第2話 枝川粋彦

 俺はそのまま家に帰った。5冊もハードカバーの本を携え、他にも、その本屋で本を買ったから途中で捨てて帰りたくなった。しかし、遺品だからと思って我慢した。考えてみると、年代物の古書なんて、亡くなった人が持っていた可能性が高いのだ。または、売ってから亡くなってしまったとしても、全然おかしくない。怖いなんて思ったら、俺の本はほとんど呪われた本になってしまう。


 俺は電車の中で1冊取り出してみた。ハードカバーで表紙もちゃんと柄が入っていて、誰かが装丁をやってくれたんだろうと思う。引きこもりで友達がいない人なら、お金をはらってデザインを頼んだんだろうか。1冊の本からいろいろ想像する。(*実際はパッケージになっていて、個別に手配しているわけではない)


 俺が自費出版の本に対して持っていたイメージは、会社の社長とかが自分で本を作って、会社の何周年とかに知人に配るというものだった。

 しかし、調べてみると、完全に私的なものというわけではなさそうだった。1000部くらいが最低発行部数で、売れないと本人に返却されるそうだが、手数料を払って書店に置いてもらうこともできるらしい。さらに、国会図書館に納品してくれる会社もあるとか。言っては悪いけど、本人の自己満足の世界だ。本来は編集者に認められて出版という流れのはずなのに、自らその夢をお金で買っていることになる。本屋で本を買ってもらうのは、カクヨムに投稿して無料で読んでもらうより、はるかにハードルが高い。作家が付き合いのない人から、本を買ってもらうっていうのは奇跡に近いと思う。


***


『お茶の水怪談』 枝川粋彦著


 著者 プロフィール

 1970年東京都世田谷区出身。〇▲大学経済学部出身。大学時代から同人誌で活動を始め、卒業後は専業作家に。代表作は「晴れのち曇り」、「下りの坂」、「穴のないドーナツ」など多数。〇〇文学賞金賞。


 偶然、俺と同い年。


 タイトルだけだと『怪談』とあるから興味を惹かれた。

 場所はお茶の水という、大学、病院、オフィスの街。


 お茶の水という地名は、当地にあった寺から湧く水をお茶用に将軍に献上したところ、ほめられて毎日献上するようになったということから名づけられたようだ。江戸時代は武家屋敷が並ぶ土地だったらしい。今は川の両岸に雑草が生えていて、そこだけ鳥や虫が集まっているという、都会の小さなオアシス状態になっている。


 悪いけどあまり好きではない。きっと、四谷怪談を真似した江戸時代の話だろうと俺は予想していた。


 ***


 俺はリビングで『お茶の水怪談』を読んでみた。あの辺にある大きな病院で起きた心霊現象について書いてあった。字が大きくて読みやすく、1時間かからずに完読してしまった。オムニバスで、脳外科、精神科、産婦人科、小児科などの科ごとの怪談話が書いてあった。はっきり言って落ちがなく、読んだ時間を返してくれと叫びたくなった。その時点で、この人は才能ないなとわかってしまう。プロの人が書いた本なら、さすがに時間を返せとまでは思わない。そんな本だったら書籍化されないからだ。


 俺は他の本もパラパラとめくって、つまらなそうだったから、資源回収に出すことにした。それか、図書館に寄贈しようか・・・。俺は迷った。誰かの遺志を継いであげないと申し訳ないような気もする。結局、捨てられなくて、俺はその本をとりあえずリビングのテーブルに置いておいた。俺は親の遺品は容赦なく捨てるのに、赤の他人の持ち物を後生大事に取っておくなんて奇妙だとおかしくなった。


 まったく才能がないのに、作家を名乗って生活し、親の金で本まで作ってしまう。そんな偽りの人生には共感できなかった。まったく就労経験がないなんて、ずるいじゃないか。俺なんか大学出てからずっと働き通しだ。明らかに故人に対する嫉妬だろうけど、もし、俺が金持ちのボンボンでも働かないという人生はあり得ない。一晩むかむかしながら、ベッドの中で寝返りを打っていた。


***


 次の日は日曜日だったから、またリビングに座って、枝川氏の本を読むことにした。せっかくだから、とことん彼の世界観に付き合ってやろう。


 昨日の『お茶の水怪談』だって、企画自体は面白いじゃないか。

 診療科ごとに分けてあるのも、読者の興味を引きやすい。何がいけないんだろう・・・落ちがないところだろうか。俺は自分のことは棚に上げて、人の作品を批評する。


 俺はもう一回、本を手に取った。なんとなく愛着が湧いてくる。

 もともと知っている人が書いた本のような気がしてきた。


 最初から読んでみようかな・・・特に小児病棟の話は涙を誘った。

 子どもが亡くなる話は、読んでいて辛い。


 俺は扉部分を開いた。

 すると、筆ペンでサインが入っていた。


『江田聡史さんへ 枝川粋彦』


 俺はぎょっとして本を閉じた。もう一回開くと、確かに俺宛に作家のサインが入っていた。


「なんだよ!やめろよ!」


 俺は転げるようにして、スマホを取りに行くと、古本屋の店主に電話を掛けた。


「ご、ごめん。き、昨日、もらった本だけど・・・あれさ、昨日読んだんだけど・・・やばい本だったよ」

「え?どんな風に?」店主は興味深そうに尋ねた。

「昨日は何も書いてなかったけど、朝起きたら俺の名前宛でサインがあってさ!きっと、死んだ人が書きに来たんだよ!お盆だし!!どうすればいい?寺に預けようかな!怖くてさ・・・捨てられないし。まじ、どうしよう!」

「あ、そうなんだ・・・読んでくれたからって、きっとお礼にサイン書きに来たんだろうな」

「う・・・うん。でもさぁ・・・いらないって。幽霊のサインって怖すぎるよ!・・・どうしたらいいかなぁ」

「さあ、塩でもかけて捨てれば?」

「捨てるってのはちょっと。やっぱり寺に持ってくよ!ごめん、忙しいのに!じゃあ!!」


 俺は電話を切った。お寺ってお盆もやってるのかなぁ・・・俺は心配になった。


 ***


 店主は友人から電話を切られて、複雑な思いでスマホを見つめていた。


 立ち上がると、レジの後ろに山積みになっている本を見上げ、ため息をついた。そこには、『お茶の水怪談』、『穴のないドーナツ』、『下りの坂』というタイトルの本が何百冊も積まれていた。


「まいったな。記念にあげただけなのに・・・」










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自費出版 連喜 @toushikibu

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