第9話 魔王と勇者、母の手料理を食べる

 リビングのテーブルにおいしそうな昼食が並んでいた。

 白米、豚汁、鶏肉の唐揚げとハンバーグ、ほうれん草のごま和え、肉じゃがなどなど。

 全ては母、あかりの手作りだ。

 デザートに柿というフルーツもついていた。


 元の世界でもハンバーグなら食べたことはある。ごま和えや肉じゃがは、入院中に口にした。

 鶏肉の唐揚げは初めてだが、その名の通り鳥の肉に小麦粉をまぶして油で揚げた料理らしい。


 肉に野菜に主食となかなかに豪華な食事だ。

 仮にも魔王と呼ばれていた俺でさえ、晩餐会でもなければもう少し質素な食事だった。

 特に戦乱が酷くなってからは俺ですら昼食は硬いパンだけしか口にできない日も多かったのだ。


 神谷一家は決して特別な家柄ではないという。

 この世界に平民と貴族といったような明確な身分制度は存在しない様子だが、いずれにせよ父の日隠は商売人に雇われた『サラリーマン』にすぎない。

 一般民衆の昼食にハンバーグと唐揚げという2つのメインディッシュが並ぶのみならず、味噌汁や付け合わせにも野菜がたくさん用意されるとは。

 やはり、この世界は平和で、この国の経済は好調なのだろうと改めて思う。


 元の世界の臣民たちにも毎日この食事を食べさせてやりたかった……考えても仕方がないと分っていても、そういう気持ちがあふれてしまう。

 食事の豪華さに驚いたのは勇美も同じ様子だ。


「なんと豪華な……今日はパーティでもあるのか?」


 料理を作ったあかりが言った。


「おおげさねぇ。いつもの食事じゃない。ま、影陽と勇美の退院祝いで、ちょっとだけママも張り切っちゃったけど」


 なるほど、退院祝いか。だとしても、かつての世界基準ならば豪華な食事には違いない。

 日隠が言う。


「何にせよ、食べようじゃないか。俺はあと1時間以内に出ないとまずいしな」


 彼は午後から出勤予定らしい。

 ひかりとあかりがちょっととがめるように日隠に言った。


「えー、パパ今日もお仕事なのぉ?」

「子どもたちの退院日くらい休めなかったんですか?」


 日隠は家族に頭を下げた。


「すまないな。今、不動産業界は上昇基調で仕事は山ほどあるんだ。午前半休をもらうのも大変だったんだぞ」


 どうやら日隠の勤める会社は土地や家屋の売買の仲介業務を営んでいるらしい。

 そういえばテレビのニュースで、このところ土地の価格がどんどん上がっていると言っていたな。


「わかっているわ。あなたが頑張ってくれているから、私たちも暮らしていけるんですもの」

「ああ。今は皆が浮かれているが、この好景気がいつまで続くかは分らん。将来のためにも稼げるうちに稼いでおかないとな」


 上手くいっているとき調子に乗って無闇に浪費するのではなく、将来を見すえて備える決断ができるとは。

 なかなかに頼もしい父親だ。


 その後「いただきます」と家族で口を揃えて言って食べ始めた。

 この世界独特の文化だが、料理人にというよりは、自然や神に祈る意味があるらしい。


 食事は美味い。

 味付けは少し濃いが、影陽の肉体が若いためかもりもり食べられるな。

 箸という棒で食べるのは難しいが、病院でも練習したしなんとかなった。

 白米の入った茶碗を片手で持ち上げて食べるのは、元の世界の文化だとやや無作法に感じるが、日本のことわざで言うところの『郷に入っては郷に従え』である。

 勇美もあかりの作った唐揚げがお気に入りの様子だ。


「うぉ、美味いぞ! 母上は宿屋か食堂で働いていたのか?」

「やあねぇ。勇美。私は大学を卒業してからずっと専業主婦よ、知っているでしょ?」

「そうか。それなのにこの味は……母上は料理の天才だな」

「褒めても何も出ないわよ」


 苦笑しつつも、娘に褒められたことはまんざらでもなさそうだ。

 一方、ひかりは勇美を不気味なものを見るかのような視線を向けた。


「勇美おねえちゃん、やっぱり変。『母上』って時代劇みたい」

「むっ、ならばなんと呼べばいいのだ? 『おふくろ』か?」


 ひかりの顔がさらに恐怖に彩られる。


「勇美お姉ちゃんがおかしくなっちゃったよぅ」


 もはや泣き出しそうなひかりに、さすがの勇美もあわてる。


「い、いや、すまん。今のは冗談だ、泣くな。私は幼子をあやすのが苦手なんだ」


 勇美の様子にあかりも心配そうに言う。


「勇美、貴方本当に変よ? 事故のあと、まるで別人みたい」


 事実中身は別人だからな。両親と妹が心配になるのも無理はない。

 日隠が「まあまあ」とあかりとひかりをなだめる。


「なんにせよ、影陽と勇美が無事で良かったじゃないか」

「たしかに。事故直後は心停止状態だったことを思えば、本当に奇跡ね」


 心停止か。やはり影陽と勇美は本来ならば死んでいたはずなのだろうか。

 日隠とあかりがさらに言った。


「それにしても不思議なこともあるものだな。たった一晩で骨折まで治るとは」

「手足の骨どころか、肋骨まで元通りなんてね。神様に感謝だわ」


 たしかに創造神ゼカルの力なのだろう。

 あのクソ神も、日隠やあかりにとっては救世主ということか。


 いずれにしても、本当に優しく温かい家族だ。

 こんな優しい家族に育てられた神谷影陽と勇美、それにひかりの3人を、このときの俺はうらやましいと感じていた。


 だから……その数時間後。

 子ども部屋で影陽が生前書いた日記の最終ページを開き驚愕することになる。

 そこには乱暴な文字でこう書かれていた。


『もう、死にたい』


 それは、幼い少年が遺した悲鳴のような殴り書きだった。


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第1部『魔王と勇者、昭和の日本へ転生する』完

⇒第2部『魔王と勇者、小学校に通う』に続く

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【♪昭和60年代豆知識♪】

 諸説ありますが、いわゆる『不動産バブル』は本作の舞台の1年前、昭和61年ごろから始まったと言われています。

 その後、年号の変更も経て、平成3年ごろバブル崩壊が起きたとされます。

 そう考えると、日隠パパは先見性があったといえるのかもしれません。


【作者より】

 ここまでお読みいただきましてありがとうございます。

 これにて第1部完です。ここまで読んで面白かったら、♥や★で評価してくださると作者の励みなります。


 魔王と勇者は小学校でどんな活躍(?)をするのか。

 影陽の残した日記には何が書かれていたのか?

 第二部も是非お付き合いくださいませ。

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