第43話 苦しまなかったはず

 デカい、というたった一つの記号。


 それだけで、ブレイクの街近郊の澄み渡る青空を、美しい山々の稜線を、豊穣なる大地を、ただひたすらにぶち犯す瑠璃色のクソッタレがそこにいた。


 全高約二〇〇メートルという俺の見立ては間違ってはいなかった。


 記憶の中にある物差し──東京の街並みの一角を占める超高層ビル群と照らし合わせても、全く引けをとっていない。


 そんな生物の枠組みから大きくかけ離れた存在に対して一〇〇メートルとない地点にいる俺の、さらに震源地寄り。


 巨竜の足元は五〇メートルほどの地点まで、ネネちゃんは駆け寄った。


 その手にした剣のつばの所には、スマホがくくり付けられている。


 剣や槍なんかの武器にスマホをドッキングさせて、即席の魔法の杖のようにして使うための専用アダプターによるものだ。


 片手でスマホを操作したネネちゃんは振り返ってうなづき、俺へ合図を送る。


 それに応じて頷き返した俺も、既に撮影の準備を終えていた。


 自撮り棒を最短に縮めて持ち手みたいにした先に、ショート動画用に縦置きで括り付けられたスマホのRECレックアイコンをタップする。


 巨竜の全貌を足元から頭部へ、そして折り返して再び足元へと一通り舐めるように画角に収めたのは、冒険者を撮影する裏方のクセか。


 再び画面の中央に据えられたネネちゃんは、両手に持ち直した剣の切っ先を真っ直ぐ巨竜の方へと向けた。


 その輪郭は、俺の網膜には虹色に輝いて映っている。


 直後、世界の改変が始まる。


 ネネちゃんのスマホが唸るように震え、それが掲げられた剣全体にまで伝播した。


 剣の先端を中心に、直径二メートルほどの真紅の魔法陣が出現。


 同時に、轟音と共に彼女の足元から紅蓮に燃え盛る炎の渦が巻き起こる。


 それはやがて人間の形をかたどってネネちゃんのそばに収束する。


 より一層燃え上がるように弾ける。


 中からネネちゃんと同じくらいの背丈の人影──ウィッチハットとローブを纏い、大きな杖を手にした一人の女性が現れた。


 有史以来最強の炎使いとうたわれる古のアークウィザードの、在りし日の姿を再現した立体的なビジョンだった。


 単なるマッチ一本ぶんの火の大きさしかない第一階位N(☆1)を、見えざる鎧・機神視点デウスフォーカスを使って強引に第五階位SSR(☆5)までクロックアップさせた成果だ。


