第15話 ごくらくお風呂

「こんな素晴らしいものがこの世に存在するなんて……」


 クラリスに身を清めるよう提案されて、てっきり水浴びでもするのかと思いきや。

 まさか、全身まるごとお湯に浸すことになるとは、思ってもいないソフィアであった。


 今、ソフィアがいる部屋の内装は大理石作りで真っ白だった。

 等間隔で白磁の彫刻が模されており、神話のような世界観を形作っている。


 湯船からはほかほかと湯気が立っていて視界は悪いが、竜を模した彫刻の口からじょばじょばとお湯が流れ出ているのが見えた。


「お風呂、ね……」


 熱めのお湯に肩まで浸かりながら、ソフィアは回想する。


 ──とにかくまずはお風呂で全身を洗い流しましょう。


 と言われてクラリスに連れられやってきたのは、お風呂という場所だった。


 ソフィアも、東洋に湯浴みという習慣があるということを知識だけでは知っていた。

 その時に使う広い溝のような場所がお風呂なのだと。


 しかしソフィアが知っているお風呂は、ひと一人分のサイズの湯船にお湯を張って浸かるもので、断じて部屋一つ分はあろうかと思うほどの広さの溝になみなみのお湯が注がれたものではない。


 水源が豊富なエルメルではたいていの家にお風呂があるらしく、その中でも大きなサイズのものをクラリス曰く『大浴場』と言うらしい。


 クラリスは「それではごゆっくり」と、拭く物や着替えの場所をレクチャーして退室してしまった。

 ひとりでじっくりと楽しんでという、彼女なりの気遣いだと予想する。


 回想終了。


「こんなに大量のお湯を惜しげもなく使うなんて……」


 水魔法と火魔法を組み合わせれば実現できるとはいえ、この量となるとかなりの労力を必要とする。

少なくとも実家では考えられなかったが、エルメルでは入浴はオーソドックスな習慣らしい。

 

 実家にいた頃を思い起こす。

 身体を清めるとなると、濡れた布で身体を拭くか桶に入れた冷たい水で身体を濡らすかが定番だった。


 当然、お風呂に入った経験なんてあるわけがない。

 熱いお湯に全身を浸すなんて、最初はおっかなびっくりだった。

 しかし、入ってみてその先入観は霧散した。


「気持ちいい……」


 それが、入浴に対する感想の全てだった。


 生まれて初めてのお風呂というものは、想像以上に極楽だった。

 身体に溜まった疲労とか、穢れ的がじわじわと昇華されていく感じがする。


 ソフィアは頭を空っぽにして、その感覚を楽しんだ。


「こんなに幸せで、いいのかしら……」


 来る前までは、環境に適応できるかどうか不安だった。


 でも想像していた場所よりずっと良くて、逆に怖さを覚えてしまうくらいだ。

 今この瞬間も全て夢で、本当は婚約の話も、実家を出た話を全部嘘だったんじゃないか、なんて。


 夢だとすると、とても怖かった。

 温かい湯船に浸かっているはずなのに身震いしてしまう。


 思わずソフィアは、自分の体を抱きしめた。


 その時だった。


「……あら?」


 不意に、視界の端に小さな光が見えた。

 

 よくよく目を凝らすと、手のひらくらいのサイズの女の子の形をしたシルエット。

 きらきらと光の粒子を撒きながら、背中についた小さな羽で飛んでくる。


 髪は澄んだ水色で、同じ色のドレスを着ている。

 どことなくシエルに似ているような気がした。


 ソフィアは直感的に、彼女が水の妖精だと思った。


 水を掬うように両掌を広げてみせると、その上に水妖精ちゃんが降り立つ。

 それから妖精ちゃんはソフィアを見上げてにこりと微笑んでくれた。


「可愛い……」


 思わず溢すと、妖精ちゃんは照れ臭そうに笑ったあとどこかへ飛び去っていった。


「行っちゃった……」


 名残惜しそうに呟く。

 同時にソフィアは、アランの言葉を思い出していた。


 ──精霊力が高い者は言い換えると、精霊に好かれやすい者でもあるし、精霊に様々な恩恵を与える者でもある。いわば精霊たちに愛されている、と言っていい。


 もし自分が、こんなにも可愛らしい精霊ちゃんたちに好かれる体質なのであれば。


「なんて素晴らしいことなの」


 可愛いものには目がないソフィアにとっては暁光としか言いようがなかった。

 それからしばらくの間、ソフィアは喜びにばしゃばしゃと身を揺らすのであった。

 

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