第40話 修羅場、そして決別

 俺は元の日常に戻ってきていた。


 ネネちゃんの動画を撮るという、ささやかだけどかけがいのない日常に。


 ただ一つ──


「……、」


 スマホの着信履歴が、ハサミからの不在着信で埋まっているという点を除けば。


「はあ……、どうしたもんか……」


 不在には、俺が意図的にしていた。


 どうしても出る気にはなれず、着信のたびに赤いアイコンをタップしていた。


 おかげでクエスト時、いちいち撮影を中断してスマホの画面をいじるのを取り繕うのが大変だった。


 それでもなんとか今日のクエストを終え、俺とネネちゃんは街のギルドまで戻って完了手続きを済ませたところだった。


 ネネちゃんは今、スロマジガチャを引きにちょっと席を外している。


 何を隠そう彼女、ギルドに来る度どころかクエストの行きと帰りで一回ずつは一〇連ガチャを引くようなガシャジャンキーだった。


 動画は全部剣技で撮ってるので理由は他にある。


 なんでも物心ついた頃の最初の将来の夢が『魔法使い』だったんだそうな。


 魔力がないってわかって諦めざるを得なかったその夢が、長年の時を経て最新魔導テクノロジーで手の届くところとなってしまったことで、こうなってるって訳だった。


 ただ如何いかんせん、ネネちゃんはどうにもガチャ運が悪いらしく、こんだけ引いといて未だにSSRが一つも出てないない。


 で、ギルド内の顔見知り達の間で呼ばれるようになっちゃったあだ名が『爆死ちゃん』。


 たぶん今もオーディエンスが沸いてないから、今回も汚名返上とはいってないみたいだ。


 なんにせよそんなネネちゃんを待つ間、俺はまたいつ襲来するかわからないハサミからの着信におびえながら、スマホの画面を眺めて溜息をついていたって訳だ。


 すると俺の脇を、冒険者の男二人組が何かヒソヒソと歩き話をしながら通り過ぎていく。


「(俺、実はあっちのほうでダンジョン見つけて……)」

「(マジかよ!? じゃあさっそく……)」


 ダンジョン……、か。


 回復術士の時のような機能停止後のダンジョン跡地じゃなくて、ちゃんと踏破されていないダンジョンでモンスターを倒す動画だったら、ネネちゃんも人気が出るのかな。


 そんなことを思いながら、スマホをポケットにしまった──その時だった。


「ちょっと刀我ッ!! やっぱりここにいたんですのねッ!?」


 はげしい声がギルド中に響き渡って、場の空気が一時騒然となる。


 耳朶じだを打った響きの聞き慣れた様に、あまつさえそのタイミングの悪さに、俺は金縛りにあったかのように硬直した。


 油の切れたおもちゃの人形のように。


 この上なくぎこちなく。


 恐る恐る、声のしたギルドの入り口のほうを振り向く。


 するとそこには、見知った深緑の外套がいとうで全身を覆いつつも、その下で修羅の形相をたたえているであろうハサミが仁王立ちしていた。


「は、ハサッ……!」


 あやうく彼女の名前を呼びそうになるもこらえる。


 もしその人がハサミだと知れたらギルド内が混乱してしまう。


 時間帯的に人数はそれほどではないが、ただでさえ大声を出して目立ってしまっていたので尚更だ。


 それにしても最悪だ!


 ハサミ当人が襲来しやがった!


 個人的にいま会いたくない人ランキング一位(二位と三位は言うまでもなくその両親)の、あのハサミだ!


