 半ば混乱しながら俺はリビングまで麦茶を運ぶのだった。 

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