第29話 お風呂ザファンタジー後編

 俺の予想に反して、ハサミは悲鳴の一つもあげなかった。


 立ち込める湯煙でよく見えなかったが、髪を下ろしたハサミは何も身につけておらず、ただ手にしていたタオルで股間部分を辛うじて隠しているだけ。


 そんな彼女は泣いてもわめいても意味がないと思ったのか、天敵と遭遇してしまった猫のように目を見開いたのも一瞬で、即座に反転。


 そして勢いよくドアを開けようとしたのだった。


 が、


「そんな! どうして開かないんですの!?」


 その悲痛な叫び通り、彼女がいくらドアの取っ手が壊れてしまいそうなくらいに必死に押し引きしても開くことはなかった。


 とうとうハサミは絶望してしまったかのように、震える自分の肩を抱くような格好でその場にペタンとへたり込んでしまった。


 冷静を装いつつも、ハサミの一連の動作に目が釘付けになってしまっていた俺だったが、ふと彼女の背中にとある既視感を覚えた。


 今日の午前中、ミルフィーユさんから今回のクエストの撮影を俺がすることを勝手に決められてしまい、母親が出て行ったリビングでハサミがしゃがみ込んでいたあの光景だ。


 まるでそのまま昏倒こんとうしてしまっているのではと、ひやりとさせられてしまうほどの静けさが全くもって同じなんだ。


 となれば、その時と同じで時間が経てば回復するかも知れないけど……。


 うん、全裸!


 お互いタオルを一枚持っているけど、そんなんあってないようなもの!


 ハサミを介抱するに出来ないし、なによりもう俺の股間に非常に悪い!


 てことで、このリミットスレスレの膠着こうちゃく状態を打開するために俺は行動を起こすことにした。


 手始めに広大な浴場の壁際のほうへと移動。


 要するにハサミが湯船に向かうための道を開けたんだ。


 頼むー俺の意図に気づいてくれーって願いを込めて、


「あー、この壁のタイルの模様すごいおしゃれだなー! もう一生この壁の前でこうして眺めてたいなー!」


 すると死角からハサミが動く気配。


 ヒタヒタ。


 ポチャン。


 ハサミのあられもない姿が一応は隠れたことに、俺は安堵のため息を漏らした。


 そしてハサミが移動したことにより、浴場の出入り口への道が空いたことになる。


 俺は壁を向いたまま壁伝いに出入り口までやって来た。


 ドアの取っ手に手を当てて外へ出ようとしたが、だめだ……、やっぱり開かない。


 外からしっかり鍵がかけられているのか、ドアはびくともしなかった。


 万が一ハサミが焦って開けそびれていただけかも知れないと、希望的観測をいだいてのことだったが無駄だったな。


「……、」


 仕方がないので俺は、風呂を上がってハサミと再会した時に話そうと思っていたことを、今話すことにした。


「なあハサミ、さっきはうちのアホ馬が迷惑かけてすまなかった。大丈夫……だったか? 怪我とか、してないよな?」


 相変わらず反応はないが、やはり一方的に続ける。


「で、そのあと森から帰ってきてこの屋敷で一休みさせてもらう時に、俺から頼んでお前のお母さんに、お前のお父さんについて教えてもらったんだ」

「──ッ!?」


 湯舟に波紋が広がる音。


 ハサミが初めて反応したようだ。


 そして「なんで……」と小さく返ってきた。


 動揺しているようにも思えた。


「勝手なことして悪かったと思ってる。でも、おまえが何で次のクエストにこだわっていたのか知りたかったんだ」


 すると、


「そう……だったんですのね」


 弱々しくもしっかりとした呂律ろれつで返してくる。


「わたくしのほうこそ、変に意地を張ってお父様のことを教えなかったのは、よくありませんでしたわね……」


 そんな風に会話が成立するまでにハサミのほうも回復したであろう様子に、俺はひと安心しつつ「いいんだ。それよりも――」と本題を切り出した。


「実は俺もお前のとこと似たような感じというか……。俺、もう二度と両親と会えないかも知れないんだ」


 それは、異世界転生によって生じた決別。


『かも知れない』というのは俺の希望的観測で、正確にはもう両親には会えない。


 そんな身上を、ハサミの父親の件に便乗して話そうとした訳だが、


「えぇっ!? それ、どういうことなんですのッ!?」

「え、どういうことって……あっ!!」


 やっべそうだよ!


 そう言えば俺、ヤ国出身の出稼ぎ冒険者って設定で通ってたんだった!!


 それも出稼ぎというだけあって、ヤ国に両親を残しているという設定だ!


 ハサミが驚いて当然じゃねえか!


 何せ、ただの親元を離れた出稼ぎ息子が、いきなり両親ともう会えないなんて言い出したんだぜ!?


「いや、ええと……、それはその……」


 が、


「確かにヤ国はこの間、突然鎖国宣言をしたばかりで、まだ開国の目処はたってませんから、ご両親には会えないかも知れませんけど……。でも――」


 さすがに二度と会えないかもというのは大袈裟過ぎませんこと? と言いたげにすぼんでゆくハサミの言葉尻に俺は、それだ! と乗っからせてもらうことにした。


「そうそう鎖国! 鎖国のせいで両親に会いたくても会えないんだ! ホントいい迷惑だよな、ハハハ……」


 何はともあれ、今は両親に会えないという状況をハサミにわかってもらえればそれでよかった。


 それが今からハサミに話すことの布石となるのだから。


「それで、だ。そんな風に両親と離れ離れになってしまってから俺は、もっと親孝行しておけばよかったって思うようになったんだ。今更ながら後悔してるんだよ。両親に対して、何も恩返しできないまま離れ離れになってしまったことを!」


 そのことに関しては、間違いなく嘘偽りのない真実だった。


 そしてこれから打ち明ける言葉もそうだ。

 

「だからおまえには、俺みたいに親のことで悔いが残るような結果にだけはなってほしくないと思ってる! お前には絶対ピアサに勝ってほしいと思ってる! だから俺に手伝わせて欲しい! 俺に、おまえの動画を撮らせてほしいんだ!」


 それをもって俺の両親との死別のけじめにしたい、とは胸の内にそっと秘めたままにして。


「「……、」」


 これが、風呂から上がってからハサミに言えたのなら、まだもう少し格好がついていたことだろう。


 だが、悲しいかな。


 俺たちが今いる場所は浴場で、お互いほぼ全裸で、そのため俺はハサミのほうを見れずに壁(正確にはドアだが)に向かってこれを言ってしまっていたんだ。


 締まりがないにも程がある。


 一通り言い終わってから、一人すごいやるせない気持ちになっていた俺だったが、


「わかりましたわ。あなたの覚悟、しかと聞き入れましてよ!」


 存外に堂々とした物言いが背後からして、俺は驚いた。


 だがそれは、これから始まるさらなる驚愕の序章に過ぎなかった。


「仁後刀我、こちらに来なさい」

「は、はいぃいいッ!!!?」

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