やってみなければわからない

 鶴の一声というやつだった。


 当の母エルフだけが、一人満足げな顔をしてたたずんでいる。


 俺とハサミは呆気あっけにとられて只今絶賛フリーズ中。


 けれどもその静寂を、ハサミの絶叫が切り裂いた。


「お、おおおお、お母様ァアーッッッ!!!??? どうしてそうなってしまうんですのォオーッッッ!!!???」


 血相を変えて母エルフに詰め寄っていくハサミ。


 対するミルフィーユさんはキョトンとした表情で、


「あら? だって二人は付き合っていて、トウガくんは冒険者なんでしょ? ならそうするのが一番じゃない♪ お母さんが邪魔しちゃ悪いわよ☆」


 ミルフィーユさんは俺達の奸計かんけいにあえて乗ってきているようにも見えなければ、そもそも気づいてすらいない様子だ。


 二人が恋人同士だということを心の底から信じ切っている。


「待ってくださいましお母様! 彼は冒険者……かも知れませんがッ! そんないきなり──」

「じゃあやっぱり決まりじゃない♪ 恋人同士のほうが絶対いいわよ! それにここ一ヶ月ちょっと、すごいハイペースで動画を撮らされてお母さんもうヘトヘトなの。ちょっと休ませてほしいわ」

「そ、それはそうかもしれませんが……。で、ですがッ! そんなの認められませんわ! 次のクエストがどれだけ大事か、お母様だってご存じのはずですのに!」

「ええ、分かってるわ」

「じゃあどうして!?」

「その方がハサミちゃんのためになると思ったからよ」

「わたくしのため!? お母様以外の人に撮って貰うことが、わたくしのためだって言うんですの!? それも、大事なクエストを控えたこのタイミングで!?」


 娘エルフは母エルフとの距離を更に詰め、目線、仕草、声と、全てを総動員して訴えかける。


 対峙する超美人エルフ母娘。


 同じくらい高さの目線で、母エルフが優しく諭すように娘エルフの顔を覗き込む。


「ハサミちゃん、よく聞いてね。人間っていうのはね──あ、この場合の人間っていうのはヒューマンもエルフも他の亜人もみんな含めてって意味なんだけど。人っていうのはね、沢山の出会いを経験して成長していくものなのよ。自分ひとりでは成長できないのはもちろんだし、閉じられた環境の中にいて、そこが自分の全てだなんて思い込んでしまうことは、とてももったいないことなの」

「でも……、だからってこんなタイミングで! お母様以外の人に撮ってもらうなんて、絶対にうまくいきっこありませんわ!!」

「あら、そんなのじゃない。何事も経験よ、ハサミちゃん。大丈夫、きっとうまくいくわ!」

「そんな、なにを根拠にッ……!!」

「だって根拠もなにも、ハサミちゃんは何でも出来る自慢の娘ですもの!」


 そして母親は娘の右手を両手でぎゅと握り込んで胸の高さまで持ち上げると、懐かしむようにもいつくしむようにも見える表情で微笑んだ。


「お母さんもやってみなければわからないと思って、周囲の反対を押し切って森を飛び出したの。だからハサミちゃんが産まれたの。だからハサミちゃんが今こうして動画を投稿しているのよ。だから、お母さんなんかに出来た勇気を出してやってみるってことを、ハサミちゃんが出来ない訳がないじゃない」

「お母様……」


 ハサミはまだ納得していない様子。


「お母さん応援してるわ、頑張って! ね?」


 しかしミルフィーユは構わずにそう言うと、握っていたハサミの手を鼓舞するように二、三回握手の要領で振るったあと、その手をほどいた。


「はい、きまーり! それじゃああとは若い二人にまかせて、お母さんお昼ご飯の支度してくるわね」


 美人エルフ母娘のやり取りを、物凄い居づらい思いで見ていた俺の脇を通りぬけながらミルフィーユさんは、


「トウガくんもお昼食べていってね♪」

「えっ!? い、いえ俺は……」

「遠慮しないでいいのよ。それじゃあごゆっくり」


 パタン、と無情にも扉は閉じられた。


 部屋の中には、無言でうつむきながら立ち尽くすハサミと、その後ろ姿を気まずい思いで見つめるしか出来ないでいる俺の二人だけが取り残されてしまった。


 この時、俺にはチャンネル登録者数一〇〇万人の冒険者の背中が、今や世界の誰からも存在を認識されていないかのようなちっぽけなものに見えたような気がした。


 しかし、そうやっていつまでも何もしないでいるわけにもいかないので、とりあえずハサミに何かしらフォローの言葉でもかけようと、彼女のそばまで近づいていったんだが……。


 ガクンッ、と。


 突然ハサミはその場にしゃがみ込んでしまった。


 俺の足も止まってしまう。


「えぇッ!? あ、あの……ハサミ……さん?」


 恐る恐る声をかけるも何の反応もない。


 まるで殻を固く閉ざした貝のようにぴくりともしない。


 特にすすり泣くような音も聞こえず、ハサミはただただしゃがみ込んだまま静まり返って動かないのだった。


 放おっておいたらそのまま昏倒こんとうしてしまうのではないかという危うさでいながら、禁忌きんきを盾にされたかのように思えて近づけない。


 他人ごときである俺が踏み入ってはいけないような、なんだか次元の違うような静寂に行く手を阻まれている気がして、俺はそれ以上なにか声をかけるのをはばかられてしまった。


 仕方ないのでリビングの扉の前を行ったり来たりする。


 この撮影を受けようか受けまいか考えていたんだ。


 そう長くは経たずに、俺の考えは撮影をキャンセルする方向でまとまった。


 だから、ミルフィーユさんのもとへおもむいて断りを入れようと、扉に手をかけようとした。


 その時だった。


 突然、パーカーの背中のあたりを掴まれた。


「──ッ!? な、なんだハサミかよ……ビックリした〜……」


 忽然こつぜんと背後に現れていた彼女はうつむき気味で表情を詳しくうかがい知ることは出来ないが、ボソッと、


「番号を教えなさい」

「えっ」


 一転、顔を上げてキッと俺をにらみつける。


「聞こえなかったんですの!? 番号を教えなさいと言ったんですのよ!!」

「は、はいーっ!」


 その後、あれよあれよと言う間にその他の連絡先や名前などの個人情報なんかをハサミに徴収された。


 俺のスマホが、知らない番号を着信した。


「それがわたくしの番号ですわ。ちゃんと登録しておいてくださいまし!」

「あ、あの……これって?」

「いちいち言わないとわからないんですの!? 次のクエストは、仁後刀我! あなたに撮ってもらうことにしたんですのよ! ええ、し・か・た・な・く! ねっ!! お母様はああなったら聞く耳を持たないお人ですから、観念してあなたで妥協して差し上げると言ってるんですのよ!!」


 そして澄ましたように腕を組んでそっぽを向きつつ、


「ま、当然今回の撮影が終わりましたら全ての連絡先を削除してもらい、その後のお付き合いも一切断ってもらいますけど。せいぜいその時まで身を粉にして働くんですのね、ふんっ!」


 それでも得難えがたい経験には変わりなかった。


 俄然がぜんやる気が湧いてきた俺だった。

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