第6話 魔王と勇者、自動車に乗る

 病院の建物を出た俺たち。

 俺たちというのは、俺、神谷影陽こと魔王ベネスと神谷勇美こと勇者シレーヌ、2人を迎えに来た父親の日隠と母親のあかり、それに妹のひかりだ。


 ……うむ、しかしいちいち前世の名前とこの世界の名前を並べるのも面倒だな。

 今後は特に理由がない限り、こちらの世界の名前で言うようにしよう。


 それにしても暑いな。

 魔王城のあった地域は夏でもこんなに暑くなかった。

 転生してからはずっと病室の中にいて、『冷房』という機械で部屋が冷やされていた。

 だが、日本の夏は外に出てみると、本当に暑い。

 あっという間に全身から汗が噴き出てきて、俺のTシャツを湿らす。


 ちなみに、今の俺はTシャツに半ズボンというこの世界の小学生男児のスタンダードな姿だ。勇美とひかりは上半身はTシャツで、下半身はスカート。

 勇美やひかりもこの暑さには顔をしかめている。

 それは両親たちも同じらしく、母のあかりもうんざりした声で言う。


「暑いわねぇ」


 日隠は俺たち兄妹と母のあかりに告げた。


「車を取ってくるから待っていてくれ」


 車。自動車というやつだ。

 病院の前は駐車場になっていて、6台ほどの自動車が止められている。

 日隠はそのうちの1台に乗りこむと、自ら運転し俺たちのいる病院の入り口につけた。


 ふむ、これが自動車か。

 テレビ画面を通じて何度か見たが、実際に目にしてみるとなかなかにすごい。

 なにしろ、鉄の塊が馬の力も借りずに単独で走るのだ。それも、馬車などよりはるかに速いスピードだ。

 神谷影陽と神谷勇美は走っている自動車にひかれて死にかけた……いや、死亡したらしいが、さもありなんである。

 こんな鉄の塊が衝突したら、一般人など簡単に命を落とすだろう。

 なんとも恐ろしい話だ。

 むろん、馬車よりも便利だということも理解できるのだが……


 などと俺が考えていると、あかりは前の座席――たしか、助手席――に乗り込む。ひかりも後ろの座席に座った。

 が、俺と勇美はとまどうばかりだ。

 ひかりがキョトンとした顔で言う。


「どーしたの? 影陽おにいちゃんたち乗らないの?」


 どうやら、俺と勇美もひかりの隣に座るべきらしい。

 しかし、俺と勇美は躊躇する。

 この超スピードで動く鉄の車に乗り込のに恐怖を覚えてしまう。


 勇美が声を震わせて言う。


「こ、これに乗るのかっ!?」


 さすがの勇者様も恐怖を感じているらしい。

 両手をわなわなと震わせている。

 まあ、魔王たる俺も恐ろしく感じているのだから無理もない。


 ひかりがほっぺたを膨らませて不満顔。


「もう、はやくしてよぉ」


 いや、そういわれてもな……

 勇美が俺の背を軽く押しながら言う。


「ベネ……いや、影陽から乗ったらどうだ?」

「勇美こそ先に乗ったらどうだ?」


 お互いに相手に譲り合う……というよりも押しつけ合う俺と勇美。

 情けないが、いかに魔王、いかに勇者であっても、自動車に乗るのは恐ろしすぎた。

 むろん、そんなことは魔王のプライドにかけて口が裂けても言えないが。


 ぐずぐずしている俺と勇美を見て、あかりが助手席の窓を開けた。


「影陽、勇美、どうかしたの?」


 どうやら、この世界の人々にとって、自動車に乗るのは一般的なことらしい。

 恐ろしいなどと考える方がおかしいのだろう。

 しかしこれは……


 俺たちがさらに躊躇していると、あかりはハッと何かに気がついた様子で目を見開いた。


「ひょっとして、あなたたち自動車が恐いの?」


 その通りだ。

 俺たちが自動車を恐れているのは、あかりから見ても一目瞭然だったらしい。


「そっか、自動車事故で怪我をしたんだものね。ごめんね、気がつかなかったわ」


 運転席の日隠も同じ理解をしたらしい。


「影陽、勇美、ママの言うとおりなのか? ひょっとして、事故のせいでトラウマになったのか?」


 両親はちょっと困った顔になった。


「どうしましょう。歩いて帰れないわけじゃないけど……」

「だが、退院したばかりでこの炎天下の中、30分近く歩かせるのもな」


 30分……この世界の時計で長針が半周する時間だ。生前の肉体なら、その程度歩くなど造作もなかっただろう。

 だが、神谷影陽の肉体は魔王ベネスのそれに比べて貧弱だ、この炎天下では途中で息切れしてしまうかもしれない。


 両親の会話を聞いて、ひかりが「えー」と声を上げる。


「ひかり歩くのやだー」


 ふ、ふむ。どうしたものか……

 俺が迷っているとと勇美が目を見開き、後部座席に乗り込んだ。

 俺はあわててしまう。


「おい、勇美、大丈夫なのか?」

「ふ、ふんっ、こ、この程度で、勇者たる私が恐れるものかっ!」


 いや、声震えているし。

 とはいえ、勇者様にここまでの勇気を見せられたとなれば、魔王たる俺も黙ってはいられない。

 俺も意を決して勇美の横に乗り込む。

 体が震える。思った以上に恐ろしい。


 あかりが助手席から振り返りつつ俺と勇美に尋ねる。


「2人とも大丈夫?」


 勇美と俺は答える。


「も、問題ない!」

「だ、大丈夫だから、は、はやく発進してくれ」


 震える声で言う俺たちに、日隠は「そうか。なら発車するぞ」と言ったのだった。

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