 顕現した像は地面からわずかに浮くようにしてネネちゃんの側にピタッと寄り添うと、杖をネネちゃんの剣に沿わせるようにして掲げた。


 英霊が呼び出され、呼び出した者は主として英霊から付き従われる。


 スロマジが可能にした、恐れ多くも頼もしいことこの上ない構図はここに完成した。


 あとは主の言葉だけだ。


 時と空間を超えて英霊の耳に届き、その力を解き放つ号令ことばを、今──。


「『メイ・ミ──────グ』ッッッ!!!!!!」


 ネネちゃんが英霊の名を叫んだ直後、魔法陣から極太の炎の柱が水平方向に勢い良く射出された。


 五〇メートルほどの距離を瞬時に渡って巨竜の右足首へ到達したそれは爆発、炎上した。


 もう少しで放った当人であるネネちゃんも巻き込まれてしまいそうなほどの大爆発だった、が──。


「「──ッ!?」」


 爆炎の晴れた跡には、傷一つない瑠璃色の結晶に包まれた巨大な足首が依然としてそびえていた。


 アークウィザードのヴィジョンは霧散し、空気中の魔素まそへとかえっていく。


 地形を変えてしまうほどの破壊力を持った一撃を喰らって、瑠璃色の結晶は全くの無傷。


「嘘、そんな……」

「冗談、だろ……!?」


 そんな残酷な現実に一人取り残されたネネちゃんは、剣を掲げたままただ立ち尽くしてしまっている。


 俺はその姿をただカメラの中に収めることしか出来ないでいた。


 と、その時だった。


 巨竜の右足が動き出した。


 恐ろしく緩慢な動きで、埒外らちがいの一歩目を踏み出したんだ。


 俺とネネちゃんは急いで進路上から退避。


 地震レベルの揺れを何とか受け流しながら合流した俺たちに脇目もくれず、巨竜は街の方へ向けて二歩目を踏み出した。


 歩くという行為。


 それ以上でも以下でもないといったような淡々とした足取りかつ、気が遠くなりそうなほどの緩慢さで、ようやく二歩目の地響きが大地を揺るがした。


 全てが鱗で覆われ、目すらない頭部はじっと街の方へと向けられている。


 立ち止まるだなんて選択肢は持ち合わせていないとばかりに、三歩目が踏み出されていた。


 間違いなく、ブレイクの街が標的にされてしまっていた。


「あんなのが……、あんなデカくて魔法が効かないヤツが、ほんとにダンジョンなんかにいたってのか!?」

「ダンジョンはまだ解明されてないことが多いよ。あんなのがいても不思議じゃない。けど、まだ魔法が全然効かないって決まったわけでも、ないはずだよ刀我くん!」

「そ、そうだね……!」


 すぐに二発目の準備に取りかかる。


 巨竜を追い越して進路上に立ちはだかり、一発目と同じ構図。


 ただし次は水だ。


 英霊は神話に登場するとある神格級の人物。


 水平方向の大瀑布が竜の足首にクリーンヒットした。


 が、またしても無傷。


 その後も俺たちは巨竜の歩行をくぐりながら、あらゆる属性であらゆる狙撃箇所を試してみた。


 だが結果は全部同じだった。


 どの箇所の鱗にも傷ひとつ付けられない。


 瑠璃色の結晶のような装甲に全て阻まれてしまっていたんだ。


 全身隈なく、それこそ足の裏までびっしり生え揃ったあの瑠璃色の鱗に。


 このままじゃ埒が明かない。


 俺は一旦撮影する手を止めて、ネネちゃんの元まで駆け寄った。


「どうしよう刀我くん……、スロマジが、第五階位が全然効かない……」

「取りあえず今は安全な場所まで退こう。何か対策を取るにしても、他の街に応援を要請するにしても、まずは街のギルドまで連絡を入れて現状を報告したほうがいい」


 ということで、俺達はひとまず巨竜の進路外まで対比。


 そこで俺はスマホで街のギルドに伝話でんわを掛けたんだが、


「あれ、繋がらない……」

「……わたしも。って、待って! アンテナ自体が立ってない!?」

「ほんとだ! 魔力波が来てないのか!? ここら辺は余裕で圏内のはずなのに!」

「まさか、」


 とネネちゃんは青ざめながら巨竜の方を見やる。


「ダンジョンの固有種には、魔力波通信を妨害するようなジャミング体質を持った個体が確認されてる。その対象範囲は、体長一、二メートルの個体でさえダンジョン全域に及ぶって言われてる……」

「そんな……、じゃあもし仮にあの巨竜もジャミング体質を持っていて、ジャミング範囲も体長に比例してるなんてことになってたら……」

「……うん。わたしたちのスマホが繋がらないのは当然だし、もしかしたらブレイクの街でも通信障害が起きてるかもしれない」

「なんてこった……」


 まだ遥か遠くのほうに見えてる街だが、巨竜のデカさなら街からでも視認できるだろう。


 そこに通信障害が重なれば、混乱がより一層深まってもおかしくない。


 どうしても街の様子が気になった俺達は、ネネちゃんのエフェクト・見えざる目『人機圧縮マキナエンコード』で確認できないか試してみることにした。


 するとエフェクトは魔法とは別物らしく、ジャミングの効果を受けずに街までの距離を圧縮して『見る』ことができた。


 けれども案の定、


「刀我くんの言った通り、街も通信障害が置きてる。得体の知れない巨竜が迫ってるのにも皆気付いたみたいで、街全体が混乱しちゃってる!」

「クソッ、やっぱりか……ッ!!」


 とりあえず俺は、少しでも混乱を解消させるための一助になればと、ライドモードにしたゴールドに現在の状況を説明したメモを括り付けて街へと走らせた。


 残された俺たちは再び巨竜への攻撃を開始する。


 だが相変わらず、ヤツの鱗には傷一つ付けることができなかった。


「また、駄目……」

「クソッ!!」


 一体なんでだよ!!


 何でヤツにはスロマジが効かないんだ!!


 地下迷宮ダンジョンの天井をぶち抜く、すなわち地面に大穴を開けるほどの威力をもったスロマジだっての──


 んんッ!?


 俺は今、なんて考えた!?


 だって!?


 だから叫んでいた。


 俺より数十メートル先の巨竜の真正面で、もう何度目かもわからない『メイ・ミーグ』を放とうとしていたネネちゃんに。


「地面だネネちゃん!! ヤツじゃなく、ヤツが立っているすぐ下の地面を狙うんだ! 足場を崩せばヤツは止まる!!」

「──ッ!!」


 俺の声に振り向いたと同時、全てを理解したことがネネちゃんの顔に出ていた。


 再び前を向いた彼女は、俺の指示通りの箇所にエクスプロージョンを放った。


 


 きっと俺もネネちゃんも、ようやく打開策を見つけたって感じのノリに呑まれて後先なんて考えていられなかったんだと思う。


 だいたい、自分の身に置き換えて考えていればすぐにわかっていたはずだ。


 何気なく歩いている途中に、ちょっとしたみぞなりへこみなりに足を取られればどうなるか。


 当然、前につんのめる。


 それと同じことが、一〇〇倍のスケールで、目と鼻の先で起こっていた。


 巨大な歩調の周期で言ったら安全な地点にいたはずの俺。


 その上方に全長二、三〇メートルはある足の裏が、それまでの緩慢さが嘘のような勢いで迫って来ていた。


 が、突然のことで動けない。


 巨体がつんのめった時の衝撃が災いし、腰砕けになって地面に尻もちをついてしまっていたんだ。


 頭の中は真っ白に、だが目の前は黒一色で塗りつぶされていく。


 なんとかしなければという気持ちよりもは、苦しまずに一瞬がいいな、と思ってしまっていた。


「……、」


 黒が、


 触れる。

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