第49話 チゾメノエンコード
俺は返すシャフトで、反対方向から迫って来ていた左手も粉砕。
手首から先を失った両の腕は恐ろしく緩慢な動きで、払いのけられるようにして
急ぎ頭頂部の石をめり込ませた地点へ。
断続的に響くカァーンという甲高い音──すなわち俺の元を目指しつつも頭蓋で
『
そんな力技だっていつかは、と言うかもう間もなくリミットが来る気配が濃厚だ。
音の間隔が長くなってきたり、音そのものが小さくなってきている気がする。
とにかくそんな風に手遅れになる前にネネちゃんを引き上げるための策としての、頭頂部への石ころのめり込ませだった。
到着した俺は、足元に埋まった石ころを自撮り棒で叩いて衝撃を与えた。
すぐにスマホのレンズを足元に向ける。
直後だった。
カァーンという音が響いて、埋まった石を中心にして、直径五〇センチほどの範囲に放射線状にいくつも亀裂が伸びていった。
そしてもう一度同じ音がして、
今度こそ、
一面の赤が花開いた。
更に拡大した亀裂が爆ぜ、瑠璃色を食い破るようにして鮮血が溢れ出てきたんだ。
「うぶわっ……ッ!!」
画面も目の前も真っ赤に染まり、下方からの高圧の噴射に全身を叩かれる。
それでも必死にレンズを向け続ける。
そんな中で確かに見た。
一面を染め上げる赤の中に一点だけ、異彩を放つ銀の輝きがあることに。
ネネちゃんの抜き身の剣の刀身だ。
「うおっ!!」
高速で迫ってくるその切っ先をすんでの所で避けた俺は、刀身の根本の辺りのネネちゃんの本体と思われる部分にしがみついた。
肉とか内臓めいた組織が絡まったりこびりついたりして
それが勢い余って飛んでったり落ちてったりしないように、全身を使って減速させる。
間欠泉の噴射時のように血が勢いよく噴き出しては降り注いでる中で、赤い
『ようだ』っていうのは、着地の瞬間に俺の手が離れてそのまま離れ離れになってしまったから。
全体的に
とにかくそれでも、ネネちゃんが出てきてくれたんだ!
現に赤いカーテンの向こうから、けほけほと女の子が咳き込む声が聞こえてきた。
「ネネちゃ───」
自身の体を起き上がらせるのもそこそこにして、声のする方向へカメラを向けたところで、俺のほうの限界が来てしまった。
石がめり込んだ頭頂部のほうへとカメラを切り替えた時から、見えざる鎧は俺から去っていた。
俺はとっくにあのボロボロの状態に戻っていたんだ。
それでも気力でなんとか保たせていたけど、どうやらここまでらしい。
「刀我くん!? 刀我くん!!」
一面の赤の中で、薄れ……ゆく、意識……。
でも……、カメ、ラだけは、なん……とか、ネネちゃん……の、ほうへ……。
────。
───。
──。
「──ッ!?」
意識が急速に引き上げられる。
どうやら回復が入ったようだ。
最後まで、ネネちゃんのほうへとカメラを向けていたのが奏功したか。
「よかった、刀我くん……っ!」
「ネネちゃん……」
間欠泉のように吹き上がっていた血潮は今はだいぶ治まっているらしく、周囲がはっきりと視認できた。
俺はネネちゃんに膝枕してもらっていた。
けど、ちょっと待てよ。
なんかネネちゃんの様子が、というか雰囲気がいつもと違わないか?
