美少女騎士(中身はおっさん)はお酒が飲みたい その01
ある日の午後。
徹夜明けの任務から帰宅したウーィル。家には誰も居ない。メルは寄宿舎、次の週末までは帰って来ない。ジェイボスの野郎は誰かの護衛とかで、おそらく帰りは夜中になるだろう。
さて、飯をどうしよう。支度するのも面倒くさいし、……出かけるか。
オレと妻の寝室。クローゼットの中から適当に服を選ぶ。
ちなみにあの日、オレがこの少女の姿になってしまった日、変わったのはオレの身体だけではなかった。どういう仕組みかしらないが、オレの姿にあわせるかのように、クローゼットの中の服もちょっとだけ変わっていたのだ。
もっとも大きく変化したのは、下着の類いと騎士団の制服。それはもう見事にすべてが、女物になっていた。
それ以外の私服については、少なくともぱっと見はほとんど変化なかったものの、サイズだけが身体にあわせて小さくなっていた。要するに、いまクローゼットの中には、サイズは少女だが見た目はおっさんの服しかないのだ。
で、たったいま着換えたこの服も、まさにそれだ。オレがおっさんだった頃、慣れ親しんだ普段着だ。
地味めの半袖のシャツ。ごくごく普通のダボダボ安物ズボン。それを両肩から吊りバンド。公国では一般的な労働者の格好だ、……と思う。ちょっとくたびれたビジネスマンといってもおかしくない、……はずだ。たぶん。
もともとウーィルは、まったくと言っていいほど着る物に無頓着な人間だった。彼は騎士は自分の天職だと思っていたが、その理由の大きな部分は、公国騎士は制服が支給されるからだ。毎日の服装を考えなくてもよいと言うのは、彼にとって非常におおきなメリットだった。
故に私服などほとんど持っていない。実はこのシャツだって、結婚前に妻とのデートに行く服がないと職場で悩んでいたら、当時同僚だった今の小隊長レイラが買ってきてくれたものだから、実に二十年弱前のものになる。襟や袖などところどころがすり切れているが、そんなことは気にならない。そもそも、オレが今から行くところは、この少女の身体では少々行きづらい。おっさん臭い外見の方がいいのだ。
……おっと、剣を忘れるところだった。
オレは伝統ある公国騎士だ。騎士にとって剣は命の次に大事なものだ。公国において一般市民が剣をもって街をうろうろするのは法律違反だが、騎士ならば許される。たとえ勤務時間外でも、だ。
とはいっても、やはり私服にこんな長い剣を持ち歩くのは目立ちすぎる。だからこんな時オレは、剣を釣り竿のケースに入れて肩に背負うことにしている。公都は港町であり、釣りを趣味とする市民は多い。決して不自然さはない、……はずだ。
鏡をみると、……ブカブカのおっさんくさい服にくるまれ、長い釣り竿を背負った年頃の少女がいた。
うーーん、大きな大きな違和感を感じるような気もするが、しかしいったいどこがおかしいのか自分ではわからない。
仕方がない。顔については、大きめのベレー帽を目深にかぶれば隠せるだろう。うむ、完璧だ。完璧なはずだ。これで中身が少女だとは誰も気づかない、……たぶん。
公国は、古くからの列強各国がひしめく『旧大陸』と、新興国が台頭する資源豊かな『南北の新大陸』、その間によこたわる大洋の真ん中にある亜熱帯の島国だ。そして公都は、大航海時代から交易の中継地として、そして海洋戦略上の重要拠点として、港を中心として繁栄してきた都だ。
ウーィルが向かう店は、その港からほど近い斜面にあった。魚市場、インチキ臭いお土産屋、安いだけが取り柄の飲み屋、いかがわしい宿。坂を登る道沿いに雑多な建物が無秩序に並ぶ旧市街。行き交うのは、荒々しい漁師や港湾労働者、世界中からあつまった船乗り、そして水兵。まっとうな観光客やビジネスマンはあまり近寄らない一角。そこに、カウンターとテーブルがあわせて二十席ほどの小さな店。
おそるおそる店のドアをあける。
ビールジョッキを握りしめた騒々しい酔っぱらい達の視線が、ウーィルに集中する。店の中が一瞬静かになる。
やべ。未成年だとばれた?
