美少女騎士(中身はおっさん)と殿下(ちょっとお疲れ気味) その04
ルーカス殿下は自分の目を疑った。
視線の先に居るのはヴァンパイアを自称する少女。その背後、まるで何本もの鞭のように操られる真っ赤な血液の奔流。その先端が、弾かれ、千切れ、まるで無数の弾丸のように超高速で飛んでくるのだ。弾丸の照準の先は、殿下だ。
(こ、こんなことは、あり得ない。物理的にあり得るはずがない)
ルーカスは物理学の研究者だ。学位ももっている。そんな彼の脳は、瞳に映る現実を受け付けることができない。明確な殺意をもって自分に迫る攻撃を前にして、ふたたびルーカス殿下はフリーズしてしまった。立ち上がる事すらできない。
(ウーィルがヤバイというほどの正真正銘の化け物? ドラゴンとかヴァンパイアとか、どうして私のまわりにはこんな化け物ばかり……)
絶体絶命のピンチだというのに、まるで他人事のように思う。
「ボクらだって、普通の人間とはいえないだろうに?」
やはり他人事のように呑気なレンの声が聞こえる。
「殿下、もともとこの世界に生きる人々にとっては、ボクや殿下やウーィルこそが極めつけの化け物かもしれないよ」
……そう、この世界にとって非常識な存在は、ヴァンパイアだけではない。ルーカスを護るべく立ちはだかるもうひとりの少女こそ、ある意味ヴァンパイア以上に常識を超越した存在だったのだ。
ルーカス殿下を蜂の巣にするはずだった真っ赤な弾丸は、すべて空をきった。何もない空間をただ通過していった。ウーィルが、ルーカス殿下の首根っこを捕まえて、ふたたび跳んだのだ。
うひゃあ。
空中から少女を見下ろすルーカス。すでに恐怖は完全に消えている。
そうだ。そうだ。そうだ。相手がどんな化け物であれ、ウーィルがいてくれるのならば絶対に安心だ。
ルーカスがふたたび一息つく。しかし、そんな彼の視線の中、ヴァンパイア少女はニヤリと笑った。
「あーーはっはっは、バカのひとつ覚えみたいにピョンピョン跳び回りやがってぇ。こっちはそれを待っていたんだよ!」
ヴァンパイアの嬉しそうな叫び声。その背後、ふたたび真っ赤な鞭が鎌首をもちあげる。血液の奔流がウーィル目がけて伸びる。凄まじい速度で距離をつめる。
「空中に跳んでしまっては、その異常な素早さも活かすことはできまい!」
しまった。足場のない空中では、翼をもたない人間はただ慣性に従うしかない。重力による自由落下以外の運動はあり得ない。
ルーカス殿下を抱えて空中を跳ぶウーィル。その速度は人知を超えるが、その軌跡は単純な運動方程式に厳密に従う。すなわち弾道飛行、放物線運動の未来位置を予測するのは簡単だ。
ヴァンパイアが操る血液の鞭の先端が、ウーィルの身体を目指して伸びる。ドリルのように渦を巻く。
「ウーィル!」
殿下の悲鳴。……しかし
おおっと!
まるで曲芸のように、ウーィルが小さな細い身体を空中で目一杯反り返る。同時に、ウーィルと殿下が空中でなぞっている軌道がかわる。まるで空間が歪んだかのように空中で速度のベクトルが偏向、空中で急ブレーキ!
間一髪。ぎりぎりでかすめた血液の奔流が空を切る。そのまま森の大木を直撃。轟音とともに真っ二つにへし折った。
……ふう、あぶないあぶない。
わざとらしく額の汗を拭うふりするウーィル。そのまま真下に落下する。
「そんなばかなことがあるかぁ! くそ、着地の瞬間ならどうだ!!」
ヴァンパイアの鞭は一本では終わらない。すぐにもう一本が迫る。着地体勢のウーィルは、今度こそ避けきれない。
ひいいいいっ!
殿下のすぐ目前に迫る地面。そして真っ赤な鞭。ルーカスは目をつむる。
バシン!
