美少女騎士(中身はおっさん)と下っぱ吸血鬼


 その日の夜。公都の下町。善良な市民は決して近づかない治安の良くないあたり。


 公都の中心部方面を見れば、こうこうとした明かりが空に反射して眩しいほどだ。しかし、このあたりは薄暗い。電灯もガス灯もこのあたりにはほとんどない。月明かりに照らされた古い石畳はカビくさく、空気もよどんでいる。もちろん警察官なんて滅多にこない。

 

 そんなジメジメした狭いとおり、薄汚れた石壁を背に虚ろな目をした女が立っている。


 ねぇ、……どう?


 今日の客と見定めたのたのだろう、たまたま通りかかった男にそっと近づく。身なりが整った紳士の手を取る。そして、固まる。


 冷たい。男の手は、氷のように冷たかった。反射的に手を離そうとして、逆に握られる。凄まじい力。


 ひっ! 動けない。男の腕の力だけでは無い。とっさに見詰めてしまった男の目、人間とは思えない真っ赤な瞳に見詰められた瞬間、身体が動かなくなったのだ。


 鮮血のような瞳。ロウ人形のような白い肌。そして大きな二本の牙。


「あ、あんた、人間じゃ……」


「処女がよかったなどと贅沢をいうつもりはないが、もう少し上等な食事を楽しみたかったな。まったく、最近は警察や騎士団が五月蠅くて、こんな場末でなきゃ落ち着いて食事もできやしない。……とはいえ、おまえの身体は無駄にはしない。血だけじゃなく肉も骨まで喰ってやるから安心するがいい」


 恐怖に引きつり声も出せない女。その震える首筋に牙を突き立てようとした瞬間、男が顔をしかめた。


「動くな!」


 男の顔に強烈なライトの灯りが照らされたのだ。






「動くなと言っている。その女を離して手を上げろ! 撃つぞ!」


 ライトの逆光。男からは声の主が見えない。まさか騎士団か?


「ついに見つけたぞ、連続殺人鬼は貴様だな」


「張り込んでいた甲斐があったようだ」


 ……騎士団じゃない、公都警察だな。


 男が緊張を解いた。五人、みな銃をもっている。ふん、完全に取り囲まれたようだ。


「その目、牙、魔力、……まさか、貴様ヴァンパイアか」


 いまごろ気付いたのか? マヌケ共め。





 拳銃をかまえる警官達。唯一女性の警官が、一歩下がる。懐から別の銃をとりだし空にむけた。


「信号弾、うちます!」


 ヴァンパイアは極めて強力な魔物だ。公国に出現する魔物のなかでも、ドラゴンと並んで別格扱いだ。普通の警察官では太刀打ちできる相手ではない。


 ここ数ヶ月、公都を騒がす連続殺人鬼の捜査においては、早い段階からヴァンパイアの関与の可能性が疑われていた。したがって、もしヴァンパイアと遭遇した場合の対処について、事前に手はずが定められている。


 それが信号弾だ。決して小隊単位でヴァンパイアの相手はしない。照明弾により周囲に展開している他の警察部隊、あるいは特別に合同体制を組んでいる騎士団を呼ぶ。そして集団で取り囲むのだ。


「……まて。どうせこいつはただの操り人形だろう。我々だけでやれる」


「えっ?」


 信号弾を撃とうという手がとまる。なぜ手はず通りやらないのか。わけがわからない。しかし現場の指揮官の指示には従うしかない。





 ヴァンパイアは例外なく極めて強力な魔物だ。しかし、いわゆるヴァンパイアは、一種類ではない。この世界には二種類のヴァンパイアが存在する。『本物のヴァンパイア』と、彼らによって『操り人形』とされた存在だ。


 前者は文字通りのヴァンパイア。限りなく絶対不死に近い存在であり、人類にとって最強最悪の天敵といってもよい。


 一方で、後者はただ『本物』の命令を忠実にこなすだけの、言わば偽ヴァンパイアだ。力も知能も『本物』には遙かに及ばない。ゾンビの一種と言ってもよい。


 われわれ公都警察は、公国の自治体警察の頂点だ。公都の治安を守る誇り高き組織だ。しかし、今回の連続殺人鬼捜査においては、何度も犯人を取り逃がし、度重なる失態を重ねている。


 吹き上がる市民やマスコミからの批判。政府上層部からの圧力。公国騎士団による露骨な介入。崩れる面子。そして誇り。


 そうだ。操り人形でしかないヴァンパイアならば、私達だけで対処出来る。絶対にできる。


 指揮官は、口の中で何度も繰り返す。


 ここにいるのは公都警察の中でも精鋭だ。たとえヴァンパイア相手でも、騎士団などに借りをつくる必要はない!





「……おとなしくしろ。操り人形と言っても口をきく知能くらいは残っているのだろ? 貴様等の仲間のことを話してもらうぞ」


 警察官達はヴァンパイアの操り人形に銃を向ける。引き金を絞る。


 しかし……。


「ふ、ふふふ、はっはっはっは!」


 ヴァンパイアが笑い出した。まるで狂人のように声をだして笑い続ける。


「何がおかしい!」


「この私を捕まえるだと? 魔導騎士の連中ならばともかく、警察ごときが? 舐められたものだな」


 ヴァンパイアが女を離す。そして、一歩踏み出す。警官達の銃などまったく恐れていないかのように。


「抵抗するか!」


「ああ、抵抗させてもらう。だとしたらどうするのかね? 警察官のみなさん」


「なめるな!!!」


 パンッ!