彼がウィルソンだったころ、この店の常連だった。だが、この姿になってからこの店に来るのは初めてだ。
公国においては、成人は十八歳と定められている。飲酒が許されるのも十八歳以上だ。今のウーィルは、十六歳ということになっているらしい。それどころか、見た目だけならせいぜい中学生。店から追い出されても不思議はない。
……だが、杞憂だったようだ。酔っぱらい達は、すぐに興味をなくしたように彼女から視線をはずす。店に騒々しさがもどる。
ほっ。やはりオレのこの服装は正解だった。変装は完璧だ。
いつもの席をさがす。港がよく見える窓際、二人用の小さなテーブル。……ラッキー! こんなに混んでいても、誰も座っていない。
「マスター、あそこの席、いいかい?」
できるだけ低い声をだしたつもりだ。
「ああ。……いつものかい?」
「えっ? ……うん。そう、いつものを頼むよ」
ふむ。意外なことに、『ウーィル』もこの店の常連だったみたいだな。自分でこんな店に来ておいてなんだけど、こんな未成年の少女がこんな店の常連ってのも、ちょっと問題あるんじゃないかなぁ? ……まぁいいか。
ここはビールを中心とする酒と軽い食事を提供する酒場。いわゆるパブだ。
場所柄、上品な客はいない。客の多くは見るからに労働者階級の者であるが、近所の他の店のように初めからケンカを目的に安酒を飲みまくる下品な客はほとんどいない。かつてウィルソンの目の前でケンカが起きたこともあるが、彼が力尽くで『仲裁』してからその客もおとなしくなった。そんなわけで、ここはこのあたりでは唯一の、その存在が奇跡的ともいえる、静かに飯が食える店なのだ。
窓から港が見える。大きな外国船が何隻も。軍艦もたくさん。今もくもく煙を吐きながら入港してきたゴツくてでかいのは、連合王国海軍の戦艦か。お、あの船、妻が生まれた国の国旗だ。
ウィルソンはこの風景をボーーっと眺めるのが好きだった。騎士の仕事で身も心もヘトヘトになったあと、大きな船が港を出入りする様子をみながら冷たいビールを飲んでうまい飯を食っていれば幸せだった。カモメの声とのどかな汽笛。客達の喧噪や政治議論の怒鳴りあいや酔っ払いの陽気な歌声も、彼自身はそれに参加する気はないがBGMとしてわるくない。
独身時代は、暇さえあればここに来ていたものだ。結婚後はさすがにそうはいかず、妻が亡くなってからは男手ひとつで娘をそだてるためすっかりとご無沙汰になってしまった。最近、メルが手がかからない歳になって、ふたたび足が向いてきたその矢先、彼はウーィルになってしまったのだ。
「おまたせ」
あいかわらず無駄に筋肉質のマスターが、愛想のない顔をしたままジョッキと皿をもってきた。
そしてなにより、この店は飯がうまい。寡黙なマスターはむかし外国航路の船のコックをやっていたそうで、その日の気分によっては、よくいえば異国情緒豊かな、わるくいえば何だかよくわからない不思議な料理をだしてくれる。
へぇ、今日の料理はソーセージとポテトか。帝国風料理のつもりなのかな? 美味そうだ。っとその前に、まずは喉を潤すべきだよな。
オレはひとりでジョッキを掲げる。誰にというわけではない。強いて言えば『公国の平和を祈念して』 ……乾杯!
くうううう。美味い。美味いぞ。やっぱり仕事の後のビールは最高だ。
オレは、一気にジョッキをカラにした。
炭酸が喉にしみる。キリリと冷える電気冷蔵庫の発明者には勲章をあげたい。そして、この甘さ。全身の筋肉に貯まった疲労一発で解消される、……って、甘さ?
ぶぅううっ!
オレは口の中のそれを吹き出した。ビールだと信じて飲んだその液体は、ビール特有の苦みがまったくなかったのだ。むしろ甘い。
「こ、こ、これ、砂糖入りの炭酸水じゃないのか?」
「……いつもの、と言ったろ? いつもと同じあんた専用の席に座り、いつもと同じサイダーを注文し、いつものように美味そう飲みほしたように見えたが、なにか問題があるか?」
美味そうに? オレ、よりによって甘いサイダーを美味そうに飲んでいたか?
……飲んでいたかもしれない。くそ、ビールだと信じて飲んだサイダーを一瞬でも美味いと思ってしまった自分が許せん!
オレ、味覚も少女になっちゃったのか?
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