お風呂ザファンタジー前編

「それにしても、貴族社会も面倒なトコなんだなあ。かつての敵対勢力から残党狩りのように未だに付け狙われてるから、こうしてカモフラージュの魔法まで使って身を潜めて暮らしていなきゃならないなんて……」


 湯船に胸のあたりまでかってそのへりにもたれかかりながら、俺はやるせなくつぶやいた。


 銭湯ほどはある巨大な浴槽にたった一人で浸かっているとなれば、普通なら庶民を代表して泳ぎ回るくらいのことはしなければいけないのだろうけど、今はそんな気も起きない。


 結局、ハサミママの独特な雰囲気には終始まれっぱなしだった。


 ハサミをピアサに向かわせることの真意も質せず、撮影係としておだてられるように買い被られ、最終的にこうしてお風呂にまで入らされてしまっていた。


 が、収穫はあった。


 ハサミを取り巻く環境について色々知ることが出来た。


 そういうキャラ設定だと思っていたハサミは、実は本当にお嬢様だった。


 仮に今も貴族だったなら、写真で見た幼少期みたいにツインテールをドリルにしたりするのだろうか。


 それに単なる成金趣味だと思っていたこの屋敷も、やっぱ貴族生活していた時の名残なんだろうな。


 まあどの道ハサミの広告収入なら、この生活水準の維持なんて容易たやすいだろうけど。


 けれど今回知った情報で一番の衝撃だったのは、


「まさか、亡くなってるとはなあ……」


 帰らぬ人──クロム・サテライト・ラグランジュ。


 それは背負うには荷が重すぎる事実にも感じたが、さしもの俺もそこまで自惚うぬぼれてはいない。


 クロム氏の死を背負って戦うのはあくまで娘であるハサミで、俺はそれをサポートする役割だ。


 かと言って、全く他人事のようにも感じてはいない。


 親と死別してしまっているというハサミの境遇に対し、俺は自身の今の境遇を引き合いに出さずにはいられなかったからだ。


 何を隠そう俺自身、異世界で新たな生を始めてはいるが、両親とは死別しているようなもんだ。


 いや、実際に父さんや母さんは、息子おれをトラックに轢かれるという形で亡くしている。


 俺と両親の間は、確実に一回は死で分かたれていた。


 つまり親との死別というハサミの辛さなら、今の俺も痛いほどよくわかっていたんだ。


 普通なら先立った者があれこれ思い詰めるなんてことはないだろうが、何の因果か俺は今こうして別世界で生を受けて人生の続きを歩まされてしまっている。


「これが気に病まずに要られるかって話」


 親に先立つというこの上ない親不孝。


 俺は生の続きを歩まされることで、それを嫌でも自覚させられていたんだ。


 異世界こっちに来てからというもの、ホームシックのようなものは心の片隅でずっとくすぶり続けていた。


 その正体は、やはりこういった両親のあとの事が気にかかるような感情って訳だ。


 元の世界に戻れたならと何度も考えたことはある。


 完全に戻ることが叶わなくても、せめてほんの少し元の世界に滞在して両親に自分の現状を伝えて、謝罪や感謝や、もう俺という呪縛そんざいに囚われる必要はないことを話させてもらえたなら、とも。


 しかし元の世界に帰る術に心当たりなど全く無いというのが現状だ。


 要するにこれらの未練の類にケジメを付けるには、俺自身の自己満足で完結させるしかない。


 そう考えると──


「やっぱりこのクエストは、俺にとっても特別に思えてきて仕方ないんだよなあ」


 双方が親子二代に渡って因縁関係にあるハサミとピアサ。


 彼女の弔い合戦を撮影することによって、俺自身の精神的なケジメに代えさせてもらう。


 覚悟は決まった。


 あとはこの覚悟をハサミに伝えて、撮影という役割を改めさせてもらうだけだ。


 もうのぼせるくらい考え込んだしいい加減にあがって、そろそろ帰ってくる頃の彼女に昼間の非礼をびるところから始めよう。


 そう思い、湯船から立ち上がった、その矢先だった。



『まったく、今日はハサミ・ミラージュの厄日やくびですわ!』



「は?」


 脱衣所のほうから声が聞こえてきた。


『ヨダレだか鼻水だかでグローブがカピカピになって弓がうまく撃てなくて、雑魚相手に苦戦もするわで、ホンッと今日は最悪なことだらけ! あー早くお風呂に入ってさっぱりしたいですわ!』


 ハサミだった。


 が、なんでに!?


「あ、あのー。ハサミさーん? いますよーボクー……。お風呂の中にー……」


 申し訳程度のほとんど独り言のような声量。


 これでは脱衣所まで聞こえるはずもないが、元よりその必要はない。


 なんせ脱衣所のカゴのうちの一つには俺の服が入っていて、それをハサミが見れば俺が入浴中なことは一目瞭然。


 よってハサミは勝手に脱衣所をあとにする、はずなんだけど……。


『ふぅ……。こうやってレオタードの締め付けから解放されると、今日も一日が終わったーって気分になりますわね』


 いやいやいや!


 明らかに服を脱ぐ音とともに、ドアの磨りガラス越しの影が緑色から肌色に変わっていってるんですけど!?


 至急タオルを巻いて下を隠して湯船から出る。


 そしてハサミの弛緩しきった声音とは対照的に、俺は強めに声を張った。


「おーいハサミー! 聞こえてるよなー!? 俺イマお風呂の中にいてこれから上がるから、お前はいったん服を着直して脱衣所の外へだなァ!!」


 すると。


『あら、もしかして──』


 ホッ。


『わたくしのお胸また大きくなってませんこと!?』

「──ッ!?」


 ……なん……だと……。


『念のため、バストサイズ計測アプリで測ってみますわ!』

「……、」

『きゅっ、九十一ぃい!? なんということですのッ!? この前九十になってしまったばかりなのに、また一センチ大きくなってるじゃありませんの! どうしてこうもお胸ばっかり大きくなってしまうんですの! どうせ育つなら身長のほうが伸びてほしいという願望も込めて、一六一センチのところを一六五センチで公表してますのにいいいッ!!』

「お母さんの遺伝子やろなあ」


 ミルフィーユさん、普段着では上手く目立たなくなってる感じだけど、エプロン姿になって腰の所でキュッとすると、それはもう凄いことになっちゃってたもん。


「ってかプロフィール詐称いろいろヤバすぎだろ! 胸は八十九に逆サバ読むくせに身長は四センチもサバ読むのか? 女の子ってそういうもんなのか!?」


 なんて言ってる場合じゃねえ!!


 母親ゆずりの凄いのが凄いことになってしまう前に、急ぎこちらの存在を知らせなければ!


 それが間に合わないなら、せめてドアを開けさせないように内側から押さえねば!!


 急ぎドアのほうへと駆け出し、今日一番の大声を上げる。


「おぉぉぉおおおおおおおおおい!! ハサミぃぃぃぃいいいいいいいいいッ! だめだッ!! 開けるなああああああああああああああああああああああああッ!!」


 けれど不思議なことに、まるで俺の大声を掻き消すようにお湯の供給口であるマーライオンみたいなのから、それまでのチョロチョロの十数倍はあろうかという感じでドバーッと流れ出した。


「はぁああ!? なんでこのタイミングでぇええええ!?」


 湯気によるホワイトアウト。


 そして視界が少し晴れた時、


「え」

「あ……いやぁ、その……」


 全裸のハサミがそこにいた。

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