第三章 この異世界を録画する

クエスト本番

 悲鳴のようにも聞こえるけたたましい鳴き声が木霊こだました。


 全高十メートルを超す巨体は、廃墟はいきょをなぎ倒してのたうっている。


 追い立てるように矢が数本、異形の体躯たいくに突き刺さった。


 うろこの隙間を突いたり、鱗に覆われていないわしのような足を穿うがったりと、その全てが正確無比な狙いのもとに命中していた。


 腰まで届くような金髪ツインテールをたなびかせ、緑のマントの下は緑を基調とした革製のレオタード一枚に要所や四肢を革製の軽装備で固めただけのエルフの少女──ハサミ・ミラージュだ。


 彼女の弓術の前に、異形の竜ドラコ・ピアサラス──通称ピアサが刻一刻と追い詰められていく。


 あぁ、そうだ。


 ハサミはハサミだった。


 動画で見た、あの強くて優雅なハサミ・ミラージュそのものだ。


 俺の心配なんて、全くの杞憂きゆうだったんだ。


 ここは迷いの森に隣接する山岳地帯を越えて、さらに北西にしばらく進んだ所にある別の山岳地帯──そこに位置するとある廃虚街。


 かつて魔法鉱石だかなんだかの採掘で栄えたちょっとした鉱山都市らしいが、それを採り尽くして一気にゴーストタウン化。


 人々が去って久しかったところに、ピアサがみ着いてしまったとのことだった。


 ふもとにある集落に被害が出ていたが、ピアサほどの強敵を討伐するのに見合った高額の報奨金が工面できずにギルドへの依頼は断念された。


 そこで裏クエストという正規外のルートでのクエストとして、今回の討伐はハサミの元へと回ってきた訳だ。


 ハサミは裏クエストの中でも、今回のように金銭面的に裏ルートへ流さざるを得ないようなクエスト──いわゆる義勇ぎゆう系を専門としている。


 元々相場に満たない依頼額がいくつもの仲介業者にピンハネされまくった結果、冒険者の手元に来る頃にはボランティア案件もいいところ。


 だが討伐経費を動画投稿の収益で軽くペイしておつりが来まくるハサミのような、チャンネル登録者数ランキング上位陣にとっては強敵キャスティングのための心強い味方になるので、ある種win-winの関係が成立しているそうな。


 ハサミを始め上位陣のアーカイブがことごとく強敵で埋め尽くされていたのは、こういうからくりだった。


 ちなみにこの地まで来るのにも、ちょっとした裏技のようなモノを使っていた。


 エルフのコミュニティが運営する移動手段でひとっ飛び。


 ゴールドを使った陸路でも二、三日はかかるであろうところを、今朝九時前に出たのに昼過ぎにはもうこうしてピアサを追い詰めていた。


 ちなみついでにもう一つ。


 この時、と言うよりも最初からハサミに『機神視点デウスフォーカス』はかかっていなかった。


 理由はよくわからない。


 おそらく『機神視点デウスフォーカス』は画面の中に少しでも映り込んだ者に自動的にかかる、という訳でもないってことか。


 てかむしろ、かからないほうがいいまである。


 そのほうが今までの彼女のアーカイブと同様に、ハサミの本当の実力が動画に残されるということになるからな。


 ま、仮に『機神視点デウスフォーカス』がかかっても、彼女の実力が望まれず増幅させられるってことにはどの道ならないだろうけど。


 なんせ矢のように被写体から離れたものは、おそらくは離れた瞬間に体の一部と見なされなくなるからだろう、『機神視点デウスフォーカス』の効果から外れるということが事前の検証でわかっていたからだ。


 だから、弓術使いであるハサミに仮に『機神視点デウスフォーカス』がかかっても、その攻撃手段たる矢は放たれた瞬間に本来あるべきベクトルと軌道でしか標的には向かっていかない。


