第36話 この異世界を録画する

 かたさと冷たさは、依然としてそこにあった。


 また性懲しょうこりもなく吹き飛ばされてきた愚か者の体を、相変わらず塔の柱は無言で受け止めている。


機神視点デウスフォーカス』では絶対に、すなわち今の俺ではどうやったって国家騎士は倒せないと判明してからでさえ、嫌気が差すほどに繰り返された光景だった。


「ま、だだ……ッ」


 亡者のように立ち上がる。


 悪霊あくりょうに取りかれたかのように、また向かっていく。


「まだ、だあああァァァああああッ!!」

「くどい! そして見苦しい! いい加減私に倒されるのです!!」


 国家騎士の横薙ぎの一閃。


 吹き飛ばされた俺はまたしても中央の柱に叩きつけられ、地面に転がった。


 能力を超えて痛みが侵食してくる。


 どこの痛みがどんな経緯で出来たものなのかなんて、とうの昔にわからなくなっていた。


「ま、だ……、なんだ……ッ」


 黙ってやられるつもりはない俺は、とにかく勝機を見出そうと再び捨て身で立ち向かっていく。


 ヤツは今回も、自分からは仕掛けずにやや受けの体勢で俺を引きつけつつも、やはりふところには潜られたくないのか屠竜刀で吹き飛ばす、という形に徹した。


 おそらくヤツも連戦で消耗しているんだろう。


 そして何よりも、俺の硬さに手をこまねいていると見える。


 攻撃はショボいくせにしぶとさは底が見えない。


 そんな俺に自分から斬り込んでは、消耗に拍車が掛かって足元をすくわれかねないってところだろうな。


 俺の気の済むまで足掻あがかせて、(ヤツにとっては魔力で強化しているってことになっている)俺の魔力切れのタイミングを待って、そこで一気にケリをつける気満々でいやがる。


 スマホのバッテリー的な意味で言ったら、ヤツの見立ては完全に正鵠せいこくてる訳だが。


 だから、そんな時間という概念を味方につけてる側の余裕ってやつだろう。


 ヤツは俺の悪足掻きにはえて乗ってやっています的なすました感じで、


「どうですか撮影係? 一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくを徹底的に弾き返され、肉体的だけでなく精神的にも追い詰められている気分は」

「まだ、だ……ッ」

「ふっ、そうですか。では気が済むまでどうぞ。むしろあなたにはそうやって好きなだけ足掻いてもらったほうが都合がいいまである。何せその分だけ、陛下を愚弄ぐろうした罪人の身に罰を刻む機会に恵まれるという、国家騎士冥利みょうりに尽きる瞬間が増えるのですから!」