そりゃこの巨体の中を潜ってきたんだから、それ相応に全身が真っ赤に汚れていて傷ましい感じなんだけど、そういうイレギュラーさじゃない。
「んんっ!?」
「と、刀我くん!? そんないきなり起き出したりしたら体に障るよ!? あ、それともわたしの膝枕なんて嫌だった……? 一応全身にこびりついてた肉片とかはちゃんと取ったつもりだったんだけど、それでもこんなにぐっしょり汚れた格好でされたら嫌だったよね……」
「違うよ、そうじゃないって!」
俺は正座で正対してネネちゃんの顔を凝視した。
彼女は恥ずかしそうにしながら、
「ちょ、なにいきなりわたしのほうジロジロ見てくるの!? わたしの顔に何か付いてるっていうの!? もしかしてまだこの巨竜のお肉がこびり付いちゃってる!?」
「逆だよ、何もついてないんだ」
「えっ」
「ついてないんだよ、メガネが!!」
「あっ」
あれ!? ほんとだ!? と自分の目元の辺りをペタペタしながら驚いているネネちゃん。
けれどそんな事を気に留めている人間など、今この場に一人としていやしない。
論点となっているのはもっと別の事象。
極度の近視でメガネがなければ何も見えないような人物が、メガネを掛けていないことを他人から指摘されるまで全く気付かなかったという、いま目の前で起きているあり得ないような現実。
「もしかしてネネちゃん、目が……」
「うん、そうなの!」
驚愕の表情で辺りをキョロキョロ見回しながら、
「わたし、メガネがなくても遠くのものまでちゃんと見えてるの! 見えちゃってるの!! でも、なんで!? どうして!?」
「ちょっと目をよく見せて、……うん? これは……? 充血してる……、って訳でもなさそうだね。白目は白いままだ。そっか、虹彩が赤くなってるんだ。なんか元は黒かったネネちゃんの黒目が、今は赤くなっちゃってるんだよ」
「ええっ!?」
「自覚がないってことは、別に痛みがあるって訳じゃない? 視界が赤く染まってるなんてことも」
「ないない、そんなの一切ないよ! でもわたし、やっぱり目だけは見えるようになってる!」
「じゃあもしかすると、潜ってる間に竜の血に浸されてその色に染まって、しかもその竜の血には滋養とか強壮とかの効果があって視力が回復した、ってところじゃないかな」
「確かに、状況から照らし合わせた限りだと、刀我くんの言う通りになるかもだけど……」
「あと、髪の毛も赤くなってるし短くなってるよ。肩口の辺りからバッサリと」
「??????????????」
いよいよ混乱ここに極まれりって感じのネネちゃんは、居ても立ってもいられずといったようにして急いで自信のスマホを手に取った。
カメラ機能を鏡代わりにして覗き込んでいる表情は、困惑そのものだ。
「な、なんで髪の毛まで!? 一時的に血で汚れてるんじゃなくて、ほんとに真っ赤に染まっちゃってる!! 髪の長さも、三つ編みの編み始めのところから無くなっちゃってるし……。確かお下げが両方とも骨か何かに引っかかったような感じがしたけど、まさかその時に千切れて……って、何してるの刀我くん!?」
スマホ片手に目元をゴシゴシ擦ったり、髪の毛を引っ張るように何度も手で
俺は当然、臆面もなくこう答えた。
「なにって、撮ってるんだよ」
そう、俺はネネちゃんにカメラを向けていたんだ。
だってそうだろ?
素材の良さと上手くマッチングせずに本来の美貌を曇らせてしまっていた要因の数々が、ここに来て一気に反転した。
しかも強大極まる敵相手に身を
つまり今俺の目の前にあるのは、どこからどう見ても
これが撮らずにいられるかって話。
皆に見てもらわずにいられるかって話。
てことでテンション爆上がりの俺は嬉々としてネネちゃんにカメラを向けたんだ。
けれど一方で当の真っ赤なシンデレラは、何故だが嫌そうにして手で俺のカメラを
「ちょっとやめてよ! こんなビチョビチョでグチャグチャで汚くなってるところ、まじまじと撮らないでよ! 恥ずかしいよ!」
「汚くないって! むしろ全然綺麗だって! 凄い似合ってるって! 真紅の目も髪も、ミディアムボブ? ミディアムショートボブ? とにかくその髪型も!」
「そんなお洒落なのと違うよ! 単にお下げの結い始めで千切れちゃったってだけでしょ!? それに経緯! 竜の血が染み込んで赤く染まっちゃったっていうバイオレンスな経緯! 綺麗とかとはほど遠いから物騒だから!」
「物騒じゃないって! なんだろうな──」
上手く言語化できないけど、負のイメージの『赤』じゃないことは確かなんだ。
「とにかくっ! なっちゃったもんはしょうがないんだから撮られちゃいなよ! ほら手
「やだ! 退けない!」
「なんでさ! ネネちゃんだってイメチェンしたいって言ってたのに」
