第7話 魔王と勇者、帰宅する

 日隠の運転する自動車に揺られること、この世界の時間で10分。

 俺たちは『神谷家』の住居前についた。

 自動車から降りた俺の両足はガクガクと震えていた。


「し、死ぬかと思った……」


 情けなくもそうつぶやいてしまう。

 勇美や他の家族たちの目が無ければその場にへたり込んでいたかもしれない。

 そのくらい、自動車での移動は恐怖だった。


 なにしろ、馬車よりもずっと速い。

 動き出すときに、座席に全身が埋まってしまうのではないかと思ったほどだ。


 そんな自動車が走り回る道を、鎧兜すら身につけていない生身の人間たちが平気な顔で歩いている。

 この世界の住人たちは正気か!?

 いくら戦乱の無い世界といっても、こんなふうに自動車が走り回っているのでは、とても安心して暮らせない!

 神谷影陽と神谷勇美の双子が事故にあったのも当り前だ!

 病院からここまで、事故が起きなかったのが奇跡としか思えない!!


 が、日隠とあかり、それにひかりの3人にとっては恐れるようなことは何も無いらしい。

 俺は勇美にだけ聞こえるように小声で言った。


「とんでもないな……」


 が、勇美は「そうか?」と首をひねる。

 むむ、彼女はもう自動車を恐れていないのか?


「なかなかに気持ちの良い乗り物ではないか。馬車よりもずっと速いし揺れも少ない。自動車があれば魔王城までの冒険ももっと楽だったな」


 冗談ではない。

 この正義感あふれる勇者様が自動車を運転していたなら、魔族の臣民たちは老若男女問わずひき殺されていただろう。


「俺はいつ、子どもをひいてしまうか、ビルにぶつかってしまうかと気が気では無かった」

「はっはっは! 魔王様は随分と臆病なことだな。私は気に入ったぞ。是非とも次は自分で運転してみたいものだ」


 むむむ。俺はまだ足が震えているんだが……いや、これ以上は情けないな。

 勇美だけでなく、ひかりにもバカにされそうだし、両親に心配をかけるのもよくなかろう。


「ま、まあ、信号というものはあるようだし、運転をミスらなければ問題ないか。もっとも18歳になるまでは自動車を運転するための免許は取得できないらしいが」

「そうなのか?」

「少しはこの世界のこと興味を持て」


 テレビで子どもは車を運転できないと言っていた。勇美も一緒に見ていたはずなのだが。


「それは残念だ。あと2年は運転できないのか」

「いや、違うだろう。あと7年だ」

「むぅ? 私は16歳だぞ」

「神谷影陽と勇美は11歳だろうが」

「むううぅ、幼子扱いされるなど屈辱だ」


 16歳と11歳ならばたかだか5歳差だろうに。

 こっちは50歳以上も若返ってしまったのだぞ。


「それにしても、スカートというのは歩きにくいな。貴様の半ズボンがうらやましい」

「スカートならば元の世界でも人族の女性は身につけていたと聞くが?」

「その通りだが、私は着用したことがない。こんなかっこうでは満足に冒険も戦いもできん」

「もはやそんな必要もあるまい。お前は勇者ではなく小学生なのだから」

「むぅ」


 それにしても、俺と勇美もいつの間にか日本語で会話するようになっているな。

 意識しないと向こうの世界の言葉が出てこない。

 周囲が日本語だからか、あるいはゼカルが俺たちの頭に言語を書き込んだときに何か余計なことをしやがったのか。

 いずれにせよ、俺たちの後ろで会話を聞いていたひかりがポツンとつぶやいた。


「やっぱり影陽お兄ちゃんと勇美おねえちゃん、なんか変」




 あかりが玄関の鍵を開け、俺たちは家の中へと入った。

 神谷の家は、2階建ての一軒家。

 1階に台所とリビング、両親の寝室、洗面所、トイレ、風呂場もある。

 2階にはまだ立ち入ってないが、影陽と勇美の子ども部屋があるらしい。

 なお、ひかりはまだ幼稚園児なので子ども部屋ではなく1階で過ごすことが多いそうだ。


 双子が暮らしていた子ども部屋にも興味はあるが、あかりからまずは手洗いをしてリビングに行くようにと命じられた。

 俺は勇美やひかりと共に、洗面所に向かう。

 場所が分るか心配だったが、それほど広い家ではないし、ひかりのあとをついて行けば問題無かった。


 それにしても、この世界の上下水道はすごいな。

『蛇口』をちょっとひねるだけで無限に水があふれてくる。

 しかも、熱処理しなくてもそのまま飲用できるほど清潔な水だ。


 魔族の住む大陸では水は大変貴重だった。

 多くの民は泥水をすすって生きていたのだ。

 そのために病魔が流行ることも多かった。

 この水を、魔族たちに届けることができたならば……


 そこまで考えて、俺は「ふぅ」と息をつく。

 詮無き妄想だ。

 俺はもう魔王サトゥルス・ベネスではなく、日本の小学生、神谷影陽なのだから。

 蛇口から流れる水と石けんを使って両手を洗ってから、俺たち3人はリビングへと向かった。

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