第026話 新しい朝が来た

 強制的にシャットダウンされた夢。

 現実世界に意識が戻り、その余韻が思考にもやを掛ける。

 暗がりの部屋に移る見慣れた天井が、これを現実だと思い込ませる。


(いま、何時だ……)


窓の外は少しだけ明るい。寝ぼけ眼をこすり時計を見れば、短針が「5」の位置にある。

 あれからまだ数時間しか経っていないのか、それとも丸一日以上経過したのか。


「喉乾いたな……」


もそもそとベッドから出れば、カズキは覚束ない足取りで立ち上がった。

 少しだけ眩暈がする。吐瀉物で汚したは床は綺麗に掃除されている。


(エル……)


薄闇に目が慣れ、カズキは恐る恐ると部屋の明かりを点けた。

 光に照らされる指先。見れば発疹が消えている。指だけではない。腕も首も足も、赤い発疹などまるで嘘のように元の綺麗な肌色へ戻っている。


 顔に触れるが異常はない。体は重く頭痛もあるが熱っぽさは無い。


『グル』


カズキの足元に、スカイライナーが長い尾を振ってすり寄った。

 甘え寄るその頭を撫でて暗い廊下に出ると、リビングに小さな明かりが見えた。エルグランディアがキッチンシンクを清掃している。


 廊下からキッチンを覗くだけで、一向にリビングへ入ろうとしないカズキの足元をスカイライナーがすり抜けた。


『グルゥ』

『あ、ライナちゃ――』


スカイライナーに呼ばれて振り返ると、エルグランディアは漸くとカズキに気付いた。


『坊ちゃま!』


手に持っていたスポンジも放り投げて、エルグランディアは駆け寄りカズキを抱きしめた。


『良かったです坊ちゃま! 本当に良かった!!』


疑似涙液を溢れさせる翡翠色の瞳。寄せられた桃色の頭をカズキは優しく撫でた。

 エルグランディアの指がカズキの頬に触れる。

 人工皮膚の冷たい感触が心地よい。


『坊ちゃま、少しやつれましたね。まだしんどいですか? お熱は下がってるみたいですけど、眩暈とか吐気はないですか?』

「ああ、大分良くなったよ。ありがとう、エル」

『全然問題ないです!! 坊ちゃまが無事ならエルはそれだけで嬉しいです!』


エルグランディアは屈託なく笑った。反してカズキは罰の悪そうな苦笑いで俯く。


「その……悪かったな、ワガママ言って」

『何言ってるですか坊ちゃま。坊ちゃまが元気で居てくれることはエルの願いなんですから。ちゃんと治ってくれて、ありがとうございます』

「エル……」

「それに、坊ちゃまのワガママさんは今に始まった事じゃないですからっ!!』


豊かな胸をさらに大きく反り返らせたエルグランディアに、カズキは「はは」と小さく笑って応えた。


『それより坊ちゃま、念のため今日は学校をお休みしてくださいね? ちゃんと完治するまではしっかり養生しないとですから。今度は坊ちゃまが約束を守る番ですよ!』

「はいはい」


いつもと変わらぬ調子のエルグランディアにカズキの心は少しだけ軽くなった。

 冷えた経口補水液を飲んで大人しく部屋に戻るとカズキは一瞬で眠りについた。


 再び目が覚めたとき、時刻は午前6時。予想以上に時間が経っていて、まるでタイムスリップしたような感覚に陥った。


 けれど寝起きの気怠さや「まだ眠っていたい」という欲求もない。

 気分は爽快で頭も冴えている。カズキは思い切りよく背筋を伸ばした。

 

 朝陽の差し込む爽やかなダイニングではエルグランディアが朝食の準備をしている。


『あっ、おはようございます坊ちゃま! 御気分はどうですか?』

「ああ。たくさん寝たからかな、普段より気分いいくらいだ」

『それはよかったです! すぐに朝ごはんの準備しますね! お粥さんとかのが良いです? おうどんとか、お雑炊とかも作れますけど』

「なんでもいいよ。とりあえず、腹減ったから沢山食いてーな」

『珍しいですね、坊ちゃまが朝から「お腹すいた」だなんて。でも分かりました! 飛びっきり美味しいのを作りますね!』


エルグランディアは嬉々として冷蔵庫の中身を物色し始めた。

 その間にカズキは風呂場へ向かいシャワーを浴びて歯を磨く。


「……ん?」


鏡に映る自分を見ると、寝込む前に比べて体が引き締まっている。やつれたというより、鍛え上げたような体躯だ。


「まあいいか」


学校指定のHARBEハーブスーツと白い制服を着てリビングへと戻ると、テーブルにはとても朝食とは思えない量の食事が並べられていた。


「いただきます!」


待ち切れないカズキは夢中で食べ始めた。

 途中で立花たちばな泉美イズミも起床する。切れ長の目を更に細め、長い髪を乱したまま眠たそうにテーブルに着いた。

 一言だけカズキの体調を伺うと、彼女は素気なく珈琲を啜った。


数人分の料理をたいらげたカズキは、満足そうに鞄を手に取った。


『坊ちゃま、もし途中でお腹空いたらこれ食べて下さい。鞄にお菓子を入れておきましたから』

「分かった。ありがと」


エルグランディアと泉美に見送られ、カズキは揚々と外に出た。


 降り注ぐ太陽の熱が、妙に心地よい。

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