第35話 絶体絶命

 巨大な二対の赤い輝きは最高潮に達する事はなかった。


 放物線を描いて地面に落下した頭部の後を追うように、巨躯きょくがゆっくりと崩折くずおれていく。


 鮮血の飛沫しぶきと鉄錆の匂いが充満する中で、瞳孔から光が消えたドラコ・ピアサラスと目があった。


 俺の頭の中は、真っ白になっていた。


 皮肉なもんだ。


 ピアサを生きながらえさせようとする者と手に掛けようとする者が、見事に逆転してしまっただなんて。


「やって……くれましたね……、ハサミ・ミラージュの撮影者。この私を、ピアサを狩らざるを得ない状況に追い込むとは」

「くっ……、」


 くつくつと、半ばやけくそ気味な笑みを国家騎士は浮かべていた。


 けどな、そうじゃなかったんだって!


 なんでこうなっちまうんだよ!?


 あとちょっとで現状ベストと思われる折衷案せっちゅうあんを提示できたってのに。


 おかげでこっちの動画撮影はパーで、アンタのほうも計画が台無しになってるじゃねーか!


 ハサミとピアサ。


 強敵を立て続けに相手しただけあって少し憔悴しょうすいしてるっぽいんだから、そのまま苦戦しててくれよ頼むから!


「撮影係、どうやらあなたのことを見くびっていたようですね。精霊を使役している上にこんなテイムの腕もあるとは。一体どうやって手懐てなづけたのですか。しかもこんな短時間で。Sランク以上のドラゴンを飼いならしてしまうテイマーなど、うちのギルドにだっていないというのに」

「それなんだが──」


 そうだ。


 この場を収集させるためにやるべきことは、まだ残されてる。


「俺のテイムの技術をアンタらに開示する。素材探しやら貢物みつぎもの探しにも協力する。だからせめてハサミのことは見逃して欲しい」

「ほう……、ふむ……」


 国家騎士は空いている方の手を顎に当てて逡巡しゅんじゅんした。


「なるほど、それは妙案ですね。あなたを持ち帰れば、私はこの失態の埋め合わせをできるかもしれない」

「だろ!? だから!」

「ですが答えはノーです。何故なら、あなたはここで始末されなくてはいけないのですから」

「なっ、なんでそうなるんだよ!?」

「この鎧を見てわかりませんか!? 汚されているのですよ! あなたがテイムして私に向かわせた、ピアサの血でね!!」


 ヤツの表情から自嘲じちょうめいた笑みは消え、憤怒ふんぬ一色となった。


「それにかぶともあのメスエルフに割られてしまっている! よろいへの冒涜ぼうとくは陛下への冒涜! それを見過ごすことなど、至高の御方に忠誠を誓う身として断じて出来ません! よってあなたとハサミ・ミラージュは、今日ここで私が成敗させていただきます!!」

「そ、そーかよ……」


 俺は悟った。


 この陛下大好き野郎には、もう何を言っても無駄だと。


 だから自撮り棒のシャフトを最大に伸長させ、フェイスカメラに切り替えていた。


「じゃあお前は一生、家に引きこもって鎧でも眺めてろやッッッ!!!!!!」


 自撮り棒を振りかざして駆け出す。


 国家騎士も呼応するように屠竜刀とりゅうとうひるがえして構えを取った。


 それぞれの武器が激しくぶつかりあう。


 当然こっちが吹き飛ばされるがすぐさま受け身を取る。


 再びヤツに向かっていく。


 長大な屠竜刀が横薙ぎで襲いかかり、またしても俺は吹き飛ばされた。


 自撮り棒のシャフトでなんとか攻撃を受け流してはいたが、やはり能力を超えて衝撃が伝わる。


 同じように何回か転がって受け身をとったが、今度は起き上がろうとする俺の直ぐ側までヤツは詰めていた。


「お覚悟を」


 大上段からの一閃をすんでのところで横に飛んで回避した俺は、体勢を立て直して逃走を開始。


 国家騎士も追って来た。


 三十六計逃げるに如かず!


 とりあえずけそうな場所ならどこでもいい!


 そんな一心で走りながら視線を巡らせていると、廃墟の街並みの中から一際抜きん出ている巨大な塔が目に入った。


 すがるような思いでそこを目指す。


 それはいわゆる西洋風の鐘楼しょうろうという、鐘を鳴らすための石造りの建造物だった。


 ピサの斜塔しゃとうをちゃんと真っ直ぐにした感じ。


 外見はやはりそれなりにちてはいるが。


 にしても、ピサの斜塔よりもかなりデカいよな?