 そーかい。


 じゃあ俺も、テメェのご立派なお勤めにとことん付き合ってやるよ。


「まだ、だ……ッ」


 国家騎士は弾き返す。


「ま、だ……ッ!」


 往生際の悪い罪人を何度も何度も。


「ま……だ、だぁぁぁああああああああああああああッ!!」


 おのが愚かさと無力さを身をもって知れと言わんばかりに。


 そして。


「まだ──」


 ッズ、グッシャァァァアアンッッッ!!!!!! と。


 あいも変わらず柱へ向かって、けれど今回は今までで一番ではないかと思えるほどの威力で弾き飛ばされた俺は、今度こそ、その身を柱にめり込まされてしまった。


 しくも十字架へはりつけにされるような格好で。


 まるで磔刑たっけいによってその罪をつぐなえと言われているかのように。


「グッ……、ハアァッ!?」


 めり込んだ衝撃とともに吐血。


 全身を焼けるような痛みが駆け巡る。


 もう殆ど力も残ってない上に柱に深々とらえられてしまって、抜け出して再び立ち向かうこともかなわない。


 国家騎士が磔にされた俺の元へとやって来た。


 その場からでも屠竜刀の一突きで、俺の喉や心臓を貫けるような一足一刀の間合いにだ。


「気が済みましたか。冥土の土産に己が愚かさと無力さを知れてよかったですね。では、これで本当に最後です」


 屠竜刀を両手で水平に掲げ、俺の心臓を貫こうとする構え。


 死物狂いで藻掻もがいてでも脱出しなければ殺されるしかない俺は、最後の力を振り絞って──


 当然、理性や意識のほうも手放さざるを得ないような痛みが襲ってきた。




 直後の出来事だった。


 無数の亀裂が一瞬の内に走っていった。


 仁後にご刀我とうががめり込んでいた柱の全体は、それこそ最上部に至るまで、彼を中心とした放射線を描いて。


 同時。


 ゾワッ、と。


 ブワッ、と。


 ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ、と。


 柱が、いや、この塔全体が微細な蠕動ぜんどう運動でもって震え出した。


 まるで山の斜面一面に立ち並んだ杉林から、おしなべてスギ花粉が一斉に飛散する時のように。


 それはもはや、おぞましいまでの景色のうごめきになっていたのだ。


 亀裂によって剛性を失った柱から解放された刀我は床に転がった。


 一方のサーフィスは何が起こったのかわからないといった様子で、


「な、何です? 何が起こっているというのですッ!? まさか……倒壊ッ!? 馬鹿なッ! そのような前兆など……あっ、アアァッ──」


 直後、それまで柱の一部だったはずの巨大な瓦礫がれきかたまりが降ってきて、サーフィスを押し潰した。


 その後も砂塵さじんとともに大小様々な破片が無数に落ち出し、轟音と振動が巻き起こる。


 まさに国家騎士が残した言葉通りに、この塔が倒壊を始めていたのだ。


 一体何故このようなことが起こっているのか。


 この光景を見た者なら誰しもがそう疑問に思うだろう。


 だがここで一つ思い出して欲しい。


機神視点デウスフォーカス』のこんなルールを。



。』



 もし仮に、能力側にと認識させられるほどに深く深くめり込んでしまったとしたら。


 つまりは柱を、ひいてはそこから一繋ぎとなる建物全体を、自らの体の一部ということにしてしまえたら。


 そして、体の一部にしてしまえたタイミングを、今まさに倒壊が始まるというその一瞬前にぴたりと合わせることが出来たなら。


 建物全体からだはその蓄積した破損いたみを、『機神視点デウスフォーカス』のかかっている間だけ一時的にないものと出来るので、倒壊という形で迎えるはずだった物理的寿命を、自撮りをしている間だけ引きばすことが出来るのではないだろうか。


 それは崩壊するゼロコンマ何秒前という状態をまるで真空チルトパックしたかのような、そして手元のという動作スイッチ一つでその採れたて新鮮の物理的決壊をすぐにお出しするような、そんな起爆装置にこの塔全体が変貌したことを意味するのではないだろうか。


 あとは敵がとどめを刺しに柱に近づいて、すぐには脱出できない状況になった時にはじめて、


 そんな小数点の向こうにしかないような可能性を、刀我は現実のもとに再現した。


 それが、今ここにある全てこたえということだった。


 全くの無謀な大博打という訳ではなかった。


 勝算ならあった。


 在りし日のネネとの稽古の時だ。


 その時、刀我は自撮り棒を用いた組み手中に地面に特大の尻餅しりもちをついたのだが、起き上がる時に尻の周りに地面がクッション一枚分の大きさくらいでくっついて来てしまったことがあった。


 服や装備以外も身にまとえるとわかった瞬間だった。


 塔を倒壊させるほどの物理的エネルギーにもアテならあったと言える。


機神視点デウスフォーカス』の強化でガチガチに固められた自身の体という名の弾丸。


 それを結果的に、高速で何度も打ち出してくれたサーフィスというカタパルト。


 そして他の廃墟と同じようにちかけていたターゲット


 それらの条件が重なれば、この全高一〇〇メートルを超える巨大な建造物を倒壊させることも決して夢物語ではなくなってくる。


 さらに身をていしての柱とのコンタクトにより、その強度の減り具合なら文字通り肌で感じるところとなる。


 倒壊まであとどれくらいなのかの見極めも、極めて難しい話ではあるが絶対に無理とまでは言い切れなくなってくる。


 事実、その機が熟するまで『』と何度も射出されにたちむかって行った。


 こちらの思惑を気取られないように、あくまで無駄なあがきを続けているのを装って、適度に弾き飛ばされる先をバラけさせるように立ち回りながら、それでもやはり節目節目の強烈な一発は柱の方向へと向かってらうようにして。


 サーフィス側が壁を壊して刀我を逃してしまうことをケアしてか、おのずと柱方向に集中して吹き飛ばしていたのも、結果として策が成るための片棒を担ぐことになっていたのかもしれない。


 そして最後の最後、極限状態で塔の倒壊と柱へのめり込みを一致させた。


 そうやって針の穴に糸を通した。


 忠誠を誓ったハサミのために、絶対に成し得てみせるという確固たる信念のもとに。


 特殊極まる『機神視点デウスフォーカス』の仕様を逆手に取り。


 自らの体を張り抜き。


 その命すらおとりとしてちらつかせて。


 絶対に倒せないはずの強敵相手に、ついに結実させた起死回生の一手。


 だがそもそも起死回うたうならば、最大にして最後のピースがまだはめられていない。


 きる。


 すなわちもう一度自撮りをして、降り注ぐ瓦礫がれきの圧力に耐え忍ぶ。


 何故ならこんな満身創痍まんしんそういでさしたる防具も身につけていない生身の体など、国家騎士を押し潰した塊の半分にも満たない大きさの瓦礫でも、トマトのように簡単に潰されてしまうのだから。


