第5話 魔王、世界と歴史を学ぶ

 俺たちがこの世界に転生してから5日目の朝が来た。

 あれ以来、勇者殿は暴れたり魔法を使おうとしたりはしていない。

 俺は『リモコン』という道具のボタンを押して、『テレビ』の電源を入れた。

 画面の向こうで『アナウンサー』という職業の女性が、『マイク』を握って話しだした。


『昭和62年9月17日木曜日の朝7時です。みなさん、今日も元気に頑張りましょう! 小中学生のみんな、そろそろ夏休みボケはなおったかな?』


 ふむぅ。それにしてもこの世界の技術はすごいな。

 遠く離れた場所の音と映像をこうも美しく映し出すとは。

 俺があらためて感心していると、勇者殿が嫌そうな声を出す。


「おい、勝手にテレビをつけるな」

「まだ寝ていたようだから勝手につけた」

「安眠妨害だと言っているんだ」


 ふむ。たしかにそれは道理か。


「それは申し訳なかった。謹んで謝罪しよう」


 俺が素直に謝ってテレビを消すと、彼女は「ちっ」と舌打ちした。

 俺は彼女に言う。


「だが、この世界についての情報はいくら集めても足りん。テレビほどこの世界について知るのに有益な道具もないだろう?」

「なぜこの世界の情報が必要なのだ?」

「そりゃあ、これからこの世界で小学5年生として暮らすわけだからな。当然だろう」

「私はっ!」

「何度も言うが、元の世界に戻る方法は無いだろうし、戻ったとしても魔法も剣術も使えないでは勇者も魔王もできないだろうさ。ならばこの世界に適応する努力をすべきだ」

「……くっ」


 この5日間で、神谷影陽と勇美について探った。

 2人は双子で、『日本』という国の『東京都瀬田谷せたや区』という地域に住んでいる。

 家族構成は双子以外に両親と妹の5人。父の名前は『日隠』、母の名前は『あかり』、妹の名前は『ひかり』。双方の祖父母は健在だが一緒には住んでいないらしい。

 通っている小学校は『瀬田谷小学校』。クラスは5年1組。

 ちなみにひかりは小学校入学前の『幼稚園』の『年長さん』らしい。


 まだまだ具体的なことは分らんが、最低限は理解できた。

 そのほとんどは毎日見舞いに来る、あかりとひかりから聞き出した情報だ。

 日隠は忙しい『サラリーマン』なので、初日以降見舞いには来ていない。


 勇者殿は悔しげに両手を握りしめる。


「私はっ! そんな風に受け入れられない!!」

「なぜだ?」

「勇者でない私に、一体何の価値があるというのだ!?」


 それは悲鳴のような声だった。


「勇者であることだけが、お前の価値なのか?」

「他に何がある!? 勇者として魔王を倒すことだけが、私の生きる意味だ」


 俺はなるほどと納得する。

 だから自己犠牲呪文バラス・エテンシヨンなぞをためらいもなく使えたわけか。


 同時に思う。

 痛ましいことだな、と。

 他人に与えられた役割以外に自分に価値を見いだせないとは。

 もっとも、それは魔王おれも同じ事か。

 

「自分の価値というのは自分で見つけるものだろう。お前も、俺もな」

「私には、勇者だという以外の価値など無い」

「本当にそうか?」


 尋ねる俺から、彼女は目をそらした。

 無理もない。

 16年間『勇者様』とあがめられ、それだけを拠り所に生きてきたのだろう。

 突然全く別の人生を送れと言われても、素直に受け入れるのは難しいかもしれない。


 だが、だとすればだ。

 俺は勇者殿に尋ねた。


「ひとつ聞きたいのだがな」

「なんだ?」

「お前は魔王おれを倒した後、どうするつもりだったんだ?」


 その問いに彼女は押し黙ってしまった。


魔王きさまを倒した後、だと?」

「勇者の役目が魔王を倒すことだとしたら、魔王を倒してしまえば勇者は必要なくなる。その後、お前はどうするつもりだったんだ?」

「……そんなこと知るか。私は勇者だ。魔王を倒す以外には何も無い!」


 ひどい話だ。

 あらためて、元の世界における人族の指導者たちへ嫌悪感を覚える。

 16歳の少女を、よくもまあここまで『理想の勇者様』に祭り上げたものだ。


「お前はもっと色々な世界を知るべきだな」

「なんだと?」

「テレビが嫌なら、これを読んでみるか?」


 俺はそう言って、先日病院の図書室から借りた『歴史学習漫画』を掲げて見せた。

 この世界の歴史がとても分りやすく書かれてた興味深い本だ。

 俺は全20巻のうち16巻まで読破した。

 今は『明治維新』という章を読んでいるのだが、この世界の歴史は実に面白い。


 俺が特に熱中して読んだのは『織田信長』という一地方の領主が全国統一をなさんとする話だな。破竹のごとき快進撃と、最後に信頼する武将の謀反によってあっさりと滅びるという人生は魔王から見ても波瀾万丈だ。


 だが、彼女は吐き捨てた。


「いらんっ! この世界の歴史なんぞ知しるか!?」

「この世界の歴史には興味なしか。それとも、元の世界の歴史にも興味が無かったのか?」

「生まれる前のことど知って何の意味があるんだ!」

「勇者ならば、あの戦乱の原因を知りたいとは思わなかったのか?」

「悪逆非道の魔王と魔族がいたからだろう!」


 ふむ。

 間違いなく彼女は正義感あふれる少女だ。

 だが、あまりにも一方的すぎる。

 いや、学びの価値を知らなすぎると言うべきか。


 してみると、彼女が『小学生』という立場に転生したのは幸いだった。

 この世界で様々な価値観を学べば、彼女の正義は良い方向に成長できるかもしれない。


「いずれにしても今日で俺たちは退院。一緒に帰宅して、明日からは同じ学校に通うんだ。せいぜい仲良くしようじゃないか」

「くそっ! なぜこんなことになったんだ」


 勇者殿はくやしそうだが、俺は退院や通学が楽しみでしかたがない。

 まだまだ未知なこの世界。知れば知るほど面白そうではないか。


 その日の昼過ぎ。いよいよ俺たちは退院することになり、両親とひかりが迎えに来てくれたのだった。


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※作者注:瀬田谷区は誤字じゃないです。架空の地名ということでひとつよろしくお願いします。

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