 結果としてハサミが弓術で戦う限り、彼女の実力通りの動画しか撮れないという訳だった。


 つまりこれは一〇〇パーセント、ハサミの実力。


 そんな当人は声を張る。


刀我とうがっ! わかってますわね!?」

「あぁ、任せろ!」


 自撮り棒を最短に縮めて持ち手のようにして装着したスマホ──それでハサミの勇姿を録画していた俺も、彼女の呼びかけに応じてベストポジションへと移動する。


 地をって逃げ惑っているピアサ。


 その進行方向へ先回りするように移動したハサミ。


 それらをハサミ側から一直線に結んだ構図として画角に収められるその場所は、さながら戦いの終局図を俯瞰ふかんできるよう。


 そう、つまりはフィニッシュだ。


 異形の象徴とも言える巨大な人面がまるで本当の人間がするような苦痛に歪んだ表情をしながら、命からがら逃げ延びようとしているその真正面で、ハサミは矢を弓につがえた。


 狙いは十中八九、ピアサの赤く輝く鹿のような巨大な二対の角の中央への、ヘッドショット。


 双方親子二代に渡る因縁に決着を着けるというハサミの悲願達成まで、その矢尻から指を離す、だけだった。


 だけだったのに――



 ズッッガーンッッッ!!!!!! と。



 大地を揺さぶるほどの急転直下の黒い一閃が、ハサミからわずか数センチメートルれたくらいの位置に着弾した。


 正確には、異変に気づいた俺がハサミをかばうように咄嗟とっさに彼女に飛びついて退かした結果、彼女がほんの一瞬前まで立っていたはずの地面ということになった、まさにその場所にだ。


 俺が飛びついた勢いよりもはるかに強い力──黒い一閃が着弾した衝撃の余波でもって、ハサミともども実に十メートルほどもの距離を吹き飛ばされた。


 俺がそうしていなかったらどうなっていたか、もはや考えるまでもない。


「くそっ……、無事か? ハサミ……」

「ちょ、ちょっと刀我ッ!? いきなり何すんですのよッ!? あと一発のところだったんですの──えぇっ!? な、何なんですの一体これはッ!?」


 ハサミも異常事態に気付いたらしい。


 地面に投げ出された俺たちの視線の先、衝撃による土煙が次第に晴れていき、この戦慄せんりつをもたらした元凶の正体が明かされていく。


 黒い全身甲冑に身を包んだ一人の人物。


 三メートル四方もの広範囲でひしゃげた地面の中央で、刃渡りだけで二メートル近くはあろうかという幅広の大剣を、たった今地面から引き上げて肩に担いだそいつは、俺たちを睥睨へいげいするようにしていた。


 しかもただの全身甲冑じゃない。


 洗練され尽くした流線型のフォルムは、竜のうろこや牙や爪を模したような意匠が細部に渡って施された超一級品。


 かぶとも竜の頭部をイメージした造形で、角のような飾りに上顎うわあごに見立てられた目庇まびさしと、材質的な堅牢さに視覚的威圧感を上乗せする。


 面頬めんぼおはさながら鋭く生え揃う牙のようで、その奥にいるはずの人類はまるで竜の化身ではないかという錯覚さえ抱かせる。


 まさに擬人化。


 竜の生き写し。


 異貌のものどもモンスターの頂点に君臨する種族の持つ強さも凄みも威厳も、そのことごとくを人の身でありながら背負って戦うとでもわんばかりの装備に身を包んだ、傲岸ごうがんの権化がそこにいた。


 数瞬前までハサミが立っていたはずの廃墟街の通りをグチャグチャにして。


 それはもはや、殺意の証明以外の何物でもない。


 装備に逆に着られることも武器に振り回されることもない泰然自若とした所作から、鎧の中の人物に屈強なイメージが嫌でもついて回る。


 さらにこの急襲の卑劣ひれつさから、鎧の下に野蛮やばん風貌ふうぼうが想像できた。


 けれど殺戮さつりくの使徒から放たれた第一声は、鎧で反響するようにもって聞こえはすれど、


「ハサミ・ミラージュ、あなたにピアサは狩らせません」


 意外なまでに知的で落ち着いた若い男の声だった。

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