 乾いた銃声が一発ひびく。逆上した若い警官が、警告なしでいきなり発砲したのだ。


 一般の警官がもつ拳銃にしては口径が大きすぎる特別製の銃弾が、至近距離から男の頭に直撃。顔の右半分が吹き飛んだ。





 ヴァンパイアがもんどりうって倒れる。


 ぐっ、ぐわああああっ!


 悲鳴をあげ、大量の血や脳漿をまき散らしながら、地面でのたうちまわる。


「やった!」


「俺たち警察を舐めるからだ」


「……油断するな。やつらはこの程度では死なん」

 

 そう。普通の生物ならば、今の一撃で間違いなく即死しているはずだ。なのに、目の前の男は悲鳴をあげながら転げ回っている。まだ死んではいないのだ。





 警官達が固唾をのんで見守る中、ついに男が動きをとめた。うつ伏せのまま、上半身が痙攣をくりかえす。


「さ、さすがに、この様子じゃあ……」


「しまった! 死んでしまってはヴァンパイアの仲間についての証言を得ることができないじゃないか」


「でも、とりあえず連続殺人事件はこれでおわりでしょ? 市民も私たちも安心して眠れますよ」


 は、はははは。


 乾いた笑いとともに、警官達は胸をなでおろす。


「……えっ?」


 しかし、一瞬弛緩しかけた空気は凍り付いた。死んだはずのヴァンパイアが、向こうを向いたままゆっくりと上半身を持ち上げたのだ。地面に腕をつき、ぎくしゃくと立ち上がる。


 そ、そんな……。


 そして振り向く。そこには、つい先ほど半分吹き飛ばされた顔があった。いや、それは顔ではない。まるで握りつぶされグチャグチャに潰れたトマト。


 ひいぃ!


 そのトマトが、笑う。この世の物とは思えない壮絶な微笑み。


 半分ぶら下がった目玉が、ずるりと眼孔に引き戻される。はみ出した骨にこびり付いた真っ赤な肉の塊が、泡を吹きながらぐちゃぐちゃと膨らむ。しゅるしゅると血管が伸び、剥き出しの頭蓋骨を徐々に覆っていく。顔が再生しかけている。


 これがヴァンパイア……。


 全員があ然と見詰める中、指揮官だけがかろうじて声をだすことができた。


「な、何をしている。再生を完了するまでまだ時間がかかる。今のうちに封印するのだ」


 一人が踏み出す。公都警察の切り札、公王陛下から賜った宮廷魔道士製作のアンデッド封印用聖櫃を掲げる。


 えっ?


 男が消えた。常人の目では捕らえられない速度で動いたのだ。そして、指揮官が気づいたとき、手を伸ばせば届く距離に男が立っていた。


 目の前、ヴァンパイアの端正な顔が笑みを浮かべている。まるで普通の人間だ。


 か、顔の半分を吹き飛ばされて、もう完全に再生したというのか?


「おかえしをしなくちゃぁな」 


 男の手がのびる。動けない。その手が正面から顔を覆う。それでも動けない。そして……。


 ぐちゃ


 指揮官の顔が、真っ赤なトマトのように爆発した。その凄まじい握力だけで、握りつぶされたのだ。





「た、隊長!!」


「こいつ、本物だ。本物のヴァンパイアだ。ただの操り人形とは違う。捕らえるのは断念する。全員、撃て、撃ちまくれ!!」


「信号弾もうて はやく!」


「は、はい」


 女性警官が改めて信号弾を空に向ける。撃つ。


 甲高い音をならしながら空に昇った信号弾が、真上で炸裂する。公都の空がほんの一瞬、小さな光に照らされる。


 同時に、警官全員が拳銃を発射する。


 パン、パン、パン


 この距離ならば外さない。……だが、当たらない。


 おそい! 


 暗闇の中、人間の目では追うことすらできない速度でヴァンパイアが走る。ほんの一瞬触れられただけで、警官が血だるまにになる。肉片に変わる。





 あっ、あっ、あああ。


 女性警官は悲鳴もあげられない。


 あっという間に、残っているのは彼女だけとなった。ヴァンパイアが悠然と近づく。


 く、くるな!


 尻餅をつきながら、ずるずると後ずさりしながら、それでも必死に目の前に拳銃をむける。震える指で引き金をしぼる。ヴァンパイアが、その銃口を右手の平で塞ぐ。


「撃ってみろ」


 ぱん!


 ゼロ距離から発射された弾丸は、男の手の平から腕を引き裂いた。それだけではない。弾丸が貫通した腕が、煙を発しながら溶けおちる。彼女の拳銃には、銀の弾丸が装填されていたのだ。


 こ、この弾なら、再生は……。


「そうだな。銀の弾丸は、威力は弱いが再生にちょっとだけ時間がかかる。……でも、腕はもう一本あるんだよ」


 男の左腕が銃を掴む。人間とは思えない握力で、拳銃を奪い取る。


「再生するといっても、痛くないわけじゃない。だが、……処女の血を吸えば、おつりが来るさ」


 拳銃をもったままの左手一本で、女性警官を抱き寄せた。


「君は、オレの血肉になるだけでなく、オレの操り人形にしてやるよ。公都警察の中に手下がいると、いろいろと便利そうだ」


 あっ、あっ、あっ。


 逃げられない。ヴァンパイアの腕力のせいだけではない。真っ赤な目に見詰められ、身体に力がはいらない。まったく動かない。信じられないほど大きな牙が首筋に近づく。白い肌に触れる。





「まて!」


 ヴァンパイアの目の前、空から小さな影が降ってきた。それは、まったく音も無く着地する。


 なんだ?


 目をこらす。人? 黒髪の、……少女? ま、まさか魔導騎士? くそ、さっきの信号弾か!

 

「ヴァンパイアか……。このお子様幼女ボディの能力を試すには、格好の相手だな」



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