 ピサのそれを生で見たわけじゃなく、ウィキペディアにある観光客が写り込んでいる画像で見ただけだが、人間との対比でイメージできるピサのサイズ感の、ざっと二倍はありそうだった。


 もしかして、全高一〇〇メートルくらいあるんじゃないか?


 何にせよデカいに越したことはない。


 それだけヤツを撒くために使える入り組んだ区画が、たくさんある訳だしな。


 ──だから。


 その建物の中に入って。


 屋内の暗さに目が順応するまでの間にかなり進んでしまって。


 愕然がくぜんとした。


 そこは、塔の内側がそっくりそのまま吹き抜けになったかのような、たった一つの広大な空間だったからだ。


「しまっ───」


 急ぎ引き返そうと反転した時には既に、ヤツもこの場に一歩足を踏み入れていた。


 切れ長の目で睥睨へいげいし、今の状況を理解したことが顔に出た。


 こんな設計をした大マヌケを褒め称え、その罠にハマったもう一人のマヌケを嘲弄ちょうろうするような、歪んだ笑みだ。


「く……ッ!!」


 ここ設計したヤツ!


 建築基準法って知ってたか!?


 俺だって全然知らねえけど、そんな俺でも一発でおかしいってわかるくらいのレベルだぞ!


 なんだよ直径四〇メートルほどの円形空間の中心に、直径一〇メートルくらいの巨大な柱が一本ドーンってあって、あとは壁だけって!?


 ……いや。


 違う。


 マヌケは俺一人だ。


 


 高い位置にかねさえ設置できればそれでいいんだ。


 ビルみたいに何層かのフロアに別れた、二十一世紀の現代建築的感覚でいた俺が間違っていたんだ。


 それでも逃げ道はないかと懸命に確認する。


 一応補強のためか、柱から壁に向かって放射線状に無数のはりが渡されているけど、それは建物の三分の一くらいより上以降。


 窓も中層から上にしかない。


 上へ向かう階段は壁沿いに螺旋らせん状に伸びてはいたが、肝心な最初の登り始めの数十段くらいまでが崩れ去ってしまっていた。


 階段としての機能を果たしている一番低いところは、少なくとも一軒家の屋根より高いような位置にある。


 出入口は、俺が入ってきたところ一つしかない。


 それもたった今、


「墓穴を掘りましたね、撮影係」


 ヤツに塞がれちまった。


 入口の両脇に建てられていた、人間の二倍くらいのスケールの宗教チックな彫像。


 それらの根本を屠竜刀でぶっ壊して薙ぎ倒し、それぞれが折り重なって出入り口を塞ぐ格好のバリケードみたいにしやがったんだ。


 ……ヤバい。


 ヤバいヤバいヤバい!!


 何もかもが御破算になってしまった。


 焦燥感で心臓が破裂してしまいそうだった。


 破裂までいかなくても、自分の鼓動で自分の頭が揺すられてクラクラするような感覚が絶えず襲ってきた。


「さあ、観念して私に倒されるのです!」

「くっ……、そがぁぁぁぁぁああああああああああッ!!」


 精一杯虚勢を張った。


 そして、窮鼠きゅうそは猫を──。


 ──めなかった。


「グハァ……ッ!」

「どうしました撮影係! もう終わりですか!?」


 立ち向かったまではいい。


 だが圧倒的な実力差と、一向に攻撃時にやる気を出してくれない『機神視点デウスフォーカス』。


 ねずみの牙はついぞサーフィスねこに届かないまま、この身は能力の加護を超えてなぶられ続け、徐々に満身創痍まんしんそういへと近づいていった。


「くっ、そがああッ!!」


 もう何度目かわからない捨て身の特攻に踏み切る。


 だがそれも、


「甘い!」


 長大な屠竜刀にたやすく弾き返されてしまった。


 少し間合いをとって息を整える。


「く……、クソッ!!」


 なんでだ!!


 なんで俺はコイツを吹っ飛ばせない!?


 なんでゴブリンは吹き飛ばせて、コイツは吹き飛ばせないんだよ!?