 当人は衆目などお構いなしに、ズカズカと俺の元まで一直線に歩み寄ってきた。


「ば、馬鹿! 何でこんなとこに来てんだよ!? ここはお前の来るようなところじゃないだろ!」

「あなたが全然伝話に出ないから、こうして実際に会って問い質しに来たんじゃありませんのッ! 何で出ないんですのよッ!?」

「何でって……、そりゃ……」


 ハサミ一家との縁は切れたし、切ったつもりでいた俺だ。


「お前の動画はちゃんと撮った。俺の役目は、その一回きりで終わりのはずだ。だから出なかった……」

「なッ!? あなた、未だにそんなこと言って──」


 ハサミがより一層の剣幕で俺に詰め寄ろうとした時、


「あ、あの〜……」

「──ッ!?」

「……はい?」


 ガチャを引き終わって戻ってきたのであろうネネちゃんが不安げに、そして申し訳なさげに俺達に声を掛けてしまっていた。


 ほんのついさっき、ハサミに代わっていま会いたくない人ランキング一位になってしまったばかりのあのネネちゃんが、だ。


 一瞬だけど、『しまった』と顔に出てしまったと思う。


 けど俺は、すぐに何食わぬ顔をしてあさってのほうを向いた。


 ひとまずはネネちゃんとは他人を装うことにしたんだ。


 ネネちゃんの空気を読む力に懸けて、なんとかやりすごそうって魂胆こんたんだ。


 が、ハサミが反応してしまう。


「ちょっと何なんですのよアナタ⁉︎ いま取り込み中でしてよッ!! 見てわからないんですのッ!!!?」

「す、すみません! そうですよね、お邪魔でしたよね……。わたしはこれで退散しますんで……」

「……あら? あなた、冒険者のようですわね? それにたった今クエストを終えたふうな感じで……」


 退散するっつってんのに、ハサミはネネちゃんのことをしげしげと観察しはじめやがった。


 まずい!


 俺はハサミの気をこっちへ向けさせようとした。


 が、遅かった。


「ちょっと刀我ッ!!」


 ハサミはクワッと俺のほうに向き直り、


「あなたまさか、わたくしを差し置いてこの人の動画を撮ってたんじゃあないでしょうねッ⁉︎ だからわたくしの伝話にも出なかったっていう、そういうことじゃありませんわよねッ!?」

「は、はあぁっ!? いやお前なに言って……」


 誤魔化そうにも、


「「……、」」


 突き刺さる女の子の視線二つに、俺はもうさじを投げるしかなかった。


「まあ、そうだけど……」

「なッ──!?」


 ハサミは言葉を失ってしまったようだった。


 しかし開いた口が塞がらないのも束の間。


 すぐに唇を噛み締めてネネちゃんのほうに詰め寄ろうとする。


「ちょっ、待てって!」


 俺は慌てて制止しようとした。


 だがハサミはそれを振り切って、畏縮いしゅくしているネネちゃんの前にずいと正対した。


「ちょっとアナタ! 名前はなんて言いますのよッ!?」

「え、えっと、マキナネネと言います……」

「マキ……? チャンネル登録者数は何人なんですのよッ!?」

「えっと、その……十人、です……」

「な、何ですって!? たったの十人ですって!? そんなのわたくしのッ、……えぇと、えぇと……百万分の一くらいしかいないじゃありませんの!!」

「ええぇえっ!? 一千万人もいるんですかッ!?」


 すかさず二人の間に割り込む。


「そうなんだよネネちゃん! コイツ、一位ですら三百万なのに自分は一千万もいると思い込んでるかわいそうなヤツなんだ! だから気にしないで、ね!」

「え、えっと……」

「ちょっと刀我! 茶化してはぐらかそうとしないでくださいまし! だいたい何でわたくしじゃなくて、こんなチャンネル登録者数がたった十人しかいない人の動画撮ってるんですのよ!!」

「いや『こんな』とか『たった』とか言うなし! そりゃお前に比べればまだまだ全然少ないかもしれないけどなァ……ッ!!」

「わたくしに比べればって……、馬鹿にしないで下さいまし! わたくしはチャンネル登録者数一〇〇万人なんですのよッ!?」

「馬鹿っ! 個人が特定されるようなこと大声で言うなよ! こんな所で正体がバレたら、お前だって困るだろ!?」

「そんなのどうでもいいですわよッ!! なんで……ッ、何故なんですのよ!! なんでわたくしじゃなくてこの人なんですのよッ!?」


 とうとうハサミは俺の胸ぐらを掴んでまで訴えかけてきた。


 同時、それまでカウンターの中で眉をひそめてひそひそ話をしていた受付のおねえさん達の内の一人が、いよいよ見かねてといったふうに俺たちのほうに向かって歩き出した。


 ああ、こんな迷惑な行為は注意されて当然だ。


「おいハサッ……、とにかく今は場所を変えるぞ! それからもう一度ゆっくり話し合ってだな……」

「話し合ったところで、どうせあなたはわたくしじゃなくて、この人の動画を撮るんでございましょうッ!? こんな人の動画をッ!!」

「おま……ッ、いい加減にしろよッ!!」


 俺がいよいよ我慢ならなくなって、胸ぐらを掴んでいるハサミの腕を掴み返して引き剥がした、その時だった。


 勢い余って、ハサミのフードが脱げてしまった。


「なんで……ッ、どうしてなんですのよ……ッ!?」

「──ッ!?」


 ハサミは、心の底から悲しそうな顔をして、大粒の涙をこぼしていた。


「どうしてあなたまで、わたくしを一人にするんですのよ……ッ!?」


 そして彼女は俺の手を振りほどき、慌ててフードを被り直した。


 そのまま踵を返し、一目散にこの場から走り去る。


 それ以降、ハサミから着信が来ることはなかった。

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