「あれは衣装を変えるって話でしょ!? 目や髪の色とか髪型を変えるつもりなんてなかったのに!」
「いやいやちょっとくらい顔周りが派手なほうが衣裳負けしなくて済むから、首から下のデザインの選べるバリエーションが増えていいことづくめなんだって! 今のネネちゃんなら着こなせない装備なんてないって!」
「そ、そう……?」
ネネちゃんは小さな顔の前でクロスさせてた両腕を恐る恐る下げながら、
「じゃあ例えば……、び、ビキニアーマー、とかも……?」
「ブフッ!? ビ、ビキイぃッ!?」
「ち、違うの!! 決してわたしが着たいって訳じゃなくて!! ネットの記事で女性冒険者に着て欲しい装備ランキングで一位になってたから、刀我くんもそういうのがいいのかなって……」
「おっ、おふおふんっ! そ、その手の記事は九割方ネタだからいちいち真に受けちゃ駄目だって!!」
まあネネちゃんなりに衣装を変える覚悟を決めた上で、色々頑張って情報収集に努めてたって感じか。
そんなピュアな彼女の衣装はおいおい考えるとして、
「とにかく撮らせてよーネネちゃん」
「もう……、ちょっとだけだよ」
という訳でウィニングムービー撮影会がスタート。
ぺたんこ女の子座りのネネちゃんの周りを中腰になりながら何回も回る。
恥ずかしそうな俯き加減の顔もしっかりアップで抜く。
髪だけじゃなく、眉毛や睫毛なんかも同じ真紅に染め上げられていることが鮮明に分かるくらいに。
そうやって、
「(ニヤニヤニヤニヤニヤニヤニヤニヤニヤニヤ)」
「……、」
俺はついつい顔がほころんで、多分めっちゃキモくなってたと思う。
一方でやっぱり終始恥ずかしそうにしていたネネちゃん。
俺が正面に来たタイミングで、それまで俯き気味だった顔を痺れを切らしたように上げる。
「もうっ! ちょっとだけって言ったでしょ!」
そして身を乗り出し、両手を俺のスマホに覆い被せてそのまま押し下げる。
けれども分かる。
そのやんわりとした
自然と俺も膝を着くような体勢になった。
ネネちゃんは両手で覆い被したスマホごと握り締めるように、俺の手を優しく包み込んできた。
「ありがとう刀我くん、わたしのことを待っててくれて。この場所を、守っててくれて」
「ネネちゃ──」
そのままギュッと俺に抱き付く。
超絶美少女からの突然のハグに、俺の思考はとっちらかりそうになった。
けれども直ぐにその柔らかさや温もりで実感させられる。
一歩間違えたら取り返しのつかないような
その尊さをただただ享受するように、俺も彼女を抱き締め返した。
「こっちこそ礼を言わせてよ。また俺の向けるレンズの前に来てくれて、ありがとうネネちゃん」
それ以外に何か言葉など、もう俺たちの間には必要なかった。
抱き合うことで、全てが精算されていく。
あえて言葉にするのなら、『これからも俺の向けるレンズの前にいてくれ』と『これからもわたしのことを撮って』といったところだろうか。
けれどもそれらの言葉すら
俺たちはどちらからともなく抱擁を少し緩め、互いに見つめ合った。
ネネちゃんがそっと目をつぶり、口元を気持ち前に出した。
俺もそれに応えるように、唇に唇を重ねようとして──全身を揺さぶるような極大の絶叫が響き渡った。
「「──ッ!!!?⁇」」
言うまでもなく巨竜の悲鳴だった。
俺もネネちゃんも、弾かれるように抱擁を解いてそれぞれの武器を手に取る。
「くっそ忘れてた! てかまだ生きてんのかよこの水差し野郎!!」
「体内を貫いても、それでも駄目なの!?」
「いや待ってネネちゃん、そう悲観する必要はないかも。この叫び方からして悲鳴じみてる。巨竜がくたばるまでそう遠くはないはずだ! 現にほら!」
言いつつ指差した先。
すっかり枯れた間欠泉の噴射口のように、瑠璃色の頭頂部にぽっかりと空いたマンホール大の穴の辺りに早速変化があった。
穴の周辺が酸化とか風化するみたいに土っぽい質感の黄土色に変色していき、さらにそれがじわじわと広がって瑠璃色を浸食しつつあったんだ。
俺が粉砕した両手のように何かきっかけを与えたらそのまま崩壊していきそうな、そんな撮れ高のニオイがぷんぷんしている。
「穴の縁に一発食らわせれば、おそらく一気にかたをつけられる。やろう、ネネちゃん! トドメを刺すんだ!」
「うん!」
──そして。
その輪郭はもちろん、俺の網膜には虹色の輝きで縁取られているように映っている。
彼女は逆手にして両手持ちした剣を振り上げ、そして勢い良く振り下ろした。
まるで登頂に成功した山の頂に、旗を突き立てるように。
直後、地上高約二〇〇メートル。
巨大な竜の頭部は、音を立てて崩れ出した。
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