 目の前の国家騎士だけじゃねえ。


 敵味方を一旦置いておけば、ネネちゃんも、あの回復術士への初撃も、『機神視点デウスフォーカス』はそっぽを向いていた。


 けれど。


 そこで、不意に。


 底冷えがするような寒気とともに。


 俺は気付いてしまった。


 ゴブリンとそれ以外──ネネちゃん、国家騎士、回復術士と分けた時、嫌でも見えてくるものがあることに。


 ゴブリンとゴブリン以外の違いは一体何だ?


 そうだ。


 使だ。


 モンスターか人間かの違いじゃない。


 その条件ならピアサも問答無用で吹っ飛ばしていなければならないが、現実はそうはなっていない。


 極めつけは回復術士だ。


 やつとは立ち会いの初手は引き分けたが、油断させた後の頭突きは効いた。


 総括して、能力がした。


 つまり、やつこそが能力無しで俺が倒せるかどうかのボーダーラインにして、この仮説を証明してしまう動かぬ証拠という訳だ。


 両者とも仮に異能なしのステゴロでぶつかり合えば、たぶん俺は勝てない。


 けど、回復術士が油断したり隙きを見せたり、とにかく騙し討ちが決まれば、俺は勝てるかもしれないし、実際勝てた。


 あの場面では能力があろうがなかろうが、結果はそんなに違わなかったはずだ。


 頭突きの衝撃が俺に返ってくるか来ないかくらいの違いしかなかっただろうし。


 そしてゴブリンに至っては言わずもがな。


 素のゴブリンとの一対一のタイマンにおいて、勝てるか勝てないかで言ったら、んだから。


 圧倒的かギリギリかに関係なく、たとえ一ミリでも能力無しで勝てるのならば、見えざる鎧はその相手を完膚かんぷなきまでに宿主から断絶する。


 だが一度ひとたび、能力がその相手のことを、能力なしの素の宿主より上手うわてだと判断したら最後──。


 そこに悠久の時を鍛錬に捧げても縮まらない実力差があろうが、薄皮一枚隔てて実力が肉薄していようが、関係なく一律に、見えざる鎧は宿主を守りはすれど相手を断絶することまではしてくれない。


 忖度そんたくも、斟酌しんしゃくも、人情も、慈悲も、融通も、何もかもあったもんじゃない。


 ただドライに淡々と、0か1でしか結果を出力してくれない。


 杓子定規しゃくしじょうぎの名のもとでしか傾かない裁きの天秤てんびん


 それが、『機神視点デウスフォーカス』という能力エフェクトなんだ。


「なんだよ、わかっちまったら……、至極簡単なことじゃねえかよ……」

「?」


 力が抜けていった。


 この身に宿された祝福のろい以外の、ありとあらゆるものが俺の体から抜け落ちていくような気がした。


「俺は……お前に……絶対、勝てない……」

「──ッ!? ……くっ、くくくっ、くははははははははははははははッ!!」


 国家騎士は笑いをこらえるのもやっとといった様子で、


「そんな当然のこと、今になってようやく気付いたのですか!? それとも新手の命乞いか何かだとでも!? 何にせよ、あわれで愚かな人だ! 今更何をやったって、あなたは私に殺されるというのに!!」


 やつはそう言うと一気に間合いを詰め、失意の棒立ち状態にある俺を一息に斬り捨てた。


 衝撃で吹き飛ばされ、床を転がる。


 激痛が体を貫いている。


 だが、がら空きで斬られたはずの胴体からは、一滴の血も出てはいない。


 なぜなら、俺はまだ自撮り棒は握り締めていたからだ。


「ああ、のパーカーは防刃繊維で編まれていましたっけね。いや、それにしてもそこまで傷が浅いのは流石におかしい……。そうですか、このに及んでまだ魔力で肉体を強化して防御をとるなどという悪あがきを」

「あ、ああ……。そう、だ……。俺は、お前には絶対……勝てないが、悪あがきは……させてもらう……。最後の……、最後まで、だ……」

「ほう?」


 能力を食い破って襲ってくる痛みに耐えながら立ち上がる。


 そして構えを取る。


 そう、何故ならば俺もまた、主に忠誠を誓った一人の騎士。


 やつに絶対勝てないとしても、ハサミを母親のもとへ生きて返さなければ、俺はでハサミのお父さんに顔向けできないッ!!


「うおおおおォォォォああああああああああああああああああああッッッ!!!!!!」


 獅子吼ししくを振り絞り、ありったけの力で床を蹴って突撃する。

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