……だが、衝撃はこなかった。二本目の鞭も、ウーィルとルーカスには当たらない。
恐る恐る目をあけると、目の前にあるのはズタズタに避けた大木。
ウーィルに避けられた一本目の鞭がなぎ倒した大木が、『運良く』絶妙のタイミング良く倒れ、殿下達の盾になったのだ。
ウーィルと殿下のすぐ前、肩に白ネコを乗せた白髪の少女が、呆れ顔でつぶやく。
「……ウーィル。君は誇り高き公国騎士だろう? ボクのような善良でか弱くて眉目秀麗な普通の女子学生を盾として扱うのは、ちょっとどうかと思うよ」
ウーィルは初めから、レンの後ろに着地することを狙ってジャンプしたのだ。ちなみに、操り人形とされた生徒二人と殿下の護衛も、気を失ったままレンの後ろに庇われている。
「ははは申し訳ない、レンさん。……さすがにあのクラスの化け物を相手にするとなると、ひとひとり抱えたままではちょっとつらい」
えっ?
ウーィルの腕にすがりついていたルーカス殿下が、あらためて自分の騎士の顔をのぞきこんだ。
「わ、わたし、……重かった?」
顔を青くした殿下が、不安そうに問う。
「へっ? い、いえ、全然重くないですよ。そうじゃなくて、えーと、えーと、あの化け物を相手に、大切な人に傷ひとつ付けずに守り抜くのはちょっと苦労するという意味で……」
殿下の表情が一瞬にして変わった。ぱーっと笑顔になる。
「た、大切な人? 私が??」
こんどは顔を赤くして、両手で頬を多う。全身をくねくねしている。
はぁ……。
その横で、レンさんが大きなため息をついた。
「姉さん。いいかげんにしなよ。本当にウーィルに『面倒くさい奴』だと思われてもしらないよ。……こんな世界に男の子として生まれてしまってずっと気を張って生きてきてやっと心を許せる相手に出会ったのが嬉しいのはわかるけど」
「がーーん。……やっぱり、わたし、面倒くさい?」
「だーかーら、姉さん、そーゆーのが……」
「お、おまえらぁ! 転生者共!! どうして闘っている間くらい緊張感を保つことができんのだぁ!!!」
激怒したヴァンパイア少女が叫ぶ。
「えーーと、レンさん。怒り狂ったあいつを退治するまで、殿下のことを頼みます。殿下……心配いりません。私は負けませんよ、あなたの騎士ですから」
自分で言ってからちょっと自分で照れるウーィル。その横、ちょっと頬を赤くする殿下。それを見て笑うレンさん。そして、ますます怒りに肩をふるわせるヴァンパイアの少女。
ばっ!
ヴァンパイア少女の両腕から、黒い霧が噴き出した。
……ちがう。霧じゃない。あれは魔力? 黒いオーラ? それが腕から下に展開する。まるでコウモリの翼のように。
「へぇ、さすが本物の化け物。……先手をとられると少々やっかいそうだな。いくぞ!」
殿下をレンさんに託したウーィルが、みたび跳ぶ。剣先をヴァンパイアに向け、一直線に迫る。
「バカめ! 私のこの翼を見ても空中戦を挑んでくるか?」
ヴァンパイア少女が上に跳ぶ。コウモリのように羽ばたき、ウーィルの一撃を避ける。
必殺の一撃を避けられたウーィル。地面を蹴る。方向を変える。あり得ない速度でヴァンパイを下から追いかける。そして、剣を振り上げる。空間の切断面、黒い刃が空を走る。
「あまい!」
少女が翼を広げ、身を翻す。
「うそ! ウーィルの剣を避けた?」
避けただけではない。ヴァンパイア少女は、空中で視界から消えた。残像だけを残し、まるで空間を転移したかのようにウーィルの正面に現れる。そして、恐ろしい力で抱きしめる。
「こう近づけば剣での攻撃は無理だな、守護者! このまま空高く持ち上げて、あの転生者の目の前に落としてやるよ」
牙が覗いた唇の端がつり上がる。
「……やってみろ」
しかし、……持ち上がらない? ヴァンパイアが力の限り必死に羽ばたき、さらに魔力を全開にしているにかかわらず、ウーィルを持ち上げることができない。
「な、なにぃ? なんだこの重さは! いったいどういうことだ!!」
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