 そう、満身創痍──


「あがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!???」


 悲痛な叫び。


 それを一瞬にして鉄の味が濁流となって押し退け、体じゅうからも内側から無数のひびが入るようにして赤黒い血が溢れ出た。


 自撮りを手放した代償として、それまでキャンセルされていた痛みはかいが一気にその身に雪崩なだれ込んできたのだ。


 いっそ意識がカケラでも残ってしまっていることが、この上ないくらいの不幸でしかないほどに。


機神視点デウスフォーカス』の特性上、能力が発動中に受けたダメージは発動前に受けたダメージ諸共もろともその間だけないものとされるが、それはあくまで仮置きに過ぎない。


 ダメージの存在自体は世界から消滅する訳ではない。


 能力によって保留扱いにされていたあらゆる苦痛は、能力の解除と同時に本来こうむるはずだった対象者のもとへと一気に流れ込んでくる。


 でなければ塔の崩壊という物理的寿命を操作してのこの作戦も成立していないことになる。


 だが実際に成立している。


 すなわち塔が倒壊するほどの運動エネルギーを仲介した刀我にも、仲介したエネルギーそのものと、更には塔側からのそれ相応の反作用のエネルギーがダメージとして蓄積されていることを意味している。


 それ以外にも、柱へ当たらずにただ単純にサーフィスに吹き飛ばされるなどした時のダメージも、プラスアルファで彼には課されていた。


 それらの負債は、能力発動中に何らかの回復行為を行えばある程度取り除くことが可能だった。


 だが彼にそのようなことをしているヒマなどなかった。


 つまりは今現在に至るまでのあらゆるダメージ全てが、一切の軽減措置そちのないままにきっちり耳を揃えて支払わされるような形で、刀我の体に流れ込んで来ているということだった。


 そんなものに一気にせきを切って流れ込まれてきたらどうなるかなど、もはや言うまでもないだろう。


「うぐううううゥゥゥゥあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!???」


 地獄の底で痛みにのたうつだけのちっぽけな存在が、一つ。


 全身の神経が焼き切れてしまうような、それ以前にショック死してしまっても何もおかしくはないような、埒外らちがいの痛覚にただひたすら蹂躙じゅうりんされ続けるだけの、救いようのない地獄の底で。


 ある程度の痛みのぶり返しなら覚悟はしていたはずなのに、それを容易たやすく超えてくる狂気じみた落とし前は、容赦なく己の全身をむしばんでくる。


 気が触れ、発狂し、物狂いへと至る片道切符は確かに切られた。


 廃人という終点に到着する前に助かるためには、いっそ瓦礫に潰されてしまうという身も蓋もない選択肢以外では、やはりスマホに辿り着くという方法ただ一択。


 自撮りさえ出来れば、再び痛みは一時的ながらもキャンセルされ、降り注ぐ瓦礫をなんとか耐え忍ぶ強度も与えてもらえる。


 だがスマホは無情にも地面に放り出されたまま。


 塔がそうなった(又は今そうなっている)ように、自撮り棒は粉々に砕け散っていて、その分なおさらスマホまでは遠くなってしまっていた。


 その距離、およそ一メートル。


 たかが一メートル。


 されど一メートル。


 痛みの坩堝るつぼに放り込まれたその体はとうの昔に随意ずいいのままに動くことを忘れ、出鱈目でたらめで発狂じみた動きを繰り返すだけ。


 そんな状態の刀我には、一メートルは無限にも等しい距離だ。


 いっそ潰してもらうのがまだ利口というもの。


 下手にもがいて苦痛を長引かせるよりも、ただ状況に任せて瓦礫に押し潰されれば一刻も早く楽になれる──


 少年はわずかに残る理性や意識を最大限に奮わせて、スマホへと辿り着こうとしていた。


 仮に生き抜いたとしても、人をひとり瓦礫の下敷きにさせて殺してしまったという罪を背負い続けなければいけないというのに。


 少年はあらがってしまっていた。


 抗って、必死に生きようとしていた。


 鬼の形相ぎょうそうで、スマホへと手を伸ばそうとしていた。


 このまま死んでしまっては、そむいてしまうことになると思ったからだ。


 ハサミに、そしてミルフィーユに。


 例え仮初かりそめでも良くしてくれた彼女たちに、自身の両親たちへ不本意ではあるがしてしまったような不義理は働きたくない。


 動画は撮れなくなってしまったが、せめて彼女たちに後味が悪い思いはさせたくないという一心が、痛みにのたうつ体にベクトルを与えていた。


 地べたをいずってでもスマホへと辿り着こうとするベクトルを。


「お──」


 痛みに蹂躙じゅうりんされるだけの弱者はもういない。


「お、れ──」


 それは、痛みをかてに変えて生き抜こうとする一匹の手負いの獣。


「おれ、は──」


 激しく降りしきる瓦礫の雨は、確実に生存領域をせばめに来ている。


 だがその手とて、スマホまであとわずかのところまで来ている。


「お、お、俺、はああああァァァァあああああああああああああああッ!!」


 世界のピントを人一人分ずらす。


 死で埋め尽くされることが確定している、この世界のピントを。


「俺はッ、この異世界を録画するッッッ!!!!!!」

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